第3話 勇者ではなく魔王の生まれ変わりでした
「滅びろっ! 魔王‼」
走馬燈は……無いか。そっか。
あまりにも脈絡が無さすぎて、自分が死ぬという恐怖が伝わってこない。生存本能君が「あっ!? やっべぇ油断した。出番じゃん!?」って慌てている。
てか、嫌だ。死んだ。
「――ごばっ!」
そう思った瞬間、白い喉笛から黒い矛先が突き出た。
振り下ろされんとしていた刃が止まり、手からこぼれ落ちる。
「旗色が悪いからってキングを狙うの? 本当に浅はかね」
その言葉はクレアさんの背後から聞こえた。
得物を落とした両手は自身を貫く凶器を探し求めるように首元を彷徨い、やがて力なく下がる。
彼女の美しい青い瞳がひん剥かれ、血走った眼が一度こちらを見下すと、グルンと反転した。後に残ったのは赤々とした筋を残す白目だけ。
そして遅れて舌が長々と垂れ、喉を貫いている黒い切っ先を舐めると、スプリットタンのように先端が真っ二つに分かれた。
凄惨な光景に目を背けずにはいられない。まだ、何も終わっていないというのに。
「……ぁぉぅ……ぃぇ」
事切れたと思った彼女の奥底から、かすかな声が聞こえた。
バネ仕掛けのようにクレアさんの手が跳ね上がり、青い瞳がぐるんと戻る。その指先は腰を抜かしたままの俺に向けられ、赤く発光し始めた。
魔王、死ね?
そう言ったの? クレアさん?
光が俺に向かって――。
「喉を貫いても口の悪さは直らないのね。食め、
瞬きをする間に、目の前に赤い霧が生じて落ちた。
何が起きたか分からない。ただ、地面に血だまりができ、ボウリング場のダサいシューズのつま先を赤く染めてゆく。
「へ?」
その場には俺と魔族の子だけが残された。
「まだ人の身では少々刺激が強いでしょうか。お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ございません。ただ、この者に付いて行ったら、貴方様は奴らの手で公開処刑されていたことでしょう。民と軍の士気を煽るために」
改めて周囲を見回してもクレアさんの姿はどこにもない。ただ、彼女を構成していたと思われる血肉が地面に広がっているだけ。
嘔吐物と排泄物を合わせたような匂いに混ざって、どこまでも濃い鉄臭さが鼻腔を突く。
目の前に立つ魔族の少女は血だまりに足を踏み入れているのに、その足先は波紋一つ起こさせない。まるで宙に浮いているかのようであった。
「――っ!?」
月光に身を浸したような、その肌の白さにぞっとする。
顔が熱い。直視していられなかった。それは何も、ただ彼女が美しかったからだけではない。
その少女は今、ダークジャケットにブーツしか身につけていなかった。
あどけない膨らみの上にある二つの先端はジャケットが隠していてくれた。ただ、その下で露わになっているのはへそだけじゃない。さらにはその下の――。
反射的に目を両手で覆う。
「あのっ! 前を……隠した方が……」
意識が遠のきそうになるのをどうにか堪えて彼女に忠告する。いや、もう二度と前を向いて生きられそうにない。
そんなことで現実逃避し、見てしまったことを忘れようとしていると、目の端から黒い影が滑り込んできた。
「ひっ⁉」
それは先ほどは見えなかったが直感で分かった。残虐な形を成し、異世界からの使者をペースト状にした影の群れであった。
やがて、それらは鳥の群れのように一つにまとまり、べアトップのワンピースの形に変化する。
持ち主と分かたれた服が宙で舞い踊るさまはドラキュリーナが肉体だけを消して、人々をからかっているかのようである。
「罰はいかようにもお受けいたします。ただ、今だけはどうかその怒りを抑え、貴方様を混沌の魔族の住まう地、オブスキュラ・ミストへとお連れさせてください」
あられもない姿のまま、少女は片膝を付いてこちらに語りかけてくる。
宙に浮く黒装束に持ち主の元へ戻るようにジェスチャーするが、その影たちはおちょくるように空中でターンを決めるのみ。そもそもこれ意志疎通できるのか?
「そういえば、核心の部分がまだでしたね」
すでにあなたの核心部は見えてしまっております。
本能に抗えず、ちらちらと指の隙間から彼女を見てしまう。そうしていると彼女のアイスグリーンの瞳と目が合った。
あぁ、本当に綺麗だ。
天上の池の水面のような双眸を見つめていると、興奮が収まってゆく……なんてことはない。めっちゃ可愛い……。
「魔王様……いいえ、大魔王様。お迎えにあがりました。私たちのことは、この世界では架空の存在として描かれている、魔族のようなものだと解釈していただければよろしいでしょう。そして、貴方様に我々は絶対の忠誠を誓います」
がつんと彼女の言葉が響く。
勇者の生まれ変わりじゃないの、俺?
むしろ、魔王の生まれ変わり?
なるほどー。だからクレアさんは俺を抹殺しようとしたのかー。
しかしこの子、まつげ長いなぁ。少しあどけない顔立ちだけど、つり目がちで円らな瞳がキュート。本当に小悪魔というか猫みたい。
て、納得できるかい⁉
大魔王の生まれ変わり?
それって枕に童貞って付くタイプの魔王じゃなくて?
あ、紫の艶のある髪が夜風にそよいでいる。触りたい。撫でたい。わさわさしたい。
じゃなくて、もうドッキリを疑うことは不可能だ。
鼻を突く分泌物と鉄の匂いが人の死を無遠慮に教えてくれる。
ふと、先ほどの死闘がよぎった。
先ほど喋り、手をつないだ人が真っ赤な霧と化し、物言わぬ死体すら残せなかったという事実。目から頭が腐っていきそうだ。
目の前にいる彼女の淫靡さに惑わされ、つい先ほど命の危機に瀕したがゆえ、思考がまとまらない。そして、先ほどの凄惨なイメージがフラッシュバックして、意識は限界を迎える。
「来ていただけますでしょうか?」
「……はい?」
気絶する間際、軽率にもそんな素っ頓狂な返事をしてしまった。
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