第2話 勇者の生まれ変わりと言われて
雑居ビルの谷底のような路地裏まで来ると、ようやく彼女の足が止まった。
「えっと……なんでしょうか?」
普通、こういう暗がりに連れ込まれるのは女の子の方だと思うんだ。いや、そういう偏見はよくないな。ただ、少なくとも弱い者が連れ込まれるものだ。
金髪碧眼の美少女と万年彼女なしの冴えない童貞大魔王。
うん。社会的にはこっちが弱者だな。じゃあ、連れ込まれてもしょうがないな!
「あの、知り合いを待たせているんですけど」
ジュース持ってかないといけないし。
通りすがりの少女は息一つ乱れておらず、うっすらと差し込む月明かりの下でも可憐であった。
「突然すいません。でも、聞いていただきたいことがあります」
吸い込まれそうな瞳に見つめられ、思わず後ずさってしまう。それに合わせて彼女は一歩前に詰めてくる。そして両手で俺の手を掴んだ。
え? ちょっと、なによ、これ? モテ期? モテ期来ちゃったのこれ!?
あぁ、お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。
僕は今夜、お婿さんに行きます!
「助けてください。あなたは混沌の魔族の手から秩序の民を守る勇者の生まれ変わりなのです」
…………。
………………なんだ、ただの罰ゲームか。
はぁ、可哀想に。
内容としては「童貞臭い奴を路地裏へと連れて行き、創作物っぽい展開に引き込むドッキリをしかける」みたいな感じか。
奇をてらわず、無難にジュースおごりとかにしておけよ。
「お願いします。秩序の勇者様」
あ、続けます?
どうしよう。
とりあえず、何か話さないと。
「いやっ……そのっ――」
言葉を紡ごうとしたら、喉の奥になにかが挟まったように話せなくなってしまった。
蜂蜜を淡くしたような色の髪。
星空を映す湖面と見まがわんばかりの潤んだ瞳。
町を歩けば老若男女問わず振り返り、ため息をついてしまうほどに美しいかんばせと佇まい。
てか、顔が近い!
無理だよ……こんな可愛いすぎる子と目を合わせておしゃべりなんて……。
神は乗り越えられる試練しか与えないとか嘘だ。乗り越えられるの、これ? くぐった方が早いハードルじゃない? 最早、門だよ。鳥居だよ。下から失礼しまーす。
「申し遅れました。私はクレアと申します。コスミシア東方連合を統括する、レオンコール公国にて、この任に就く前は第二騎士団団長を務めておりました」
そっかぁ、クレアさんていうのか。名前も実直そうで可憐な響きだ。
俺も名乗らないと。
「あのっ……俺は――」
「さっき来たばかりの癖に、もう口説いているの? 随分と軽い尻をしているのね」
声のした先を見ると、遠い町明かりをバックに小さな影が一つ立っていた。
毒々しく軽薄でいて、それでも目が離せないほど艶やかで妖しげな紫色のストレートヘア。あどけなさを残しつつも挑発的な表情。
膝上までのベアトップワンピースにショート丈のジャケットを重ね、小柄ながらも長く細い脚を際立たせるコンバットブーツを履いている。
不敵に微笑む黒づくめの少女に対してクレアさんは歯噛みする。
「
もしかして魔王軍の方ですか? もしかしなくても魔王軍の方ですよね?
凝ったドッキリだなぁ。勇者サイドだけじゃなくて魔王サイドも登場か。つまりあれだ。勇者の生まれ変わりを迎えに来た人類サイドと、その復活を阻止したい魔族サイドって感じか。
ははーん。もしかしたら仕掛け人は素人じゃなくて、どっかのテレビ局か動画配信者だな?
「はい、差別用語。人間様は相変わらず口が悪いわね」
「邪魔はさせませんっ!」
彼女から気炎が発された瞬間、その手から青い光が発された。そして、海の中から太陽を見上げた時のブルーによく似た、青き剣が顕現する。
なにそれ、かっこいい! クレアさん、ギガロマニアックスか⁉
「覚悟しなさい。魔族」
「言っておくけれど、横入りしたのは貴方の方よ。人間」
あ、普通に魔族って呼び名でいいんですか。それとも、向こうの世界の言葉をこちらの世界の言葉に翻訳してくれているのかな?
翻訳魔法でもあるのか。あるいは、二人とも実は結構前から地球に来ていて、こっちの世界の言語をコツコツと学んでいたりして。何それ、かわいい。
まったく。いずれにせよ、こちらを騙そうと思うなら、もっと異世界語で話し始めるとかそういうことしてもらわないとねぇ……。
なんて思っていると、魔族の子の周りにはコウモリのような影が取り巻き、それが次第に死神の持つ鎌を形作ってゆく。
なにそれ、そっちもかっこいい!
闇堕ちしたぷいきゅあみたい! ぷいきゅあがんばえー!
二人が肉迫し、何の変哲もない路地裏に獰猛な金属音が響きわたった。
噛み合った刃は離れ、それぞれが弧を描き、再び相手を捉えんと走る。二人の少女の周囲を鋭い斬撃と剣風が取り巻き始めた。
……多分。
「んー。ヤムチャ視点になってしまった……」
え、待って。CG?
それとも、ホログラム?
4DXもここまで来たかぁ――ってそんなもんじゃ説明できない。
色々と目の前の光景から目を背けて来たが、すでに洒落にならない事態になっていた。
彼女らが刃を振るう度に空気は裂け、風が吹きすさび、フェンスやパイプがひしゃげ、コンクリートの壁には亀裂が走ってゆく。
ちょっと、マジ無理。怖い。超怖い。なに普通にバトル始めてるの? 馬鹿なの?
そういうことするなら、しっかり「ここは普通の剣と魔法のファンタジーRPGの世界――」ってナレーション入れてからにしてよ!
間違いなく、この二人は自分たちのような一般人とは縁遠い、殺し合いをしている。
異世界転生した普通の高校生たちがいきなり、何のためらいもなくモンスターや盗賊を殺せるのはそういう素質があるからじゃない。それが創作物だからだ。
現実世界でこんな異常な事態に直面してみろ。何もできず、ただ身を屈めて嵐が去るのを待つしかないだろう。慣れるのは、せめて急場を凌いだ後にしてくれ。まずは死の予感の重みと、命を奪うことへの葛藤を丁寧に描いてだな……。
俺たちはただの人間で、たまたま入った銀行に強盗が押し入れば、犯人を刺激しないように大人しく人質になるだろう。たまたま滞在していた建物で火事が起これば、他人を押しのけてでも自分が助かろうとするだろう。海で離岸流に浚われればパニック。財布を電車に置いてけぼりにすれば絶望。その程度の人間――って危ねっ!? めっちゃ瓦礫が飛んでくるんですけど。
あの! 一応、勇者の生まれ変わりなので、もうちょっとこっちに気を遣ってもらっていいですか⁉
俺は勇者でも魔王でもない。魔法が使えもしなければ、握ったことある刃物は包丁とカッターと鋏くらいだ。あと彫刻刀。そんな俺に彼女たちの争いの経過など分かるはずがない。
「くそがっ! ……混血の分際でっ‼」
その台詞がクレアさんの口から発されたものだと俺はすぐ認識できなかった。
そう思った瞬間、彼女は身を翻してこちらへと飛びかかってきていた。
え?
彼女の暴力的な言葉に胸がチクッとしたときには、もう上段に構えられたディソー
ドじみた凶器がこちらに振り下ろされんとしていた。
「滅びろっ! 魔王‼」
あれ、さっきは勇者って言ってなかった?
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