夫婦
森下 巻々
(全)
ぐいッぐいッと押すと表面がささくれのように木片となってチラシの上に落ちていく。
鉛筆を小刀で削っていると生前の母のことが思い出されてくる。
両親が元気だった頃は鉛筆を削っている彼女の姿がこの自宅で頻繁に見られた。
夫のために常に数本の鉛筆の先を綺麗にしていたのだ。
父は詩人であった。
彼は普段に何かを書きつけるとき鉛筆を常用していた。
枕元にも鉛筆とメモ用紙を置いていたらしい。
父は料理も洗濯もした。
たまにという訳ではなくて日常的に行っていた。
それでも鉛筆を削る役目は母が負っていた
母に訊いてみたことがあった。
「どうして、お父さんが使う鉛筆をお母さんが削っているの?」
「さあねえ。もう忘れてしまったね……」
一度だけ父と母は子供の目の前で喧嘩をしたことがあった。
父は母に出て行けと怒鳴ってしまった。
しかも子供を連れて行くことを許さなかった。
母は実家へ行ってしまった。
父は家事も難なくこなしていたが寂しそうであった。
鉛筆を手に持ち眺めながら数日後には次のように言った。
「悪かったな。お父さん、謝ってくるよ」
両親は仲直りして後にも長い夫婦生活を送ったのだったが、母の方が病気で先に亡くなってしまった。
残った父は悲しみに満ちてしまっているように見えた。
詩を書く気持ちにもなれなかったようだ。
母の代わりと思って鉛筆を削って見せてみたこともあるが程なくして体調を崩した父はそのまま天国に行ってしまった。
両親の生きた家を片づけたいま鉛筆を小刀で削る。
ぐいッと小刀を押すと鉛筆の表面がささくれのように木片となってチラシの上に落ちていく。
どうだろう?
母に負けないくらい綺麗に削れているように思う。
それでも父に詩を書かせる励みにはならなかった。
父のお葬式のときになって叔母から聞いた話がある。
「姉さんはねえ、恋愛結婚だったからねえ。あんたのお父さんにプロポーズされたんだよ。僕のために、これからもずっと鉛筆を削ってくださいッて。プロポーズとして、どうなのって感じだよね? でも、まあ、そしたら姉さん、それならあなたにも家事をやってもらいますからね、おいしい料理を食べさせてもらいますからねッて言い返したんだよ。若い頃は本当に勝ち気だったしね」
(おわり)
夫婦 森下 巻々 @kankan740
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