―― 急 ――

 加恋は愛が好きだ。

 強くて才能あふれる愛が、自信に満ち溢れた愛が、大好き。


 そんな愛が加恋を友として認めてくれた事は嬉しかった。

 通じ合えたと思った。

 愛と支え合いたいと願った。

 でも愛は、そうは思っていない。


 ――偽善。


 ふざけるな、と思う。

 そんなわけがあるか。

 加恋は悔しくてたまらない。


 愛。知らないわけないだろう、あんたが。


 加恋が駅ビルのポスターで愛の才能に目を奪われていた事を、愛だって知っている。加恋が愛を尊敬している事、愛の才能を純粋に「すごい」と思っている事、愛だって知っているはずじゃないか。

 加恋の気持ちは知っているはずだろう。


 馬鹿にするなよ、愛。

 加恋の愛を馬鹿にするな。


 トップデザイナーになると言ったのは嘘か?

 あの気高い強さは嘘か?

 自らの才能を馬鹿にしているのは、自分自身じゃないか。

 加恋の気持ちをすべて罵倒に変えたのは、愛自身じゃないか。

 なんでそうやって加恋の評価をなかった事にする。


 愛は加恋の気持ちを受け取ったフリをして、本当は加恋の事など微塵も信じていない。

 喜んだフリをして、本当は疑っている。


 ふざけるなよ、愛。

 偽善はどっちだ。



 そんな時、加恋は偶然、職員室前の廊下で立ち尽くす愛を見かけた。

 職員室に用があった加恋がそばまで近づいても、愛は逃げない。丁度いい。


「愛」


 声をかけても逃げなかったから、加恋はそのまま話し続けた。


「私は愛、まじですごいと思う。愛は私の気持ちなんか理解してくれないだろうけど」


 顔をそらしている愛の隣に立って、なおも加恋は続ける。


「一度認められなかったくらいでなんだよ。愛はすごいんだから、そこまで落ち込む事ないだろ。それに――」


 加恋はスカートの裾をぎゅっと握る。


「私はあのシャツ、凄く嬉しかった。愛が私の為に考えて、くれるって言ってくれて、すごく嬉しかったんだ。それなのに愛はそれをボロボロにした! ひどいよ! 私にくれるって言った、私の宝物なのに!」


 加恋の声が大きくなるにつれ、愛が肩を震わせる。力強い目で、キッと加恋を睨んだ。


「あんな駄作、宝物だなんて言わないで」

「駄作じゃない!」

「駄作だよ。あんたに何がわかるの、加恋。あれは誰にも認められない人間が作ったゴミ。そんなもの捨てて当然でしょ」


 そんな事を言う愛が信じられなかった。

 だってあれは、愛が愛を込めて作ったものじゃないか。大事なものじゃなかったのか。

 涙がこぼれそうになって、加恋は唇をギリギリとかんだ。

 痛い。心も唇も、なにもかもが痛い。


「なんだよ、愛。ゴミじゃないよ。駄作じゃないだろ。認められないって何? 認めてるじゃん、私が!」

「加恋に認められてなんになるわけ?」

「そ……それは、そうだけど。でも愛は偉い人にも認められてるじゃん。コンテストで大賞とって、特待生にもなって」

「ああ、それ白紙になった」

「…………へ?」


 沈黙が流れる。

 白紙。何が?

 困惑する加恋を見て、愛は泣きそうな顔で自虐的に笑う。


「だから、白紙になったの。特待生。今そういう連絡が来た。それで先生に呼ばれてたの。だからあたしはもう、特待生じゃない。あたしは無能だから、『入学したければ受験してください』って。もう必要ないんだって」

「えっ、待って、……なんで」


 ありえない。

 無能? そんな馬鹿な。

 愛は加恋に冷たい視線を向ける。


「なんでもクソもないよ。受賞から三年だよ? その間に流行りは変わるし、あたしより才能のある人も次々生まれてくる。あたしはもう古いの。あたしはもう認められないの!」

「……そんな、でも、愛はすごいのに」

「やめてって言ってるでしょ!」


 愛が加恋を小突く。加恋はよろめいて、二、三歩あとずさった。


「そういうのいらないって言ったよね。嫌なの、そういう慰め」

「でも」

「でもじゃないでしょ。加恋に何がわかるわけ? 服飾のこと何も知らないくせに、口出ししないで!」

「けど」


 愛が傷付いているのはわかる。

 加恋に知識がないのもその通り。

 でも、愛に才能があるというのも本当の事ではないのか。


「と、特待生が白紙になったって、愛に才能がある事に変わりはないじゃん」

「はあ? 才能がないから白紙になったんだけど」


 加恋の投げた言葉を、愛が否定する。


「でも、特待生が白紙になったからって、愛の受賞歴が白紙になったわけじゃないじゃん」

「だから何? それ昔の話だよね? 今認められなきゃなんの意味もない」

「意味あるよ! 愛がすごいっていう証明じゃん」


 愛の否定を、加恋は必死にくつがえそうとした。


「愛はすごいんだよ。昔からすごい。今もすごい!」

「すごかったら白紙になんかされないんだってば!」


 加恋も愛も止まらなかった。

 だって相手が理解してくれないから。

 自分は間違った事なんてひとつも言っていないのに、相手はそれを理解してくれない。

 だから叫ぶ。

 ぶつける。

 ささくれてトゲトゲした心を投げつけて、相手の言動をねじ伏せようとする。


「だからさあ、加恋。昔すごかったから、何だって言うわけ? あたしは、これから先を生きるんだよ。今からノブレスに入学して、二年後にはフランスに行きたいの。でも、ノブレスは今のあたしを必要とはしない。今のあたしは無能だって切り捨てたの!」


「愛が無能なわけないじゃん。みんなと同じスタートラインに立っただけじゃん。ノブレスに行きたいなら、受験すればいいじゃん。フランスだって行けばいいじゃん! 誰も行けないなんて言ってない。出来るよ愛なら! だって愛はすごいんだから。無能なわけないんだから!」


「うるさい! うるさい! うるさい!」


 でも本当はわかっている。

 相手の発言だって、間違っているわけではない。そんな事くらい、お互いわかっていた。


 けれど、相手の正当な怒りにチクチクと全身を刺されながら、それでも相手の気持ちを「そうだね」と受け止められないのは、それだけ自分の気持ちが譲れないものだからだ。


 愛は、加恋に無邪気に「すごい」と言われる事が苦痛だった。

 加恋は、愛が自らを「無能」という事が耐えられなかった。


 相手のその言葉が自分の心をグサリグサリと削っていく。そんな発言はやめてほしかった。けれど訴えれば訴えるほど、相手はその発言を繰り返す。

 お互い、ただ自分の気持ちをわかってほしいだけなのだ。

 でも、「わかって」「わかって」と近づくたび、ささくれ立ってトゲトゲした心が相手を傷付ける。


「加恋にあたしの気持ちはわからない。もう二度と話しかけないで」


 相手が自分の気持ちを理解してくれない以上、このささくれ立った心が収まる事はない。自分も、相手も、お互いにそう感じている。

 このままでは、そばに居られない。


「それでも私は、愛の事すごいと思ってるから」


 自分の「愛」を守りたかった。

 自分の「愛」を守るには、もう、これしかなかった。


 加恋の投げかけた言葉に、愛は返事をしなかった。無言で立ち去る愛の背中が、二人はわかりあえないのだと告げる。

 決別なんかしたくなかった。

 でも、ささくれ立った心がそれを許してはくれなかった。

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