―― 破 ――
とはいえ、一軍の愛は加恋とは住む世界が違うのだ。
愛はみんなの愛。
教室内の一軍にも二軍にも、カースト最下層にも愛されている。異性にも先生にも。勉強の神にも運動の神にも。デザインの神にだって。
愛は、愛。
どれだけ尊敬しようが、モブ気質の加恋の出る幕はない。
だから、たまに仲良くしてもらえるだけで良かった。愛に少し関わるだけで加恋は満足だった。
あの日までは。
「愛、どした?」
高校二年。梅雨。
雨に打たれた昇降口の隅っこでうずくまる愛を見つけて、加恋は声をかけた。
「……ぐすっ、ぐす……」
泣いている。あの、愛が。一人で。なぜ。
放課後の中途半端な時間だった。部活はとっくに始まっているし、帰宅部はとっくに帰路についている。校舎内をうろついているのは先生に呼び出されて居残りしていた生徒か、加恋のように部活を早退する人くらいだ。
「……愛?」
一度声をかけた手前すぐに立ち去るわけにもいかなかったが、口うるさく何度も話しかけるのははばかられるような、話しかけづらい雰囲気がある。愛は下駄箱に寄り掛かって、膝を抱え、顔を伏せて泣いている。一人で、静かに。
(困った……)
とりあえず愛の隣を静かに通り過ぎようとしたら、足首を掴まれた。
「なんで? なんでよ」
愛が泣きながら言う。
「……何が?」
「なんで通り過ぎるの」
「いや、そっとしておいてほしいのかと思って」
「やだ。一人になりたくない」
立ち上がった愛が近づいてきて、加恋の背中に手を回し、肩に顔をうずめる。
「一人にしないで」
抱きしめられた加恋は、やっぱり困ってしまった。愛の背中を撫でようとして、やめる。
「話、聞こうか? 私で良かったら」
「……うん。お願い」
涙を拭きながら歩く愛と、使われていない教室前の廊下へと移動する。二人きりで話すのは久しぶりだなと加恋は感じた。愛はいつも人に囲まれている。そんな愛を独り占め出来るほど、加恋も特別な人間ではない。
ふと目を向けた窓の外は、しとしとと雨が降り続いていた。
「彼氏、盗られた」
「あたしの事、好きだって言ってたのに、春香と付き合うんだって」
春香。一軍女子の一人だったなと加恋は思う。
廊下の途中で立ち止まった愛が、ポロリと涙を床に落とした。
「嘘つき。馬鹿。嫌い」
さて、加恋はまたもや困ってしまった。
いつも愛とつるんでいる奴らはどこへ行ったのか。恋愛経験のない加恋にこの話題は荷が重い。今こそ経験豊富な一軍女子たちの出番ではないのか。
だけど愛は独りぼっちだ。
「みんな嫌い。みんなみんな大っ嫌い。なんでみんな春香の味方するの? 盗ったのは春香なのに、なんで春香を応援しようとか言うわけ?」
「えっと、愛。何があった?」
だいぶこじれていそうだなと思いながら、加恋は愛に問いかける。愛はたまったものを捨て去るように吐き出した。
「凌馬と付き合ってたの、あたし。でも『春香と付き合うから』って振られて。それですぐ、あの二人が付き合いはじめて。しかもみんな春香に『おめでとう』とか言ってるし。いや、おかしくない? あたしが付き合ってたのに! でもみんな『春香だって凌馬のこと好きだったんだから』とか意味不明なこと言ってて。だから何? あたしだって好きなんだけど。あたし、付き合ってたんだけど。なんで春香の肩を持つの? 盗ったの春香でしょ。なのになんで被害者のあたしを無視するの? なんで加害者の春香を祝うの?」
愛の目に涙がたまる。それを隠すように、愛はまた加恋に抱き着いてきた。
「みんな嫌い。大っ嫌い。凌馬も、春香も、友達だと思ってたみんな、大嫌い」
加恋の肩で泣く愛を、加恋は抱きしめ返す。
(よしよし、良い子良い子)
子供をあやすように、加恋は愛の背中を撫でた。
(大丈夫、大丈夫。私がいるから)
(大丈夫だよ、愛)
愛に触れ、愛の苦しみを受け止める。
「愛」
加恋は愛に声をかけた。
いつもより近くにいる愛。加恋にその身を預ける愛。
「愛は悪くない。怒って当然だ、そんなの」
愛の耳元に加恋の言葉を響かせる。
「大丈夫だよ、愛。私は愛の味方だから。辛かったね、愛。でも、私はずっと、絶対、愛の味方だから」
「う、うえぇん」
言い終わらないうちに、愛は子供みたいに泣き出した。強くて格好いい愛も、しょせんはただの高校生だ。泣いて、泣いて、肩を震わせている。
加恋は泣きじゃくる愛を力強く撫でた。今度は自分が格好よくありたい。愛の支えになれるように。力強く支えられるように。
愛。愛。
大事な、愛。
彼女は私が守る。
加恋はそう思った。
その日から、愛と加恋は二人でつるんでいる。
以前はみんなに囲まれていた愛も、最近は自らそれを避けるようになった。
たぶん、怖いのだ。裏切られることが。
友達だと思っていた人たちがみんな敵になり、あっけなく去っていく。その状況を避けて、自ら他人との関係を絶っている。
痛みに耐え、孤独を選ぶ愛。
そんな彼女を、加恋は必死に追いかけた。たとえ愛が他人を遠ざけようとも、加恋は愛の隣に居たかった。
*
「加恋がいるから」
「……へ?」
不意に呟いた愛に、加恋は目を丸くする。
高校三年生になった加恋たちは、家庭科の自由課題をやっているところだった。各自二人から五人程度のグループを作り、それぞれ協力してシャツを作ろうという授業だ。
仲の良い友人同士で「一緒にやろう」と声を掛け合う中、愛が加恋の元へやってきて「あたしのデザイン、使う?」と言う。「もちろん!」と二つ返事で答えて、加恋と愛は二人組を作った。
そして、今。
デザイン画から実際にシャツを制作している最中に、愛がぽつりと呟いた。
「私、なにかしましたかね?」
加恋がいるから、なんなのだ。
シャツを縫っていた手を止め、加恋はジトッとした目で愛を盗み見る。彼女は相変わらず美しい顔でデザイン画を眺めていた。
加恋の視線に気づいた愛が加恋を見つめ返して、ニヤリと笑う。
「うん。あたし、加恋がいるからここに居るの」
「……どゆこと?」
「退学しようと思ってたから」
「はあ?!」
突拍子もない愛の発言に、加恋は思わず大きな声を出した。教室内の視線が一斉に集まり、慌てて縮こまる。
「ああ、ごめん。今はもう辞める気ないけど。でも、友達にも彼氏にも裏切られた時、もうこんな学校辞めてやろうと思って」
「まじか。アグレッシブすぎる」
「だってあたしには特待生という権利があるもん」
それは愛が中学生の頃に大賞をとったコンテストの副賞だ。権威ある専門学校の、特待生という切符。
「あたしはデザイナーの道があればいい。デザインだけがあたしを認めてくれる。あたしを受け入れてくれる。それさえあれば良い。他は何もいらない。高校も、彼氏も、友達も、全部」
チクリ。
愛の発言に、加恋の心が痛む。唇を尖らせる加恋を見て、愛が付け足した。
「でも、加恋がいるから。『味方だ』って言ってくれた加恋がいるなら、もうちょっと通おうかなって」
「……まじで?」
「うん」
愛は製作途中のシャツの袖を持って、縫い目を確認しながら言う。
「このシャツ、完成したら加恋にあげるから」
「えっ、なんで! 二人で作ったやつだし、そもそもほとんど愛が作った服じゃん。もらえないよ!」
二人で協力なんて名ばかりで、このシャツは愛のデザイン画を元に、愛のアイデアに頼って作っている。加恋の労力なんて、ミシンをかける程度の下働きくらいだ。もらえない。
でも。
「だからだよ」
そう言って愛が笑う。
「前に加恋に似合うデザインを考えるって言ったじゃん。加恋の魅力を最大限に引き出すシャツ。それがこれ」
「ま、まじ?」
「だから受け取ってよ。愛先生がデザインした、加恋の為だけのシャツだから」
「ま、ま、まじかぁ」
「しかも実際にデザイン画を服にするの、実は人生初なの。これが、初めて作った記念の一着」
そう言いながら愛はシャツを優しく見つめる。
「記念すべき一着目。加恋と一緒に作れて良かった。……けど、加恋は嬉しくなさそうね。いらないなら、あげない」
「……いや」
――逆だよ、愛。
驚きと嬉しさで声が詰まる。
愛だ、と加恋は思った。
このシャツこそ、その想いが詰まったシャツこそが、愛の愛。
加恋はそれがたまらなく嬉しかった。
それを貰えることが、嬉しかった。
「……あの、ありがとう、愛。まじで一生大事にする」
「うん、そうして」
「する。まじで。自分が死んだらこのシャツと一緒にお墓に入るくらい大事にする」
「ぷはっ、なにそれ」
「まじで嬉しいって事だよ」
こんな宝物が学校の授業なんかで手に入るとは思わなかった。そう思っているのはきっと加恋だけではない。愛もまた、そう思ってくれている。それがまた、とてつもなく嬉しい。
数日後。
その授業で作ったシャツの中から、先生が選んだ数点が、県の高校服飾コンテストに選出される事になった。
当然、愛のデザインしたシャツも選出されるだろう。
そう思っていたのに、シャツは愛と加恋の元へと返ってきた。先生に選ばれたシャツは今頃、県の服飾協会へ送られている。
戻ってきたシャツを見て、愛は絶句した。
愛のデザインしたシャツは今見ても素晴らしい。襟の形がシャープで、加恋のくるんくるんな髪型に似合いそうな、愛の溢れたシャツだ。
でも、選ばれなかった。
「自慢してたくせに、選ばれてないじゃん」
そんな声が教室のどこかから聞こえる。
以前、よく愛と一緒に行動していた一軍女子たちが、遠くの席から愛に聞こえるように言っている。
「私たちのシャツは選ばれたけど」
「大賞とったって自慢してなかったっけ?」
「まぐれじゃん」
降り注ぐ罵声を受けて、愛がシャツを手にしたまま教室を飛び出す。加恋も思わずあとを追った。
「愛!」
呼びかけても愛は止まらない。
昇降口まで走っていった愛は、シャツを玄関先から外に投げ捨てた。泥のついたアスファルトに落ちたシャツ。愛はそれを思いきり踏みつけて、足でぐりぐりと地面にこすり付ける。
「愛やめて!」
愛がデザインしてくれた、加恋の為の、加恋に似合うシャツなのに。
愛と二人で作ったシャツだ。
愛がくれたシャツだ。
愛のこもったシャツだ。
けれど愛は、それを踏みにじる。
「こんなもの! こんなもの! いらない!」
愛は叫び、けなした。
愛の腕を引っ張って止めようとしたけれど、逆に加恋は愛に突き飛ばされ、泥まみれの地面に尻もちをついた。その間もシャツは泥にまみれ、布地はアスファルトによってボロボロにされていく。
「やめてよ愛」
涙が出る。愛が壊れる。愛が傷つけられる。一生の宝だったはずの愛が、愛によってぐちゃぐちゃにされる。それが加恋にはどうしても耐えられない。
「やめてってば! 愛!」
叫ぶ加恋に、ようやく愛が視線を向けた。
「あんたも、いらなそうだったもんね、あたしのシャツ」
「へ?」
「あんたも、あたしのデザインなんて『こんなものか』って思ってたんでしょ」
「お、思ってないよ! 思うわけがない! すごいよ! すごい!」
加恋の言葉は紛れもなく本心なのに、愛は加恋の言葉をハッと笑い飛ばす。
「ああ、そっか。加恋は『すごい』って言えばあたしが喜ぶと思ってるんだっけ。はいはい、ありがとう。でも、そういうのいらないから」
「愛、違う! そうじゃない!」
「うるさい! そういうの、うんざりする。あんたもあたしを素直に馬鹿にしたらいい。あたしのご機嫌とって偽善者ぶらないでよ、鬱陶しい」
「愛!」
「才能ないって思ってるんでしょ。あんなクラスメイトに負ける無能。過去の栄光にすがってるだけの馬鹿。そう言いたいなら言えばいい」
「そんなこと思ってないってば!」
「ほんとうるさい。大っ嫌い」
愛はボロボロになったシャツを持ってどこかへ行ってしまった。追いかけた先の女子トイレで、ゴミ箱に捨てられたシャツを見つけて、加恋はそれを大事に持って帰る。このシャツはもうボロボロすぎて元には戻らないだろう。それでも捨てられてしまうのは悔しかった。
それから愛は、加恋をも避けるようになった。
話しかけても、そばに行っても、愛は加恋を無視して離れていく。
ささくれ立った愛が生きていくために選んだのは、加恋ではなく孤独だった。
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