【KAC20244】ささくれ
@nonameyetnow
―― 序 ――
愛は偽善だ。
「人を愛しましょう」
「平和を愛しましょう」
「愛は真心、恋は下心」
「愛は素晴らしい」
「愛は尊い」
「愛は」
「愛は」
愛はそんなに素晴らしいものか?
愛に夢を見て、愛に理想を重ね、愛で人を縛り、愛で自分を慰める。不都合はすべて愛のせいにして、愛に自分の欲を貫く。
愛。
理解出来ない。
*
「愛、一緒に帰ろ」
高校二年。冬。
加恋は教室の隅で独り黙々と絵を描いていた愛に声をかけた。
「って、何描いてるの?」
覗き込んだノートには、お洒落な服を着た人物のデッサンが描かれている。何体も、何体も。個性的で魅力的な衣装を身にまとったマネキンが列をなしていた。
「お、いいね。愛先生の冬の新作?」
「頭に浮かんだデザインを描きとめてただけ」
「へぇ。さすがは未来のトップデザイナーだ」
加恋の言葉に愛が満足そうにほほ笑む。そんな愛を見て、加恋も嬉しくなった。
ああ、良い。
加恋は愛が好きだった。
加恋が愛と知り合ったのは、高校に入学して数日が経過した頃だ。同じクラスだけど、遠い席。黒髪ロングの美人で、気の強そうな目をした愛の事を、チビで天パーの性別不詳系女子の加恋は、別世界の人間だと認識していた。仲良くなる事はないだろう。関わる気もないし、当面は名前すら覚える必要もない。だから加恋はしばらく、愛の事など気にも留めていなかった。
転機となったのは入学式から二週間がたったある日の放課後。
たまたま一人で帰宅していた加恋は、新幹線も止まる主要駅の駅ビルで、とあるポスターに目を奪われていた。
それは、駅ビル内のファッションフロアのポスター。スプリングコレクションを紹介するポスターで、様々なショップの一押しコーディネートの写真が円形に並んでいる。華やかに春めく、色とりどりの洋服たち。でもそのポスターの中央に据えられていたのは、洋服の写真ではない。
(――デッサン画?)
加恋にはそこに描かれた絵をなんと呼ぶべきか判らなかった。けれどそれは、「デザイナーが衣服のデザインを描いた」と言われた時にイメージする画像そのもので、今年の春にぴったりな新作コーディネートなのだと一目でわかる。
それを見た瞬間、加恋の胸は高揚した。ワクワクと踊りだし、気持ちを抑えられなくなる。
(なんか、すごい)
ポスター内に何着も並ぶ、実際の洋服で表現されたコーディネート。だがそのデッサン画は、そこにある実物を喰ってしまうほどの強いインパクトを放っている。
綺麗だった。色が。シルエットが。全体的な雰囲気が。
春の華やかさと期待が溢れる服。人を虜にする、絵。
(たまらない!)
もしもこれが本物の衣服になったら、どれだけ素敵だろう。背の高く美しいモデルがこの服を着て、ランウェイを颯爽と歩く姿を想像して息を飲む。見てみたい。この絵の実物が、現実にあったなら……。
「――気になる?」
そんな時だった。後ろから声をかけられたのは。
加恋は振り向いて、驚いた。加恋に声をかけてきたのはなんと、加恋とは別世界に住むクラスメイト、愛である。
「あ、えっと。うん」
答えながら疑問に思う。
なんで声をかけてきたんだろう。
一応クラスメイトとはいえ、今まで接点なんてなかった。そもそも、教室内で目立つ愛と違って、地味でモブ気質の加恋だ。こんな公共の場で会ったところで、愛が加恋をクラスメイトだと認識出来ているかどうかさえ怪しい。
愛は加恋の警戒に気づく様子もなく、スッとポスターの前まで進み出て、そのデッサン画に触れた。
「これね、あたしが描いたんだ」
「えっ」
冗談には聞こえなかった。
いつくしむような目でデッサン画を撫でる愛は、子どもに無償の愛を与える母親みたいに見える。そこには確実に愛がある。誰にも遮る事の出来ない、純粋で力強い愛が。
「まじで?」
「うん。まじで」
そう言って微笑む愛の顔は、自信に満ち溢れていた。『あたしが描いた』『あたしの自信作』『あたしの才能』『あたしの個性』『あたしの魅力』――どう? あたしは。
そう問われている気がした。
「……すごい。でも、なんでポスターに? だって」
ただの高校生じゃん。
と言うのははばかられた。加恋が知らないだけで、愛はその業界では凄い人なのかもしれない。高校一年生だけど、世の中には凄い人が山ほどいるのだから。
加恋が口ごもった疑問に、愛がニヤリと笑う。
「聞きたい?」
「うん」
そりゃあ、聞きたい。魅力的なものに対する純粋な好奇心だ。カースト下位の加恋にとって、カースト上位の愛は未知の存在だった。知りたい。この人の描いた物の事。この人の自信の源を。
頷く加恋を見て、愛は満足そうに肩の力を抜く。
「じゃあタリーズ行こ。話せば長くなるから覚悟して」
「え、まじか」
「まじだよ。ほら、早く」
大股で駅ビル内を闊歩する愛の後ろを、加恋はちびちびとついていく。後ろから眺める愛の姿も、凛としていて格好良かった。強くて、魅力的。たぶん生き方が歩き方に出ている。
この人にスムーズについていけたらなあと、加恋は小走りで追いかけながら思った。
駅ビルの地下にあるタリーズ。奥まった二人掛けの席に向かい合って座る。
愛は自分の買ったハニーミルクラテを机の端に置いて、鞄から取り出したノートを机に広げた。
「どう思う?」
見開きになったノートには、様々なデザインの服を着たマネキンのイラストが六体。
「……えっと、すごい」
「語彙力!」
加恋のチープな感想に愛が笑う。
(申し訳ない……)
何がどうとか上手く言えないけれど、でも、何か感じるものがある。それが、すごい。
加恋が眉を寄せながら見上げた愛の顔は、機嫌よく微笑んでいた。
「でも、ありがとう。あたしね、デザイナー目指してるんだ。すごいって言ってもらえると、やる気出る」
「まじか。じゃあ何度でも言うよ。すごい。すごく、すごい!」
「あ、そういうのやめて。安っぽくて萎える」
「……まじか、ごめん」
でも、実際、愛のデッサン画はすごかった。魅力を言語化する事は出来ないけれど、自分がそのデッサン画にものすごく惹かれている事は理解できる。少なくとも、これが素人の作品とは思えない。
「あのさ、デザイナーを目指してるって事は、まだプロとかじゃないってこと?」
「まあ、そうね」
そう言って髪をかき上げる愛は自信満々で、まるで東京ガールズコレクションのバックステージに立っていそうなトップデザイナーのようにも見えた。「まだ」プロじゃないだけで、すぐにでもプロになる。そんな雰囲気が、本人からも作品からもにじみ出ている。
「でも、じゃあ素人なのになんでポスターに採用されてるの?」
「ふふっ。よくぞ聞いてくれました、相沢加恋さん!」
突然フルネームで呼ばれて、加恋はドキリとする。
「おぉう、名前。……知ってたんだ」
「え? あ、まさか相沢さん、私の名前わからない?」
「いやいや、まさか! 渡辺愛さん。美人だし、目立つし、そりゃ覚えてるよ。でもほら、私はこんなだからさ。一軍の渡辺さんが私の事なんて知るわけないと思った」
「はあ?」
突然、愛がムスッとしてラテをすすった。何か変な事を言ったかな。バツが悪くなって、加恋も同じように抹茶のスワークルを一生懸命吸い込む。
「卑屈」
愛が吐き捨てる。
「そういうの、格好わるいよ」
そう言う愛は格好いい。
「……はい」
やっぱり住む世界が違うと思った。愛はいちいち格好いい。知れば知るほど近づけない。そう思った加恋が俯いていると、愛が言う。
「愛で良いから、あたしの事。あたしも相沢さんのこと、加恋って呼ぶね」
「お、おう、まじか」
なんでだ。
理解が追い付かなかった。何故この一軍女子はこんなモブ女子なんぞに情けをかけるのか。
だが、そんな質問をしては更に空気が悪くなりそうで、加恋は一応納得しているフリをした。
(愛、か。呼べるかな)
強いオーラを放つ愛。彼女と対等にやり合うなんて、加恋にはハードルが高すぎる。そんな加恋の気持ちなど露知らず、愛は力強い目で加恋を見つめた。
「……何か?」
「あたしさ、自分の髪、あんまり好きじゃないんだよね」
「はあ……」
愛が長い黒髪を右手でサラッとなびかせた。
「完璧なストレート。巻いても全然癖つかないの。アレンジしてもスルスルほどけてきちゃうし。だから――」
愛の手が加恋のくるくるしたショートヘアに伸びる。
「加恋の髪、良いなって思ってたんだよね。可愛いなって、目で追ってたの。だから覚えてた、名前」
愛は加恋のくるくるの髪を指に巻き付け、するりと抜いた。いつくしむような愛の目が、加恋の胸を熱く刺す。
「あ、ああ、この髪か。私はあんま好きじゃないけど、そっか」
みっともないと思っていた。加恋は自分の天然パーマが嫌いだった。とっ散らかって、まっすぐにもならなくて、なんのメリットもない。なのに、可愛いんだそうだ。そんな事、初めて言われた。
高揚する感情とは裏腹に、加恋は消極的に目を伏せる。
――きみはそんなにこの髪が好きかい? そんな目をして、私を追ってくれてたの?
奇特な人も居たものだ。ただ、褒められ慣れてなさすぎて、照れる。
「愛……に、覚えてもらえたなら、悪くないね、この髪」
「悪くないでしょ、最初から」
(まじか)
彼女の放つ芯の通った「悪くない」が、加恋の身体に染み込んで、自分の背骨になっていく。加恋を内側から強くする。
――ああ。この人、好きだ。
加恋はそう思った。
強くて、綺麗で、格好いい。
愛は自分の理想だ、と加恋は思った。
とんでもなく、格好いい。
「で、ポスターの話だけど」
愛が言う。
「あのポスターの絵ね、コンペで大賞とったデッサンなの」
「コンペ?」
「そう。ノブレス服飾専門学校って知ってる? 駅前にあるんだけど」
加恋は首を横に振る。愛の説明によると、東海地方ではかなり有名な服飾系の専門学校で、卒業生には海外で活躍する有名なデザイナーが大勢いるらしい。
「去年、そこが主催するデザインコンテストがあったの。次世代デザイナーを発掘するってやつ。大賞は特待生として入学金ゼロ、学費ゼロでその学校に通えるってやつで」
「えっ、じゃあ、そのコンテストで大賞とったの?」
「そういうこと」
「まじか!」
ほとんどの応募者が高校生や社会人の中、当時中学三年生だった愛の作品が大賞に選ばれた。自分より長く生きてきた人達を、自分の実力でねじふせ、勝ち取った大賞。
「ニュースにもなったし、タウン情報サイトでも記事になったんだ。ほら」
そう言って愛はスマホの画面を見せる。賞状を持った中学の制服を着た愛と、あのポスターにあったデザイン画が並んでいた。
「まじだ。すごい」
「でしょ。それでね、この記事を見たポスターのデザイナーさんがあたしのデザインを凄く気に入ってくれて。この絵をポスターに使えないかって、偉い人たちにかけあってくれたの。それであのポスターになったってわけ」
「すごっ……すごい」
「あはっ。加恋、さっきからすごいしか言ってない」
「だって、すごい」
だって、加恋には「すごい」としか言いようがなかった。
だって、まだ高校一年なのに。
住む世界が違う。格好いい。……すごい。
呆然とする加恋に、愛が笑いかける。
「なに、そんなに尊敬してくれるの? 可愛いなあ、加恋は」
そう言って愛は、加恋の髪をわしゃわしゃと撫でた。慈しむ目。愛に満ちた目。なぜそんな顔をするのかと、加恋は困ってしまった。
(ああ、どうしよう。胸が苦しい)
大きな感情に押しつぶされそうだった。
加恋は今、自分がどんな表情をしているのか、考えられなかった。よくわからない感情が表に出てしまっていたらと思うと、怖い。
「加恋にも描いてあげるよ、デッサン」
「……へ?」
「加恋に似合う服、あたしがデザインしてあげる。加恋に世界で一番似合う服。加恋の魅力をあたしが最大限に引き出してあげる。なんといっても未来のトップデザイナーだからね、あたし」
「ま、まじかぁ」
――ずるいな、愛。
優しい愛。強く美しい愛。
魅力的な愛が加恋の心を掴んで離さない。
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