ササクレ日和

おひとりキャラバン隊

ササクレ

「ササクレ〜」

 という声が聞こえて、私はハッと我に返った。


 まるで自分の心がささくれ立っているのを、見透かされた様な気がしたからだ。


 高校生活最後の夏休み。


 クラスメイトの仲良しグループで企画した「思い出作り」の一環で、今日の私達は都内の動物園にやって来ていた。


『思い出作り』なんて言ってるけど、要は一部の男女の恋を応援するのが目的になってるのが実態で、クラスの中でそれほど目立たない私などは、彼らを盛り上げる為のお囃子みたいなものだろう。


「笹くれ〜」


 動物園のパンダの檻の前で、クラスメイトの川口俊也がパンダの動きに合わせてアテレコでもする様におどけて見せた。


 私がお囃子なら、川口君は太鼓持ちだろうか。


 川口君はクラスでも目立つ存在ではあるけれど、お調子者の彼は、どちらかといえば面倒臭い存在だと思われているのではないだろうか。


 今回の企画には、クラスメイトの半分くらいが集められた。


 22名が集まり、そのうちの半分以上が意中の相手と一緒になる為に一生懸命アプローチをしている様だが、そんな雰囲気の輪の外にいる私などは、何となくみんなの動きに合わせて付いていくだけだった。


 そんな中、誰かが

「ゾロゾロ動くの大変だから、ここからは4人1組で行動しようぜ!」

 と提案し、

「いいねいいね!」

 と一気にグループ分けが行われた。


 で、その流れに旨く乗れずに最後まで余ってしまい、幸か不幸か、私達は2人の組合せになってしまった訳だ。


 私はそんな自分の境遇と、こんな私と2人にされた彼に同情しながら、それは同時に自分自身を卑下している事でもあるのだと気付き、自然と自嘲的な笑いが漏れた。


「お、笑った? 今の面白かった?」


 私が漏らした自嘲的な笑いが、川口君には自分の放ったジョークがウケたのだと誤解させた様だ。


(違うよ。あんたが面白かった訳じゃないよ)


 そう言葉にすれば良いのか、それとも調子を合わせて「ウケる〜」等と言っておけば良いのか、その場で答えが出せないのが私という人間だ。


 どうして良いかも分からないまま、時間だけは無情に過ぎて、準備する間も無く次の選択肢が現れる。

 そしてまた、正しい答えが分からないまま時が過ぎ、焦りや怒りで私の心が少しづつ、だけど確実にささくれ立って来るのを感じるのだ。


 私が無言なのを気にする様子も無い川口君は、

「パンダよりも、他の動物が良かった?」

 と私の意見を求めて来る。


(頑張ってるなぁ、川口君)


 私はそんな事を思っていたけど、川口君が何を頑張っているのかなんて、実際のところ何も分かっちゃいない。


「別に…」


 と呟いた私の声なんて、どうせ無視されて流されるだけだから…


 と思っていたが、川口君は私が想像していなかった行動に出た。


「だよな! パンダ可愛いよな!」

 と嬉しそうに声を上げた川口君は、「コロコロしてて、それでいて優しそうな感じが、日下部くさかべさんにソックリだ」

 と突然私の苗字が聞こえてきて、私は内心パニック状態になってしまった。


 日下部八重子。


 それが私の名前だ。


 文字数ばかり多くて、可愛くも無いし記憶にも残らない名前。


 クラスの女子の中には「やえ」とか「ハッチ」とか呼ぶ子も居るけど、そんなのは「日下部」という苗字が読めずに、名前からあだ名を付けられたに過ぎない。


 私は自分の名前も嫌いだし、太った身体も嫌いだし、団子鼻と腫れぼったい一重瞼の顔も嫌いだし、カーリーで湿度が高い日はボサボサになる髪質も嫌いだ。


 男子からは「おい」とか「お前」とか呼ばれる事はあっても名前で呼ばれる事など無かったし、ましてや読み方が難しい苗字で呼ぶ者など、担任教師以外には…


 なのに川口君が、突然私の苗字を口にした事に驚きを隠せず、どう反応すれば良いのか分からずにオロオロしてしまった。


 そんな応用力の無い自分の性格が、本当は一番嫌いなのかも知れない。


 だけど今の私の混乱は、川口君が言ったセリフを聞き間違えた事によるところが大きい。


 だって、「可愛い」とか「優しそう」とか、それはパンダの事を言ったのであって、私の事では無い筈だ。


 なのに私の心が、「もしかしたら自分の事を言ったのかも知れない」と、勘違いをしようとしているのだ。


 それを必死に「勘違いするな!」と理性で押さえ付けなければならないのだが、不意に苗字を呼ばれた事で「可愛くて優しそうな私」という間違った認識が、心の中で頭をもたげて制御が困難になっているのだ。


 何か言わなくちゃ。


 何か、興味が無さそうな雰囲気を放てる一言でいい。


 何か…


 と、考えがまとまらないままに私は口を開いてしまい、漏れ出た言葉は、


「どうせ私、ブスだし」


 だった。


(ああ、また自分を卑下してしまった…)


 こうして心のささくれはどんどん酷くなり、ささくれ立った心が、やがて自分と相手を傷つける言葉を発射してしまう。


 これまでもそうだったし、今もそうだ。


 こうして私は再び「名も無き、ただのクラスメイト」として川口君にも認識される事になるのだろう。


 そう思っていた私に、川口君はこう言った。


「誰がブスだなんて言ったんだよ。俺は『可愛い』って言ったんだぜ?」


「え?」


 私は自分の耳を疑う様な事は無い。


 だけど、私が『可愛い』なんて言葉は事実なんかじゃない。


 その言葉をそのまま受け止める事は出来ない。


 川口君の顔を見ると、彼は私を真っ直ぐに見返していた。


 その表情は、私を騙そうとしている様にも、からかっている様にも見えなかった。


「本気で言ってる?」


 私の声は、心のささくれと同じでトゲがあったかも知れない。


 けれど川口君は、

「本気に決まってるだろ」

 と言って、真っ直ぐに私の目を見たまま「丸くてコロコロしてて、ホントに可愛いと思うぜ?」

 と、その顔は真剣味があり、少し頬を赤らめている彼は、いつものお調子者には見えなかった。


「私、デブだし」

 と私が言うと、


「デブじゃなくて、ぽっちゃりだよ」

 と彼が言う。


「私、くせ毛だし」

 と私が言うと、


「俺はフワフワしてる方が好きなんだよ」

 と彼が言う。


「私、性格悪いし」

 と私が言うと、


「性格悪い奴ってのは、自己中で他人をバカにする奴の事だよ。日下部は他人を傷つけようとは思ってないだろ?」

 と彼が言う。


「私が可愛いとか、川口君の美的センスに問題あるかもよ?」

 と私が言うと、


「俺はほっぺが可愛い子が好きなんだよ。赤ちゃんのほっぺとか、すげー可愛いだろ?」

 と質問で返してくる。


「そりゃあ、そうだけど…」

 と私がうまく返せないでいると、


「日下部さんのほっぺ、めちゃくちゃ可愛いぞ」

 と彼が臆面も無く言う。


「わ、わたし…」

 私がとうとう言葉を失ってしまうと、


「俺はお調子者で、クラスのみんなとうまく付き合えてないだろ?」

 と彼が、突然そんな事を訊いてきた。


「…よく分からない」

 としか答えられない私に、川口君は、


「何ていうか、みんなと仲良くしたくて色々やってるのに『お調子者』扱いされてて、何か心が…、ささくれてくるじゃん?」

 と話し出す。


「でもさ、日下部さんを見てると思うんだよ」


「どう思うの?」


「何ていうか、『反りが合う』って感じかな」


「何それ?」


「つまり…、日下部さんを見てると、俺の心のささくれが、何ていうか、包まれる感じみたいな…」


 いつもペラペラと饒舌な彼が、言葉を詰まらせながら、私に大切な事を伝えようとしている。


 彼はちゃんと私を見ていて、私をそのまま受け入れてくれている。


 そうよ。


 私は悪気なんてこれっぽっちも無くて、ただ、みんなと旨く馴染めないだけなのよ。


 みんなの心の形に、私の心の形がピッタリと重ならないの。


 だから、自分を犠牲にして、その形を変えようとして、その為に心が歪に裂けて、あちこちがささくれ立つの。


 だけど、川口君が言う事が、少しだけ理解できた様な気もする。


(そうか、彼の心のささくれと、私の心のささくれが、お互いにピッタリ重なってるんだ…)


「何か、分かる気がする。私も、川口君と話してる内に、何か、心が自然体になる気がする」


 こんな事、初めて言った。


 他の誰にも言った事が無い様な、哲学的で、恥ずかしい話。


 だけど川口君の口からも、そんな話を初めて聞いた。


 だからお互い様だ。


「どうしたの?」


 川口君が両手を上げて拳を突き上げながら、驚いた様に私を見ている姿に、私は不意にそう訊いていた。


 川口君は、そういうポーズの像の様に動かないまま、表情だけはみるみる嬉しそうな笑顔になった。


「やった! 伝わった!」


 そう叫ぶ川口君を見ながら、私は少し微笑んでいたかも知れない。


 そうか、彼もどうすれば心が伝わるのかが分からなかったのか。


 他のみんなとは、心の形が少し違う私達。


 無理に形を合わせようとしても、心がささくれるばかりで、自分が痛みを受けるばかりだった。


 だけど、自分らしさを受け入れてくれる人が、こんなにもすぐ近くに居た。


「せっかくだし、仲良くしようよ」


 私のセリフは間違っていたかも知れない。


 もっと気の利いたセリフが良かったのかも知れない。


 だけど、心が思ったままに声にしたら、陳腐かも知れないけど、出てきたのはこんなセリフだった。


 だけど、川口君は大きく頷いて、


「そうしよう! 仲良くしよう!」


 と嬉しそうだ。


 そうか、これが「伝わる」という事なのか。


 たったこれだけの事なのに、なんて心地よいのだろう。


「うん」


 と私は短い返事しか出来なかったけど、川口君には伝わった筈。


「手、繋いでいい?」


 と顔を赤らめながらそう訊く川口君は、私とは違うタイプのブサイク顔だけど、恥ずかしそうなその表情に、私の心が「めちゃくちゃ可愛い!」と叫んでいた。


 私は無言で右手を差し出し、彼が私の手を優しく包みこんだ。


 その手は優しいのに力強く、温かかった。


 他の誰かが決めた価値観など関係ない。


 彼はカッコイイし、可愛いし、逞しい。


 そんな彼が私を可愛いというのだから、きっと私は可愛いのだ。


 お互いのささくれた心が、お互いの形にピッタリと合わさる様に重なっていく。


 2人で一つの心になった。


 きっと、そういう事だ。


 もはや他のクラスメイトの事などどうでもいい。


 そんな私は、


「ねえ、このまま2人でどこか行かない?」


 と訊いていた。


 きっとこんな答えが返ってくるだろうと分かる気がした。


「俺も同じ事を考えてた」


 …ほらね?


 こうして私は、心の友と巡り合う事が出来た。


 きっとこの先、彼とは恋人同士になるだろう。


 そして将来は、結婚するに違いない。


 川口君が私の手を取り、動物園の出口に向かって歩き出しながら、


「何か俺達、将来は結婚する気がするな」

 と言った。


 …ほらね?


 私は笑顔で頷いて、


「同じ事考えてた」


 と言ったのだった。

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ササクレ日和 おひとりキャラバン隊 @gakushi1076

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