第20話 書く理由
私の呼びかけに、作者こと都町車らしき男は酷くうろたえた。
「叫ぶなよ、壁薄いんだ! 俺が隣に怒られるだろ!」
喉を押し殺した声で、私に向かって注意する男に、私は鼻で笑う。
「怒られればいいわよ。それが、イヤなら戻ってきなさい」
こいつが隣人に怒られたとて、正直私には痛くも痒くもない。それに、逃げなきゃいい話なのだ。私はにやりと口元を歪めながら腕を組み、しっかりと声にドスを効かせて脅し掛ける。男はわかりやすく、「ぐぬぬ」と顔を悔しそうに歪めた後、渋々とした足取りでベッドへと戻ってくる。そして、マットレスの上にあぐらをかいて座った。
「それでよろしい」
美しく微笑んだ私はマットレスに足をセクシーに崩して座る。マットレスで向かい合う私たち、普通ならいいムードになるような大人なシチュエーションだけど、残念ながら私たちの間は殺伐とした雰囲気が流れていた。
「なんていう悪夢だ。どうして、お前が俺の部屋にいんだよ」
男はまじまじと私の頭から足下まで見た後、信じられないと頭を抱える。悪夢とは酷い言い草だけれども、彼が頭を抱えるのもわかる。
「私も知りたいわよ、作者様」
「はあ、本当に自分が書いている小説の主人公が部屋にいるとか、俺なんて疲れているのかな」
「そうかもしれないわね、あんた酷い顔してるもの」
ハアと大きなため息を吐いた男こと都町車。
部屋に差し込む月の光が、彼を照らしていた。
しわしわのワイシャツ、ボサボサの髪、真っ青なクマ、荒れ放題の肌に無精ひげ。かなりくたびれた社会人感があまりにも表にでている。
「仕方ないだろ、会社のシステムで障害が起きて、ほとんど会社に缶詰だったんだ」
「あら、それもあって最近書いてなかったのね」
どうやら最近私たちに会いに来れなかったのにも、正当な理由があったようだ。私もそれなら仕方ないと、心の中で握っていた拳を奥底にしまう。しかし、私の言葉を聞いた彼は、途端に困ったように眉をハの字にした。
「それもあるけど……」
「なに、他は?」
「なんだ、俺が書いてないから、わざわざ幻にまでなって責めに来たのか」
「責めるのは理由を聞いてからよ」
あまりにも歯切れの悪い反応に、私はすぐに突っ込みにかかれば、嫌そうに目を細める。そして、作者は気まずそうに口をもごもごと動かした。あまりにもうじうじしているので、まだなのと軽く睨むと、彼は逃げるように私から目を反らす。
「太子に、『戦いたい』って言われて、喧嘩したら動かなくなっちゃったんだ」
「動かなくなった?」
頭に浮かぶのは唐突に倒れて、今も眠り続ける太子が浮かんだ。異常だとは思っていたが、作者に会えば解決する問題だと思っていた。
しかし、作者も今の事態にかなり困惑しているのがわかる。
「おかしいだろ、俺が作者なのに、登場人物が動かないなんて」
「たしかにね」
「他の創作しているネット友達にも聞いてみたけど、普通そんなことないって言われて、自分でもどうにもならなくて」
堰き止めていたことが口から溢れるように、作者の心がモロだしになっていく。忙しいのもあるのだろうし、多分彼の身体には酒が残っているのかもしれない。
「プロットも書いてみたけど、やっぱ動かないんだよ。太子が動かなきゃ、動かなきゃ」
「意図的に動かしていないと思っていたわ。でも、どうして動かないのかしら」
「わかんねえよ、わかったらここまで困らねえよ」
まるで、迷った幼子が駄々をこねているよう。ほら今も、作者は衝動に任せて吐き捨てた言葉に、少し経過してから後悔している。
「質問を変えるわね。作者は、太子をどう動かしたいの」
「……痛い目にあってほしくない。危ない目にあってほしくない」
「守られるだけのお姫様でいてほしいのね」
率直な意見を述べるが、作者は否定するように顔を強く横に振る。
「そういうわけじゃない、やっぱファンタジー旅もしてほしいし、色んな経験をしてほしい、タイチには!」
「タイチ?」
思わず、驚いて尋ねると、作者はまずいという表情で自分の口元を隠した。
「……い、言い間違いだ」
今更誤魔化そうにも、今の合間では無理がある。
これは何かあると睨んだ私は、ゆっくりと目を細め、疑いの眼差しを浮かべる。冷
「だ、誰だって、間違いはあるだろ」
変に上擦った声に、不自然などもり、額から吹き出ている汗。言いつくろえば、つくろうほど、どんどんボロが出ている。
まさか、作者がここまで嘘が致命的に下手だとは思わなかった。
「さっさと、吐けば楽になれるし、力にもなれるわ。言っとくけど、私は界隈でも有名になるくらいには、口堅いで有名なドラァグクイーンよ」
「なに、それ」
というか、危ない目に遭いたくないから、不用意に話さないだったが。
説得力があるかわからない肩書きさえも使って、作者に揺さぶりを掛ける。
「それに、これは悪夢なんでしょ、今ぶつけちゃえば良いわよ。夢なんだから」
「……それも、そうか。登場人物が、目の前にいるなんて、夢じゃなきゃ」
私の言葉に、遂に肩の力が抜けたのか、作者は大きく息を吸い込んで吐いた。その顔は張り詰めた物が切れたかのように、力が抜けだらりとしていた。この一瞬で五歳老けたのかと思うほどに、彼の顔からは生気があまり感じられなかった。
「タイチは、俺の死んだ甥っ子で、太子のモデルなんだ」
「甥っ子さんが」
その吐いた息の重さに、私の顔が思いっきり拳で殴られた気分だ。
「俺は、地主と謎の仏様が法律よりも偉いような、ど田舎のやべえとこ生まれたんだけどさ。
「えーっと、因習村って?」
「ホラー映画でテーマになりそうな、土着宗教はびこってる田舎のこと。俺も最近知った言葉だ」
なんとなく昔見たミステリーホラー映画で、そんなような題材があったような気がする。なんとなく、やばい土地に生まれたのだろうというのはわかるが、ここは深掘りしても仕方ないと私は続きを話すように促した。
「タイチは俺の姉の子でさ、村で唯一の子供で地主の跡取りだった。ただ、病弱で、走ったらすぐに体調を崩しちゃうからと、ほとんど屋敷に引きこもってた」
月夜の光を見上げた作者は、酷く寂しそうだった。
「その時には都会で働いていた俺だけど、帰省するたびに、俺に『お兄ちゃん、お外のこと話して』ってせがんでくるのが可愛くて。懐いてくれてたんだ、いつか遊園地も連れてくって」
「大好きだったのね」
「大好きだ、俺の人生で一番大好きだった。でも、姉達はタイチの弟が生まれたら、さっさと離れに追い出してた」
「え」
雲行きの怪しい流れ、作者の声は少しばかり震えており、隠された憤りを感じる。
「そして、五歳になったばかりの時、風邪をこじらせて死んだんだ」
悔しそうに、悲しそうに、喉をかき分けた言葉は酷く重い。
亡くなるにしても、あまりにも幼すぎる。予想していたのに関わらず、言葉を失うほどに。
冷え切った空気は、私たち二人をどんどんと凍らせて、動けなくしてくる。
このままでは、駄目だ。私はこの沈黙を破った。
「どうして、作品を書こうと思ったの?」
「……せめて、創作の世界の中でだけでも、いろんな世界を見てほしかったんだ。元気で、幸せで、楽しい人生をりあんな箱庭じゃない、広い広い世界で送ってほしかった」
返ってきた答えは、切実な願いだった。
「だから、太子をあんなに大切にしてるのね」
どうして、太子が生まれたのか。何故、こんなにも傷つけたくないのか。
それはそうだ、彼にとって創作する根本は、太子を通してタイチが幸せになること。
大切な宝物を、わざわざ傷つけたくないというのはわかる。
そして、彼こと都町車の強い願いが、神様に届いたのだ。
でも、だからこそ、彼に言わないといけない言葉がある。
「じゃあ、なんで、あんたが今、太子の足枷になってるのよ」
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