第19話 逃げるな!

 あれから二日ぐらいだろうか。

 太子は一向に目覚めず、作者も現れない。


「ごめんドラ、ちょっとアポがあるので一時的に離れるドラ」

 ドラゴンも次の予定があるらしく、離脱してしまった。一時的とは言え、こちらも再開する兆しは見えない。

 太子をおんぶして、ハムスターなハムチーと共に洞窟を一時的に出る。まだまだ世界が構築できていないようで、洞窟の中にはコウモリがぶらぶらとぶら下がっているだけだ。しかも、洞窟の最奥と出口までの場所が徒歩五分ほど。


 洞窟を抜ければ、そこは例の小屋がある森の空間だった。


 小屋の中に入り、プリンセスベッドの上に太子を寝かせる。

 一切起きる気配はなく、小さな呼吸音が無ければ死んでると思ってしまうほど。

 何度か死んでるのではと、ハムチーと不安になり、太子の口元に手を当てて呼吸を確認したほどだ。


「ハムチー、今日もどうしようかしらね」

「たしかに、台本も更新されないッスね」

 私たちは厚さの変わらない台本を確認し、仕方ないと一度小屋から外に出る。そして、悲観からため息を吐いた後、設置されていた木のベンチに古紙を掛け、ぼうっと風景を眺めた。


「やっぱ、太子を起こすには、白雪姫みたいに王子様のキッスが必要なんッスかね」

「なに、あの作者が王子様とでも言いたいの? 冗談きついわね」

「カボチャパンツに白タイツ、ハリセンみたいな襟元とか、似合いそうなんすけどね」

 二人の目の前に広がる空は、朝焼けの柔らかな光に包まれ、淡いピンクとオレンジが織りなす絶妙なグラデーション。マジックアワーと言われる色らしい。

 そして、空の下に広がる森は、濃緑が生い茂り、みずみずしい光を浴びて輝いていた。時折、小鳥がピヨピヨと鳴き、自由な姿が空の広大さと美しい森を際立たせる。私たちがぼうっと眺めている間も、太陽はゆっくりと昇り、その温かな光が森全体を優しく照らしている。


 こんなのんびりしているが、正直こんなことしている場合じゃないほど、かなり崖っぷちの状況だ。

 でも、冗談の一つでも言ってないとやってられない。


「レーヌさん、ポーカーでもやりません?」

「もう40試合くらいやってるでしょ。しかも私二回勝ち越しなんだから」

「じゃあ、フラッシュ」

「25試合全敗しているからイヤ」


 この世界でやれることには限りがある、トランプやサイコロ等、商標権に問題ない遊びしか錬成できない。将棋や囲碁、チェス、麻雀も出せたが、残念なことに私たちは遊び方を知らなかった。

 結果、トランプか、チンチロかという悲しい選択しかなかった。

 ちなみに縄跳びもやったが、二人で縄跳びはあまりにもシュールだった。キャッチボールは、私のノーコンっぷりに絶望し、すぐにやめた。


「じゃあ、踊りますか」

「そうね、それがいいわね」

 あまりにも暇すぎて、私たちは適当な鼻歌を奏でながら、適当に踊る。モンキーダンスだったり、盆踊りだったり、本当に何も考えず変な動きをする。

 傍から見たらやばい光景だが、この世界は今私たちしかいないので、恥はとうに捨てた。


「いや、本当に暇ッスね」

「そうね」

 ただ、恥を捨てたとて、時間が消費できるわけではない。

 ハムチーはため息を吐くと、寝ている太子の様子を見てくると言って、とぼとぼと小屋の中へと戻っていく。私はその背中を見送り、また外を眺める。


 これは、完全に手詰まりだと言えるだろう。

 登場人物ライクとは言え、私はあくまでもこの世界でしか生きられない物語の登場人物。

 物語を実際書いて膨らますのは、作者しかいないのだ。

 そして、作者に直接喝をできるとしても、この世界に現れないと何も出来ない。


 あ、考えれば、考えるほど、怒りがこみ上げてきた。


「くそおおおおおおお作者めえええええ!!」

 怒りにまかせたまま、腹の底から積もった恨みをぶつけた。広い森に響き渡り、驚いた鳥たちがバタバタとうるさく羽ばたいていく。ああ、なんとベタな光景か。

 どうすれば、作者を直接ぶん殴れるのか。


「夢で繋がるんでしょ。どうせなら、くらい出来てもいいじゃないの」

 少しだけ落ちついた気持ちで、ぽそりと吐き捨てた。その瞬間、ぐらりと身体が傾く。まるで急に足下の地面が無くなったかのように、足の平にあった感触が消えた。


「ッひやああああああ! ちょっとおおおおお!」

 私の間抜けな叫び、空は遠くなっていき、暗い穴の中へと落ちていく。

 嘘でしょ、これは死ぬわ。

 恐怖から目をぎゅっと強く瞑った。いつか強い衝撃が来るだろう、その時が私の最後だと覚悟した。

 しかし、意外なことに、急に浮遊感がなくなり気づいたら、自分の両足に地面の感触が戻ってきた。

 何事だと恐る恐る目を開くと、そこは見たことのないワンルームの小汚い部屋。

 狭い空間の中に、どんと置かれたベッドは、ダサいネイビーストライプのシーツにくるまっていた。

 パソコン用と思われるデスクには、使い込まれたパソコンの隣に食いかけのカップラーメンが積み重なっている。

 床には転がったペットボトルや、握りつぶされた缶ビール、捨て忘れたと思われるゴミ袋二つなどが汚く転がっている。

 さらには、投げ捨てられたビジネスバッグ、脱ぎ捨てられたスウェットのズボン。かろうじて、随分とよれたスーツの上着だけが壁にかけられていた。


 そして、この部屋の持ち主かと思われる男は、ワイシャツにスーツのズボンのまま、ベッドにうつ伏せで寝っ転がっていた。

 髪の毛はぼさぼさで、相当限界だったのだろう。ぐがぐがと汚いイビキをかいていた。

 一体、ここはどこ。

 状況がわからない。

 しかも足下を動かそうとするが、一歩も動けない。

 私はせめて男の顔を見ようと、手を伸ばす。しかし、私の手は透けて、通り抜けていく。


 何これ、私、幽霊みたいじゃない。


「ちょっとそのツラ、見せなさいよ」

 仕方ないので、言葉攻撃に変えてみる。


「どうせ、しけた野郎なんでしょ、さっさと起きなさいよ」

 男は小さく「うぅん」と唸る。もしかして、声は聞こえているのだろうか。これは、もしかしたら、声で起こせるのではないかしら。


「早く部屋を綺麗にしなさいよ、しかもなにこの不健康体、早死にするわよ。てか、スーツで眠りこけるなんて、仕事できないの丸わかりよ。寝汗って臭いんだから、さっさと脱ぎなさいよ」

 思った以上に、すらすらと口から出てくる罵詈雑言。男は苦しそうに「ううんううん」と唸り始めた。


「早く起きなさいよ! この極小野郎!」

「俺の肝っ玉は、小さくねえ!」

 声を荒げて勢いよく起きた男は、長い前髪の間から、睨みつけるように私の顔をまじまじと見た。汚い無精ひげ、解け掛かったネクタイ、少しふっくらとしただらしない腹。うだつのあがらない30代前半のサラリーマンだ。そして、この男の声に聞き覚えがあった。


 もしかして、こいつは。


 私が驚愕の表情で見ていると、男の顔もまたどんどんと酷く青ざめていく。

「は、なんで、ケツアゴがここに」

 慌てて布団から飛び降りたのか、フローリングへとドンッと鈍い音が鳴った。これは痛いはずだろう、しかし、私が余程怖いのかお構いなしに男はどんどんと後ずさる。向かう先はここからも見える位置にある玄関だった。


「こら待ちなさい、肝っ玉ビー玉サイズが!」

「う、うるせえ、なんで、お前がいんだよ! ここは現実世界だぞ! これは幻覚だ、病院に行く!」

 震えている指で右手で私を指さす男。身体のシルエットや私の呼び方も含めて、やっと彼の正体について確信した。


「逃げるんじゃ無いわよ、都町車!」


 そう、彼こそが私たちが今一番会いたかった、作者だった。

 

 

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