第15話 芸術を生む
目を開ければ、そこは美しい青空だった。白い多数の雲がふわふわと漂い、柔らかな雲海が上へ上へと広がっていた。
その雲の合間を、虹色に輝くシャボン玉が、ふよふよと軽やかに舞い上がり、幻想的な風景を作り出していた。
燦々と降り注ぐ光と、暖かな微風が心地よく頬を撫でる。
(けれど、どこかで見たことがある)
どこまでも広がるこの美しい景色だが、何故か既視感があった。
それにしても、私は洞窟で寝ていたはずだ。
ふかふかとした場所から、ゆっくりと自分の上体を起こす。
ゆっくりと景色が変わり、辺り一面に広がる雲の海。
そして、雲海の先に見えた黄金の玉座が、視界に飛び込んだ。
やっと、私は、この既視感の正体に気付いた。
「よう」
ワイルドな容姿に、タトゥーだらけの体躯、気さくなふりをした筋肉隆々のナイスミドル。いつの間にか床が動いてるのか、私の身体は勝手に動かされ、気付けば玉座の前へと連れ出されていた。
近づいてきた彫刻ような魅惑的な肉体、私はまじまじと見つめる。
ああ、殴りたいほど、カッコイイのは罪だわね。
「あら、お久しぶりね、神様」
それは、私たちが名目的に神と呼んでいる人だった。神様は退屈そうな表情から玩具を見つけたかのようにやりと笑うと、威厳のある体制からゆっくりと玉座の上であぐらを組む。
「楽しんでるか?」
なんとも広く、本質的な問いかけか。
沢山の不満と不安と理不尽にあってる私に、よくもそんなこと言える。
しかし、質問されたら答えるのが、筋というものだ。
「楽しんでいるわ、理解には苦しんでるけど」
少しでも格好つけて、私が思う一番の美しい微笑みを返した。
「そうか、よかった。ちょうど良いところにお前が来たから、再利用させてもらったんだが。説明が出来て無くて心配していたんだ」
どの口が言う、と私の喉から出そうになった言葉をぐいっと飲み込む。
わざとらしいほどに心配そうな口振りの神様だが、表情は相変わらず意味深な笑みを浮かべ、寧ろ私の状況を楽しんでいたようにしか見えない。
「なら、今からでも遅くないわよね、説明」
「ああ、そうだな」
私の言葉に愉快そうに笑った神様は、玉座の肘掛けに肘を置くように、ゆっくりと頬杖をついた。
「ここは、芸術の神たる俺が作った創作のクラウドベース『クラウドステージ』だ」
「創作の、クラウドベース」
いつか、太子から聞いた言葉だった。復唱した私を楽しげに見ていた神は、その視線を宙に向ける。私も視線に合わせて、上を向いた。広大な青空に浮かぶ雲たちが、空を楽しくふよふよと泳いでいる。
「この『クラウドステージ』は、言わば人間の脳をこの空間に拡張し、創作活動の手助けを
「勝手にって」
「創作というものは、時に脳への負担が大きい。負担を少しでも軽減すべく、『クラウドベース』を提供しているだけだ」
「なぜ、そこまでして?」
この空間を維持するのも大変だろう。それなのにも関わらず、わざわざそんなことをしているのか。私が首を傾げた。
そんな、私に神様は、語りかけた。
「人間の妄想力は時に素晴らしい、恐ろしく完璧に近い芸術も、全てを破綻したような芸術も。完璧である
思ったよりも、早口で熱量たっぷりの長い内容だった。
「ちょっと難しいわね」
興奮気味に話す神に、私は少し困惑し顔を引きつらせる。
そんな様子に天へと手を伸ばす。
そして、軽く横に振ると、美しい虹が現れ、それは次第に一つの絵画へと変化していく。
私もよく知っている。あまりにも荘厳な雰囲気に、一瞬にして言葉を失う。
昔歴史の教科書で見た大きな天井絵画だった。
今もなお残す歴史的芸術家が生み出した、大変精巧かつ巨大な絵である。しかし、よく見れば人間離れした卓越した筋肉が剥き出しで、学生の時は「この作者は余程マッチョ好きの好き者ね」と思っていた。
もし、神様が言った言葉を飲むなら、まさに完璧を求めた不完全な絵であろう。
「例えば、音楽もまた、執着の一つだな」
神様はまだまだ楽しそうにパチンッと指を鳴らす。鳴り響く音の強さに、私の身体は驚きのあまり跳ね上がった。
日本人ならば誰もが知っているクラシックの交響曲。その冒頭の迫力は、『運命』という名前がつけられるほどの、力強さと唯一無二の何かがあった。
「これも執着だって、いうの?」
「耳が聞こえないのにも関わらず、勘と経験を頼りに音楽を生み出した男に、執着がないと言えるか」
私の問いかけに、神様は意地悪く問いかけ直す。そんなことも知らないのかという、言外のマウントだろう。
知るか、私は勉強してない。高校出て、気のまま状況した馬鹿なのだから。
「では、この言葉は? 『メロスは激怒した』」
「あらやだ、死ぬほど教科書で読まされたわね」
日本で育ったなら教科書で出くわすだろう、有名な作品である。様々な作品でオマージュされた話である。最後のオチが全裸オチなのも含めて、すごいお話だ。
何よりも、作者は、日本でも聞いたことない人は少ないと思うほどに有名だ。
私も、彼の人生をいくつかの映画で見ていたほどだ。
「ああ、有名な冒頭だ。そして、この作者は混沌とした一生を送り、最後は自分で死を選んだ」
人間というものに狂い狂わされた、そんな人生。
なんとなく、そんな印象を受けた。そして、こんな人だからこそ、残り続ける作品を生み出せたのかと漠然と思ったのだ。
神様は、私へと視線を移す。今までの意地悪さとは違い、静かに、落ち着いた、まるで神様のような慈悲深い視線だ。
その視線に、私は言いようのない冷たさを感じ、ひやりと背中に汗が流れた。
「しかし、人間の身体は大変脆い」
憐れむような表情で、神様はゆっくりと玉座から降りた。そして、ゆっくりと私の前へと歩いて行く。
「自らの内にある芸術を求める時、人は自分の身を削る。特に脳を酷使するからな。そして、時と場合、運悪く命を落とす」
ゆっくりと、私のそばに跪く。慈悲深く笑う笑顔のまま、トンっと私の身体をつついた。
指がつついた箇所に、思わず目を向けると、赤い血がたらりと流れている。
血の流れる元、黒ずんだ丸い穴が、そこにあった。
「芸術は、自己とも他己とも見つめ合う時間だ。鏡の自分に向かって、『おまえは誰だ』と問い続けるようなものだ。そして、人は悩み、判断を誤る」
言葉と行動の意味を理解した私は、怒りのままカッと身体を熱くさせる。
「私の決断を、誤ったというの?」
「華やかなステージに立ちたいという
慈悲深い神は、わざとらしいほどに優しく話しながら、私の顔を掴んだ。大きな手は私の顔をガッツリと掴み、離さんばかりだ。
「まあ、私にとっては、お前を手に入れることが出来て嬉しいがな」
ぞわり。怒りで熱くなった身体が、またヒヤリと冷たくなる。神様の視線は、じっくりと私の瞳を見ていた。
「どういうこと?」
尋ねると、神様はゆっくりと笑った。
「才能あるものは、神に連れてかれるのだぞ」
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