第2話 センスがない


「ケツアゴ・カチワレーヌ様と……」

 薬与家は、戸惑いつつももう一度復唱した。

 私は、はあっとため息を吐いた。どう考えても、ネーミングセンスが死んでる。

 全く、理解できない。


「え? 私が?」

 自分の容姿は正直よく覚えている。

 ごく普通の特徴の無い日本のおっさん顔だ。

 決して、ケツアゴなんかじゃなかった。じゃなかった、はずだ。


「はい! その立派なケツアゴ、間違いございません!」

「は!? ちょっと、鏡どこ!?」

「えっ、鏡ですか? そ、そこです」


 薬与家の指が示した先。白い部屋の片隅に細長い姿見が置かれていた。そこに映るじぶんの姿。

 筋肉ムキムキの身体に、立派なスキンヘッド。ここまではいつもの自分ではある。あるが。


「なにこの、ケツアゴぉおん!!」


 薄塩よりもうっすい顔の中で、ドーンと存在を主張する立派なケツアゴ。

 立派すぎるくらい、ぱっきりくっきり割れているケツアゴ。そんなことあるの!? あるのよこれが!!!

 鏡の前で絶望の表情で真っ白な床に崩れ落ちる。


「やっぱり、マッチョならケツアゴだよねって、作者様が仰ってたのですが……」


 薬与家にとっては、予想外な反応だったのだろうか、困ったような様子で話す。


「作者様?」

 その中で聞こえた言葉の一つ。振り返りながら尋ね返すと、薬与家は「あっ」と何か思い出したかのように目を開いた。


「ああ、抜けてました。ごめんなさい、ぼく……じゃなくて、私が説明しないとでした」

 申し訳なさそうに頭を下げた薬与家は、着ていたドレスの胸元に手を入れる。仮にもレディがその行為をやるのは、どうかと思うのだが。慎ましやかな胸元から出てきたのは、折りたたまれた白い紙だった。


「こほん、こほん」

 紙を仰々しく広げ、わざとらしい咳払いを二回。胸を張って、誇らしげにワタシを見た。大きく見開かれた瞳は、なんだか兎を思い出させるような可愛さはある。好みではないが。


「主人公、ケツアゴ・カチワレーヌ殿。ようこそ、作者様こと都街車みやこまちくるまの処女作、『はじまりの物語』の世界へ!」


 都町車?

 なんだか、今にも都会でべこでも買いそうな、お上りさん感が拭えない名前である。

 しかも、まるでその口ぶりは、ここが何かの作品の中のようではないか。


「なにその、『はじまりの物語』って」

 口元の引き攣りを感じる。なんという、ひねりも何も無いタイトルだ。しかし、薬与家の目は夜空に光る一等星よりも、きらりと強く輝く。


「この先、未来永劫、世界を夢中にさせる傑作ライトノベルでございます!」


 信じて疑わない。純真かつ盲目な宣言だった。


 私は一瞬言葉を失う。あわっと口だけが動き、吸った空気が喉に詰まる。

 やばい、こういう奴に下手な事言えば、最悪鋭い刃が出てきてドスリと一発だろう。

 ただ、自分だって、伊達に三十五年も東京のアングラなバーで働いてたわけじゃない。いろんな所にキズがある・・・・・人達と渡り合ってきた。その豊富な経験から言葉を絞り出す。


「そ、の作品は、もう、完結してるの?」

「まだ、登場人物しか浮かんでないらしいです! けど、そろそろ一文字くらい書くかな~って仰られてました」


 それで、

 どうやって、

 傑作って、

 わかるんかいっ!


 振り絞った質問の回答に、大声でツッコミかける。しかし、薬与家は眩しい笑顔を崩さず、本当に少しも不安を感じて無いよう。

 どんどんと自分の調子が崩されていく。なんなら少し体調が悪くなってきた。


「あ、では、続き読ませていただきますね」

 少しばかり項垂れる私を尻目に、薬与家は紙に書かれているだろう続きを読む。


「ケツアゴ・カチワレーヌ殿は、日本から異世界転移してきたケツアゴでムキムキマッチョのドラァグクイーンです。この世界ではラスボスの魔王を倒すための、『セイケン』を求めて、不思議な異世界をヒロインや仲間と共に旅をしてもらいます」 


 正直、私はライトノベルについて、読んだことがないのでよくわからない。けれど、ストーリーとしては、子供の頃に嗜んだファンタジー児童小説やRPGゲーム、のような流れを感じる。

 でも、これだけは一つ、今確認したいことがある。


「あの、まさか、なんだけど」

「はい、なんでしょう?」

「主人公をマッチョのドラァグクイーンにするの、ライトノベルで流行ってるとかはないわよね」

 あまりにも知見がないので、私が知らない世界でとんでもない流行りがあるのかと、思わず身体が震えた。


「いえいえ! 作者様曰く、『これぐらいインパクトないと、ラノベ競争に参入するにはダメだよね』らしいです」

「理解したわ。作者のセンス(の問題)ってやつね」

 ああ、良かった。

 薬与家のすっぱりとした回答に、ほっと胸を撫で下ろす。

 寧ろ流行りだとしたら、ライトノベルに対して、偏見をゴリゴリ持つところだった。


「はい、作者様も本当にお目が高いですよね。僕の憧れ、大尊敬です!」

 しかし、薬与家はブレることなく、作者のことを褒め称えている。なんなら神に祈るかのように指を組んで、白い家の天井を拝み倒している。盲目とは恐ろしい。


「で、私が主人公だとして、薬与家の役割って、何かしら?」

 流石に現実へと引き戻そうと、薬与家自身について尋ねる。すると、薬与家はすっと背筋を伸ばし、ドレスの端を両手で摘まむ。


「はい、ぼく……私、薬与家太子は、この物語のヒロインで、魔法使いで、病死からの異世界転生した悪役令嬢で、男の娘です!」


 ギリリリリリッ

 頭に鋭い痛みが走った。

 

 

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