少女戦士ルビーの試練

市野花音

第1話

 がしゃん、と音がして、陳列棚に並べてあった洗剤が床に落ちる。

 その陰で、一人の少女が息を潜めて隠れていた。

 肩にかかるぐらいの黒い髪を無造作に縛り、オレンジのパーカーと青いジーンズを履いている十代前半と思しき少女である。

 特筆して目立つようなところはないが、真っ直ぐにそれを見つめる黒い瞳は芯を感じる。

 (さて、どう切り抜けるもんか)

 少女が見つめる物、それは初恋の人でもなく、ストーキングの対象でもなく、黒い不明瞭なもやであった。靄はぼんやりと人の形をとり、あちこちで陳列棚をめちゃくちゃにしていた。

 (「影月かげつき」の数は大体五十ぐらい?あーあ、アクアマリンとダイヤモンドがいてくれたら楽勝だったのに)

 しかし、同僚がいないのを悔やんでも仕方ない。異変を察知し、すぐ来てくれるだろう。

 それまでに自分が、黒崎くろさき朱音あかねこと少女戦士ルビーがやるべきことは。

 (一般人を守り、敵の数を減らす!)

 少女ー朱音が今いるのはドラッグストア。ドラッグストアは地球を侵略しようと日本に現れ人を襲う異界の敵・影月の襲撃を受け、混乱状態にあった。出入り口は全て影月に占拠され、逃げる事は不可能。警察が来たとしても一月前から出始めた未知の異形の対応に手こずっているので、戦力として期待はできないだろう。

 今でも、影月特有の、ずっ、ぬっ、とした粘着質で不気味な移動の音が異様に静まり返った店内に響く。と、甲高い悲鳴が近くでした。

はっとした朱音は慌てて音のした方へと走る。

 (まだ避難させていない人がいた!)

 いくつかの角を曲がった先にある化粧品の置かれたコーナーで、朱音の身長の二倍はあろう大きな影月が、二十代前半ぐらいの女性を襲っているところだった。

 朱音は側にあったカートを助走をつけて思いっきり影月にぶつけた。

 影月がこちらを見る。その隙に朱音は店内の奥の方を指さす。あっちへ逃げろ、という意味だ。極限状態でまともに頭が回っていないだろうが、とりあえず女性はそちらへと逃げていった。あちらには店内の客三名と従業員二名が固まって簡易的なバリケードが築いてある。多少ではあるが安心だろう。

 (どうやってもあたしが全部の影月を倒すのは無理だ。けど、せめて、店内の人は守らないと)

 ゆっくりと息を吐き、影月を睨みつける。影月がジリジリと距離を詰め、襲ってくる直前、後ろに飛び退いて棚の影に移った。ここなら影月から見えないだろう。目らしきものは無いが。

 朱音は首に巻いたチョーカーについた紅玉ルビーを撫でると、口を開いた。

 「救世主の乙女が一人、少女戦士ルビー、推して参る!変身!」

 明らかに世界観大丈夫なのか心配になる呪文を放つと、朱音の黒髪が毛元から鮮やかに赤く染まっていき、黒曜の瞳は紅玉の瞳へと様変わりする。

 「よし」

 短く呟くと、床を蹴って飛んだ。「朱音」であった時よりも、遥かに体が軽い。

 一足飛びで影月の前に飛び出すと、右手の手のひらに力を集め、炎を生み出すと影月に振るった。たちまち大きめの影月は溶けて消えた。

 それを見届けると角を曲がる。天井に張り付くもの、壁のように行手を阻むもの、地面にこびりつくもの。一斉に飛びかかってきた影月を大規模に出した炎で溶かす。

 今の少女は「朱音」ではなく「少女戦士ルビー」。影月に対抗しようとする神より変身の力を賜った救世主の乙女である。 

 (一旦、バリケードの方へ戻ろう)

 ルビーは切り替えると、道中襲ってくる影月を軽くあしらいつつ、バリケードが築かれている方へと向かった。

 いくつかの角を曲がり、たどり着いたのは一面に薬品が並ぶドラッグストア内の薬局。その入り口に築かれたバリケードから離れたところで影月がうろうろとしていた。

 気づかれないように背後に回る。影月が気がついた頃には既に溶けてしまっていた。

 (ありがとうダイヤモンド、守護の氷持たせてくれて!)

 少し前は五人、今は六人が立て籠っているだろう薬局の奥には、ルビーの同僚ダイヤモンドが作った影月を半径五メートル以内に近づけない効果がある氷が置いてある。そのおかげで、ルビーは攻めに転じられた。

 心の内で感謝を述べつつ、ルビーは辺りの影月を蹴散らしていく。

 ルビーが出す魔法の炎は影月にしか効かないので、火災の発生を心配する事なく存分に力を振うことができた。

 そして半数ほどが片付いた頃。

 ルビーは薬局から離れた、入り口付近を歩いていた。自動ドアの入り口は黒い靄が多く、事前に知らなければそこがドアであるとはわからないだろう。

(もうすぐ……来る!)

 影月の数が半分に減ったように、ルビーも消耗していた。全身に影月によって負わされた擦り傷を負い、魔法の質も落ちつつある。大規模に炎を出すことはもうできない。

 そんな中、あちこちを彷徨っていた影月がくっつき、大きくなり始めた。ひとつ、ふたつと合体していき、影月の大きさが増していく。やがて、ルビーの視界いっぱいを覆うほどの大きさになった。

 影月には行動パターンがある。まず、一斉に群れとなって日本のどこかに現れ、人々を襲う。群れの半数が倒されると、合体する。しかし、合体するにはある程度の時間がかかるのでそれまでに倒せれば合体はされない。少女戦士が三人揃っている時には合体されたことはないのだが、一人だとだいぶ厳しい。

 その上、変身には時間制限もある。持ってあと一分というところだろう。

 それでも、時間は稼がないといけない。やれるとかやれないとかではなく、やらなければならない。 

 店内の人たちを守り、影月を払う。

 救世主の乙女ならば。少女戦士ルビーであるならば。黒崎朱音であるならば。

 (あたしが、あたしであるならば)

 ルビーは右手に力を込め、イメージしていく。影月を「斬る」イメージを。

 力が溜まり、形を成していく。力がまとまった時に右手に収まったのは、炎で形作った剣城であった。

 ルビーは両手で剣のつかをしっかりと握ると、屈んでから思いっきり斜め上、影月の頭らしき部分へと飛び、黒い靄を薙いだ。ぶすぶすと、影が飛び散り、ルビーの髪の一部を撫でた。

 合体した影月は大きく強いが、呪い。俊敏さでは、ルビーには到底敵わない。

 ルビーは影月の周りを縦横無尽に飛び回り、炎を纏った斬撃で靄を切り裂いていく。

 地面を蹴っては切り掛かり、胴体を薙、ときには顕現させた火玉を塞がっていない足でぶつけ、剣を突き、切り裂く。

 幾度にも及ぶルビーの攻撃により、影月は次第に小さくなり、形も崩れていく。しかし、ルビーも無事ではいられない。服はあちこち破れており、頬を擦って血が流れ、飛びすぎで足がおぼつかなくなり、炎の剣も形が揺らぎ短くなっていく。

 (あと十秒で変身が解ける……!それまでに、最後の一撃を!)

 陳列棚の上にいたルビーは渾身の力で跳ぶと、思いっきり剣を振りかぶった。しかし、影月に券が届く前に、ルビーの体が傾いた。

 (あっ、)

 ルビーは床に叩きつけられる。

 ルビーの足が影月の長い触手らしきものに巻き付かれていた。

 限界だったこともあり、ルビーはもう動けない。そのタイミングで、返信が解けた。髪が毛元から黒く染まっていく。瞳は紅玉から黒曜に戻る。それはまるで炭から赤い火が消えて行くようだった。

 ルビーの視界が黒く染まっていく。影月の黒い靄に全身が覆われているのだ。

 このままでは、影月の靄がロープの様に首を絞め、死ぬ。

 (……死にたくない)

 体を必死に動かそうとする。変身が解けた今、ルビーは、いや、朱音は魔法を使うことができない。なら動くしかない。けれど全身が鉛の様で、いうことが聞けない。

 (死にたくない、死にたくないよ……っ)

 首が締まる、痛い、痛い、痛い、い、

 ー冷たい。

 黒い靄を突き破る様に、幾つもの氷の柱が貫いた。靄に解放された朱音は喉を抑えてむせる。

 「ルビー、大丈夫?」

 視界が晴れ、初めに目に入ったのは駆け寄ってくる同僚の少女戦士、アクアマリンである。長いふわふわの茶髪に水色の瞳で可愛らしい印象だ。辺りに転がっている影月は、アクアマリンが歌の力で眠らせたものなのだろう。

 「立てますか?」

 アクアマリンの背後で氷の刃を生み出し影月と向かい合っているのはもう一人の少女戦士ダイヤモンド。ツインテールの白い髪に陶器の様な白い肌、こちらを射抜く白い瞳。雰囲気も物理も冷たい感じのする白雪の少女だであるが、普通に優しくて私生活がだらしない人である。

 「うん、なんとか。助けてくれてありがと」

 「当然だよ!ルビー、ちょっと下がっててね。すぐに片付けるか、らっ、」

 朱音への言葉を紡ぎ終わると、アクアマリンは喉を震わせた。

 「〜ーー」

 紡いだのは音が高くテンポが速く、鮮烈で射抜かれる様な衝撃を受ける歌。アクアマリンの歌と共に、その唇から新たに生み出されるのは虹色の泡。虹色の泡は合体した影月にぶつかると微かに足元らしき部分をおぼつかせた。

 その隙で、先輩戦士ダイヤモンドは十分だ。ほとんど動けない影月たちに、たくさんの氷の矢を放つ。靄を断ち、周りに冷気を振り撒く容赦のない氷の雨であった。

 合体した影月が崩れ、バラバラになっていく。さらに小さくなった影月を、ダイヤモンドは冷静に氷漬けにした。

 「歪みは彼方ですね」

 全ての影月を凍らせた後、ダイヤモンドが視線を向けたのはすっかり靄の取れた自動ドアだ。その向こうにたくさんの人が押しかけ驚愕しているのが見てとれたが、まぁ神が後処理を頑張ってくれるだろう。

 その自動ドアの前に空間がノイズの様にぼやける一箇所があった。ここから、異界のものである影月はやって来た。

 「うん、ささくれできたからハンドクリーム買おうと思ってドラッグストアに来たら、ここが歪んで影月が一気に出てきちゃって。ハンドクリーム買えなかった」

 「……それは、残念だね……」

 アクアマリンが慰めてくれたので、取り敢えずよしとする。

 ダイヤモンドは氷の刃を歪に押し込み、鍵を開けるかの様に回した。途端に、歪みが消える。

 「任務完了です。さぁ、隠れましょうか」

          *

 店内にいた人たちが救急隊に保護されて行くのを三人は遠くから見守った。どうやら、目立った外傷はないらしく安心した。

 こうして表に立つことはなくとも、確実に救世主の乙女たちは人々を守ってゆく。

 世界を救う、名実共に本物の救世主となるまで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女戦士ルビーの試練 市野花音 @yuuzirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ