童貞鍛冶師ミスリード追放令嬢「今更私と婚約破棄したことを後悔しても『もう』遅いのデース」

オドマン★コマ / ルシエド

もう遅いの野望 もう遅い列伝 ~もう遅いはもう遅いを追放してもう遅いことに気付いたけど今更もう遅いと言ってきたところでもう遅いしもう遅い~

 昔々、1人の勇者がおりました。

 勇者は騎士達を率い、多くの悪を討ちました。

 勇者と騎士達は新しい国を作り、その国は長く長く栄えました。

 めでたしめでたし。


 ……で、終わればいいのが物語というものであるのだが。歴史はこれでは終わらない。


 歴史は大体めでたしめでたしでなんて終わらないし、めでたしめでたしの後に全てが台無しになるような国家転覆が起きたり、英雄が老害化して萎えることになってしまったり、倒されたはずの敵が復活して大逆転で終わっていることも多々。


 歴史は間断無き流れであり、オープニングもエンディングも無いもので、その大抵は、なんとも言えない終わりを迎えているものだ。


 だからこそ、『世の中の出来事は大体面倒臭くなるもんだと思った方がいい』という信条を掲げながら、王都の隅っこで女鍛冶屋としてたくましく生きている元貴族のご令嬢がいた。


 その女性の名は、コフリーン。かつてコフ家のコフリーンと呼ばれた者。今は、ただの鍛冶屋のコフリーンである。


「うーん、今月は売上結構微妙デスね……」


 売上表を見て、コフリーンはぐでっとテーブルの上に身体を投げ出した。


 令嬢時代に長かった桜色のロングヘアは、鍛冶の邪魔になるのでセミロングまで切り揃えていた。

 人並み以上に大きい胸は、そこそこの重量を持ってしまっているため、手作りしたワイヤー入りタンクトップ風ベージュ色のシャツで支えている。


 鍛冶をしている時に飛び散る火花が目などに入らないよう、『周囲の魔力を吸って自動で顔を守る』という謳い文句で売りに出されていた緑の帽子は、今日も彼女の頭部をすっぽり覆っている。


「お客サーン、来てくだサーイ、暇デース」


 大昔、勇者と共闘した伝説の騎士・コフの子孫であるコフリーンであるが、彼女も望んでこんな生活をしているわけではない。一言でまとめてしまえば、彼女は貴族社会の人柱であった。


「……掃除しまショ」


 彼女の実家、コフの家は激動の歴史の果てに苦境を迎えた家であった。

 金属細工、鍵作り、針職人で隆盛!

 金属加工を売りとする家に!

 奇跡論・術式ブームで技術発達!

 金属製品の製造自動化が進行!

 コフの家の仕事、激減!

 新事業に挑戦!

 失敗!

 大量の借金!


 コフリーンがコフの一族として生まれた時には既にもう、家は借金まみれであった。

 コフリーンの両親は、コフ家にはまだ貴族の家格があることを利用し、コフ家が借金を重ねている裕福な商家との婚約を進めた。


 商家の長男と、コフ家の次女のコフリーンの婚約。婚約と言えば聞こえはいいが、実際は体の良い生贄と言って差し支えなかった。

 商家の長男はキショ目のナルシストで、いつも膝下まで伸ばした金髪を自慢し、山岳生物のチョウ・チン・アンコウのアンテナのように髪を振り回している所があったが、顔はまあまあ良かったのでコフリーンにもそんなに不満は無かった。

 が。


 コフリーンの婚約者、浮気!

 婚約者の浮気相手、既に孕んでる!

 浮気相手、隣国の帝国貴族令嬢であると発覚!

 婚約者、コフリーンに濡れ衣を着せる!

 濡れ衣を着せた上で婚約者、婚約破棄!

 婚約者、隣国の帝国に国外逃亡!


 なんと、たった1人の婚約破棄野郎のエキセントリック浮気と、その過程で起きた諸々のゴタゴタのせいで、この国と帝国は危うく紛争が起きそうになっていたという。


 超絶ジェットコースターのような展開に次ぐ展開で、もののついでのように婚約破棄アタックを喰らったコフリーンは、国の重鎮から『とりあえず表舞台にはしばらく出てこないで下さい』という宣告を受けてしまったのだった。


 ちなみに、婚約者がコフリーンとの結婚を嫌がり、美人の帝国貴族令嬢に流れた理由は、『訛りとかに迸るほど出てる田舎感に耐えられない』というものであったらしい。


「今日は風が少ないノデ、集めた埃が飛んでいかないのがいいデスねえ」


 コフリーンは純粋な被害者である。

 何も悪いことはしていない。

 しかし、一番やらかした男の元婚約者であり、婚約破棄を食らった当人である。

 婚約者を失った彼女が、社交界に出て次の婚約者を探し始めれば、今回の一件に関する雑談・流言・噂話がまた熱を持ち始めることは明らかだ。


 たった1人の浮気婚約破棄野郎のせいで紛争にまでなりかけたこの一件だが、両国の穏健派によって、事態は穏当に終息を迎えた。

 そして、両国の穏健派は、『話題にされないこと』によって事態が完全に沈静化することを望んでいた。

 つまり、居るだけで話題になってしまう人は、そもそも出て来ないのが望ましかったのである。


 だからコフリーンに、事態が完全に沈静化するまでは貴族社会の表舞台に出てこないでほしいと、そう頼んだのだ。

 それと引き換えにコフ家の借金の肩代わりや、コフリーンの再婚約の補助など、破格の条件をいくつも並べられ、コフ家はその条件を飲み、コフリーンもまた首を縦に振った。


 そうして、コフリーンは社交界から消えた。

 表向きには、例の事件で家族との縁が切れたとも噂された。

 そして街の鍛冶屋になった。

 謹慎中、暇すぎたからだ。


「そろそろ鉄叩きマショ~」


 コフの家の人間には、代々金属鍛冶師を担ってきた血が流れている。

 だからか、コフリーンは鉄を叩いているだけで楽しかった。


「オン・ザ・憎しミ~」


 憎しみを込めて鉄を叩くと、更に楽しかった。


 コフリーンは浮気孕ませ婚約者野郎と婚約破棄できたことはせいせいしていたが、婚約破棄の時に言われた「変なオタク気質の男にしか好かれなそうな頭の悪い田舎っぺ地味顔巨乳舌っ足らず女」「田舎の因習で処女捨ててそう」「訛りも眼鏡もダサすぎ、眼鏡要らない」「真っピンクの髪に清楚感が全然無いのが嫌」「デートにスニーカーで来るな」などの婚約者の言いたい放題な捨て台詞には、今でも憎しみを保っていた。


 それらの憎しみを込めて鉄を叩くと、何故か良い剣や槍が出来てしまうのだった。

 そして出来が良いので結構売れる。

 コフリーンとしてはそれなりに複雑であったが、この憎しみが売り捌けるのであればまあいいか、くらいの気持ちでまた剣や槍をぽこじゃか打っていくのだった。


「コフリーンさん、いらっしゃいますか」


「! らっしゃいマセ、ウォルザインさん!」


 鉄を打ちながらそうこうしていると、来客が現れる。その来客を見るや否や、コフリーンの表情がぱぁぁぁっと明るくなった。

 このコフリーンの表情を見て、彼女の内心の恋心を把握できない者は居ないだろう。


 ウォルザインという男は、細身の長身に、インドア派らしい白っぽい肌色、艶のある黒髪、優しげな声色に、威圧感を与えない少しタレ目気味な美男子という、コフリーンが好きな要素のデラックスパフェのような容姿をしていた。コフリーンはだいぶ救いようのない面食いだが、一応は彼の性格も好きである。


 コフリーンには、ささやかな願いがあった。

 彼女は現在、事実上の謹慎中。

 それは国の偉い人との取引によるもの。

 コフリーンが表舞台に出ないことと引き換えに、事態が完全に沈静化した後、国の偉い人はコフリーンの再婚約を手伝うという約束だ。


 そこでコフリーンは、『ウォルザインさんと結婚したいデス!!!!!!!!!!!』と全力で嘆願するつもりである。


 恋愛結婚などと夢見がちなことは考えていない。

 彼女は逆に「ウォルザインさんがワタシなんて好きになるわけないデショ!」という悲しすぎる確信すら持っている。

 だから政治の力で惚れた男を手にしようとしているのだ。

 力ずくで。


 貴族でありながらも根底が田舎者のため、精神性が蛮族に近く、欲しい物を手に入れるためにパワーを使うことに躊躇がない。悲しいほどに、恋愛観がゴリラのそれに近かった。


「今日もお美しいですね、コフリーンさん」


「エヘ、えへへへへ、そんナ~」


 コフリーンが聞いたところによると、ウォルザインの実家であるザイン家は、最近後継者の入れ替えが起こっていて、ウォルザインが次期当主でほぼ決まりらしい。

 『つまりワタシは次期当主婦人……!?』というあまりにも図々しい妄想を毎日繰り返しているメンタリティこそが、コフリーン最大の持ち味である。


「ウォルザインさんモ、いつもかっこよくテ、優しくテ、ステキですヨ……!」


「あはは、ありがとうございます。コフリーンさんにそう言ってもらえて、嬉しいですよ」


「───」


 コフリーンは舞い上がった。

 気持ち的には空の上くらいまで。

 成層圏をぶち抜くくらいまで舞い上がっていて、思い上がっていた。思い上がりすぎだった。


 これはもう間違いなくワタシのこと好きに違いない! とコフリーンは確信を持っていた。

 そんなことはないのだが。

 彼女の世界ではそうなっていた。

 今この瞬間だけ、彼女の辞書から『お世辞』という概念は消失したのである。都合が良い時だけ消えるものなのでどうせ後で戻って来るが。


 コフリーンにとって、婚約破棄の後に出会ったウォルザインに抱いた気持ちは、初恋だった。

 だからちょっとおかしくなってしまっているのだろう。ちょっとではないかもしれないが。


 その気持ちの暴走は、さながら自制心のない童貞のそれ。コフリーンは処女にして童貞という究極のバケモノになりかけていた。この暴走特急はそうそう止まることはないだろう。


 しかし放っておけば「ウォルザインさんワタシのこと好きですよね?」「いえ、別に……」という自爆によって完全なる死を迎えることが決まりきっている、崖に向かって直進するしかない悲しき暴走特急だった。ブレーキが無いので未来に死しかないのだ。終わっている。


 そもそも気持ちを口に出してちゃんと会話をしろという話なのだが、コフリーンは思っていることの九割以上を口に出せない悪癖があり、心底憎んでいる婚約者に対する気持ちすら、鉄を打っている時にしか表に出せていないので、どうしようもない。


「そういえば最近は剣神クアイン様までここで剣を買っていったと聞きましたよ、コフリーンさん! 凄いじゃないですか! なかなかある栄誉じゃありませんよ!」


「い、イエ! それほどデモ! たまたまここにいらっしゃったという感じでシテ!」


 脳内では『このイケメン、完全にワタシのことが好きだな……困っちゃうね』くらいの余裕綽々な女のムーブをしているコフリーン。

 口を開くとどもりまくるコフリーン。

 脳内ではかっこつけまくりのコフリーン。

 台詞に下手で無味な謙遜しかないコフリーン。


 ここには悲しみしかない。

 誰も救われることはないだろう。


「と、そうだった。今日はコフリーンさんに少し頼み事があって……」


「は、はイ!」


 告白ダ!

 婚約の申込みダ!

 コフリーンは疑いようもなくそう思っていた。

 既に願望と事実の区別がついていない。

 話を聞いていないわけではなく、話を聞いた上で自分に一番都合の良い解釈をチョイスしている。最もタチの悪いバトル・スタイルだ。


 この瞬間、コフリーンの脳内辞書から都合よく『ウォルザインさんがワタシのこと好きになるわけないデショ!』が消える。

 代わりに『コフリーン、モテる』と刻まれる。

 童貞を超えた童貞。

 自惚れを超えた自惚れ。

 止まること無き思い上がりが魂を押し上げる。


 今、彼女はキリストと同じステージに立っている。全ての人間の罪を背負ってやっても……まあ……いいかな……くらいの気持ち。「今のワタシは機嫌が良いから許したげるよ」の究極系。すなわちメチャクチャに機嫌が良かった。全てを許す気持ちは「私は君を許してあげるよ」という見下しに似た究極の傲慢から発生する。それ即ち世界の真理。今コフリーンは童貞の思い上がりのみで、キリストのそれを凌駕し、天上の神の域へと至り……


「知り合いがコフリーンさんに仕事を頼みたいらしいんです。話を聞いて頂けますか?」


「あ、ハイ」


 仕事の話だったと気付き、気持ちが沈み、「ウォルザインさんがワタシのこと好きになるわけないジャン」と現実を見直し、神は人間に戻って来た。


 おかえりなさい。


 この薄汚い鍛冶場だけが、君の帰る場所。






 コフリーンへの依頼は、『ある鍵のかかった箱を開ける』というものだった。


 「なるほど」と、コフリーンは納得する。

 昔、鍵周りの仕事は全てコフの一族の職人芸であった。完全に同じサイズの針の穴を、手作業でパッパッと開けられるほどの技術を持っていたコフの一族にとって、精密な鍵と鍵穴を作ることはお茶の子さいさい、かつ、彼らにしかできない専売特許であったためだ。


 工場で同じ形のものを大量生産するのならコフの一族は必要無いだろうが、既に鍵穴が在り・鍵がかかっていて・鍵を紛失してしまった時などの場合、それなりに専門性の高い作業となる。

 そんな時こそ、コフの一族の出番である。


 ただ、コフリーンは少し違和感を持っていた。


 何故、自分に?

 コフの本家に話を持っていけばいいのでは?

 何故、貴族社会から切り離されている今の自分に依頼するという流れになる?

 そもそも、何故箱の中身の話が無い?

 箱をどうしても開けたいということは、箱の中身が欲しいはずなのに、何故箱の中身について触れる話がない?

 箱の中身がたとえば宝石ならば、その旨を伝えなければ雑に扱われて割れてしまうこともあるのではないか?


 コフリーンは優れた頭脳で一つ一つ疑問を数え、それらが結んだイメージの像から、この依頼の不可解さを浮き彫りにしていく。

 そう、たとえるなら、箱自体が大事で、箱が開かれること自体が大事、とでも言わんばかりのような……具体性が無く得体のしれない不可解さを、優れた頭脳が紐解いていく。


「では、お願いしますね、コフリーンさん」


「はァイ! やりまス!」


 だが、優れた頭脳は愚かな性格に負けた。ので、あんまり役に立たないのであった。

 人、これを恋愛脳と言う。恋愛NOと言うことが人にとっては大事だというのに。コフリーンは知らず知らずの内に、また面倒事を抱え込んでいた。


 後日

 ほどなくして、ウォルザインが紹介した依頼人が鍛冶場にやって来る。

 その男を見た瞬間、コフリーンは言葉を選んだ。思考も抑制した。いつも以上に失礼がないように気を張った。その依頼人を傷付けないために。

 コフリーンが見たものは、光だった。

 太陽を受け止める、丸き光。


「あ……いらっしゃいマセ」


「やあ。君が噂のコフ家の令嬢か。今は表向き家と絶縁してる扱いらしいけど、裏事情は把握してるつもりさ。僕は君と同じ家格の、22家のワウの一族、ワウハーゲルだ。どうぞよろしく。素人に毛が生えた程度の鍛冶屋とはまるで違う、実力派の鍛冶屋だと聞いているよ」


「……よ、よろシクお願いしマス」


 ハーゲル? 毛が生えた程度? とコフリーンは男の頭を見て思った。口には出さない。


「え、ええト、開かない箱を開けてほしいとのことデスが……」


「もうこんな箱に手をこまねいて居られないな、という内輪の気配があってね」


 毛根? 今『気配』ってとこ訛って「けはぇ」みたいに言わなかった? 毛生え? コフリーンは、沈黙を選んだ。


「……い、急いでる感じなのデスね」


「この箱は非常に重要な機密に繋がっている。と、言うよりは、最近『箱』についてどうも恐ろしい話が出たようでね。僕らはずっと箱型のアイテムについて調査しているんだ。前が見えない、けど後退は恥、だから恥を偲んで外部に頼ることにした」


 まえがみ? 後退は恥? 言葉の節々が、コフリーンに何かを言わせようとする。

 が、コフリーンは踏ん張った。


「元々、専門外の僕らが単独で調べても、勝ち目の薄い調査だったしね。神様はどうやら僕らに微笑まなかったらしい」


 薄い? カミ?


「機密に関わるコトなら、専門外の信用デキる人ダケ集めて調べるコト、よくありマス。頑張ってたコト、無意味でないはずデス」


「励ましは不要だ。不毛だよ」


 ハゲ? 不毛?


「デモ……」


「無意味なだけなら良かったんだ。この箱のエネルギーは……推測だけど、正しく使えれば、国の外敵を蹴散らせるかもしれないほどのものだった。それが激しく猛烈に暴走してしまってね。間一髪、みんな怪我無かったから良かったけど、一歩間違えたらどうなってたことか」


 毛散らす? ハゲしく? 毛劣もうれつ? 間一髪? 毛が無かった?


 コフリーンは耐える。耐える耐える耐える。耐えて絶対に『言わない』コフリーンの精神耐久力は、もはや人類全体で見ても上位に入るほどだ。


「この箱ハ、もしヤ、兵器なのデスか……?」


「さてね。参加していた宗教家は、この世界を外から覗く、偽りの神による創造物の1つではないか、なんて仮説も立てていたけど……そんな神が仮にいたとして、もうこの世界の周りからはズラかってると思うんだけどね、僕は」


 偽りの髪? ズラ買った?


「偽りのカミ……」


「すぐに神の話をするのは逃避だと思うタイプだからさ、僕は。好きんなれないんだ」


 頭皮? スキン?


「ハーゲタさン……」


「ハーゲルだよ。ワウハーゲル。ふふ、少し耳慣れない響きだからね、覚えにくくて申し訳ない」


「あッ……ご、ごめんなサイ……ツイ……」


 紙一重。しかしコフリーンは踏み留まる。


「いいさ。ちょっぴり抜けてる方が女子は可愛いと言うしね。間抜けずらまでされちゃうとちょっとアレだけど、コフリーンさんは利発そうだし。とても賢そうなお嬢さんに見えるよ」


 抜けてる? 間抜け? ズラ? 理髪?


「ごめんなサイ……」


「申し訳がないけど、謝り合いはこの辺にしておこうか。そろそろ箱も見てもらわないと。コレだ」


 毛がない?

 コフリーンはなんとか食いしばった。


 ハーゲルは布を解き、それまで包まれた箱をコフリーンに見せた。

 黄金に近い、黄土色の長方形の箱。

 各面に黒い文様が刻まれており、大きさは成人男性の掌3つに綺麗に乗るくらいだろうか。


「儲けが少ない仕事になるけど、どうか毛嫌いせずに、名誉と誇りのためにやり遂げてほしい」


 もう毛が少ない? 毛嫌い?

 コフリーンは頭にハチマキをぎゅっと巻き、その気合いでなんとか耐える。


「……わ、分かりまシタ……」


「ありがとう! 君だけに任せるつもりは毛頭無い。僕も手足のように使ってくれ」


 毛頭? 無い?


 コフリーンは最後に差し込まれた奇襲にも耐え切り、乗り切るのだった。






 コフリーンは有能である。

 問題があるのは恋愛面だけだ。

 仕事だけさせておけば問題は出ない。

 コフリーンは箱の鍵穴をあっという間に調べ終え、あっという間に合鍵を作成し、箱を開く飲みならず、その『力ある箱』の使い方まで突き止めて見せたのだった。


 口が堅い非専門家の研究一ヶ月分を、コフリーンはものの数十秒で凌駕する。


 これは箱。

 つまり、外のものを入れるもの。

 そして、箱の中から出すもの。


「や、この箱、ン……? 移し替え……デスかね、この構造ダト……移し替エ……頭の……毛の……移植……『他人の頭髪を奪って箱の中にストックして自分に移植できる』アイテム……?」


 その箱は、研究チームが考えていたようなものではなかった。

 戦う力など無いし、偽りの神が作ったものなどではないし、機密にする価値も無い。

 これは、つまらない私怨のためのものだ。


 遥か昔、ハゲをバカにされた超古代人がキレて作った、ハゲをバカにするやつの髪の毛を毟り取って移植して自分のハゲを治す機械。ただそれだけ。

 言うなれば、『毛刈りマシーン』である。


「……」


 箱の使い方の説明を聞き、ワウハーゲルは黙りこくってしまった。

 その内心が、コフリーンには手に取るように分かってしまう。毛を取るように分かってしまう。分かるのが嫌なジャンルの話だ。彼女は一生分かりたくなかっただろう。

 コフリーンの内心を全く理解しないまま、ワウハーゲルは語り始める。


「君は気付いていなかったかもしれないが、僕は昔から他の人より少しだけ髪が薄くてね……」


 『あなたの頭部には毛の一本も見当たりませんが』という発言を、コフリーンは必死に堪えた。不毛な追求だ。


「最近もそれをからかわれて、怒髪天を衝くこともあったよ。何が髪はもう残ってないだろだ、馬鹿にはして……!」


 『天を衝く髪がないでしょ』という発言を、命を削るほどの力で、コフリーンは胸中に留める。不毛な指摘である。


「この箱を使えば……僕は苦悩から解放される……だけど、それは正しいのか……!?」


 コフリーンは、そろそろワウハーゲルに帰ってほしかった。この苦悩に死ぬほど興味が無かったからである。


「世界は天秤だ。誰かが幸せになれば、誰もが不幸に成る。僕が髪を得るために、誰かが髪を失うなんて、本当に許されるのか……!? 僕は、髪が無い苦しみを知っているのに、他人から奪うなんて、できるのか……!?」


 コフリーンは、そろそろワウハーゲルに帰ってほしかった。この苦悩に死ぬほど興味が無かったからである。


「この道具を作った人は、神でも悪魔でもなく、きっと人間なんだろうな……髪を生やす箱じゃなく、髪を奪う箱……それは髪に悩んだことがない人への底知れない嫉妬か……あるいは、髪は増やしたりしてはいけないという、信念か……」


 コフリーンは、そろそろワウハーゲルに帰ってほしかった。この苦悩に死ぬほど興味が無かったからである。


「でも、この箱を今持っているのは、僕だ……作った人じゃない……この箱をどう使うかは作った人の思想じゃなく、僕の思想に沿って決めるべきで……試されているのは、僕か……」


 コフリーンはそろそろ、ワウハーゲルが中々帰ってくれないことに気付き始めていた。ワウハーゲルに帰ってもらうには、何かアクションを起こさないといけないのだ、ということも。この男は帰る気が毛頭無いのだ。


 そして、コフリーンは思い出した。


 今、こそこそ実家に帰って、私物をまとめている知り合いが1人居ることを、思い出した。


「この箱デスけど、ちょっトお借りしマスね」


「え? ああ、はい、どうぞ。ありがとう、コフリーンさん。秘密保持契約書のサインを忘れないでおこうね。……でも、髪があるコフリーンさんが使うような機会は無いと思うけれど……」


「ハハッ」


 突然、コフリーンが底無しの憎しみを顔に出して笑ったから、ワウハーゲルは怖すぎて失禁しそうになったが、なんとか堪えることに成功した。


 コフリーンは出かけて、どこかで箱を使って、毟り取ってきた髪をワウハーゲルに移植。ワウハーゲルに大いに感謝され、ワウ家を味方に付け、将来に備えたコフ家の勢力基盤を整える。


 そして、一週間後。


 街に、ある噂が流れた。


「聞いた? 例の浮気婚約破棄孕ませ国外逃亡粗チン男、髪の毛が無くなったそうよ」


「聞いたわ。部屋で昼寝をしていて、起きたら髪の毛が全て無くなっていたらしいって」


「怖いわねぇ。呪いかしら」


「女を弄んだ罰に違いないぜ」


「帝国でも冷遇されてるらしいんだよな、噂だと。プレイボーイの商家の息子が若くしてハゲになったのは、どんな気持ちなんかねぇ」


「そんなことより聞いたかよ、ザインの家のさ、元当主候補のあの子がさ……」


「東の方の獣害が───」


「───天才アリスベットの───」


「───ツァデーレ女史の新刊案内が───」


「ハゲを治す義賊が───王都でたまに───」


「───また帝国の姫が───姫2人───」


 流れた噂は、他の噂に飲まれ、混ざって、また別の噂へと変わり、また別の噂に飲まれ、流れて。


 誰もが噂の真相を突き止めようとしないまま、人の口に上る情報の濁流の中に、消えていった。


 人の心も、また箱。

 誰もが、箱の中を覗こうとしない。

 箱の中身を見ておかない。

 心を見続けていれば、破滅は避けられるのに。

 箱の中にあったから見えなかったと、気付かなかったと、そんな風に誰もが言って、破滅を迎える。


 心という箱の中に収められた復讐心こそ、人間が持ち得る、最も恐ろしい凶器であるというのに。恨みを買った者達はいつだって、ざまぁされるまで箱の中身に気付けない。


 歴史がめでたしめでたしで終わらず、その後も続いていくように、誰かを傷付けた者の物語もまたそれだけでは終わらず、その後に続いていく。

 ああ、追放しなければよかった、冷遇しなければよかった、見捨てなければよかった、婚約破棄しなければよかった、そう思っても、いつだって手遅れで。

 そんな追放令嬢は、手遅れになってから頭の手入れをしても、手遅れだからもうハゲを治すことができないという世界の真理と、どこか似ていて。

 婚約破棄をした男は例外なく破滅し、婚約破棄を言い渡された悪役令嬢はざまぁを完遂する。

 それは、歴史の常。

 既に世界の法則であると言っていい。


 だからこそ、誰もがこう唱えるのだ。




「今更後悔しても、

    もう遅い───」




 ~ END ~



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