第39話 何の感情もない
他には?
足音はまだ続いている。直樹が角から飛び出すと、視界には少しだけ遅れて走ってくる二人の男の姿があった。続けて直樹は背後のアスファルトを振り返った。
先程の横腹を蹴られた男はアスファルトの上で蹲るようにして悶絶している。直樹は最初に足を掛けた男に近づいた。最初に足を掛けた男は、まだアスファルトの上でその身を投げ出すようにしていて立ち上がれないままでいる。
立ち上がれないままでいる男に近づいた
周囲に赤い液体に混ざって飛び散った白い物は男の砕けた歯だったのだろうか。直樹はそんな疑問を頭の片隅に浮かべる。
一切の手加減はしていない。下手に手加減をして、その後で反撃でもされたらどうにもならなくなってくる。
踏みつけられた男はアスファルトの上に作った赤い染みを徐々に大きくしながら、小刻みな痙攣を始めていた。
先程までは警察に介入された方がよいと思っていた直樹だったが、ここまでしてしまえば自分も傷害で捕まる可能性が多分にあった。正当防衛などといった範疇は既に越えているのだろうと思う。
とすれば、ここで捕まるわけにいくはずもなかった。大きな騒ぎになる前にこの場を脱しなければならない。先刻までの目論見とは全く真逆の考えが直樹の中で生まれてくる。
焦る気持ちを抑えながら、直樹は背後から向かってくる二人の男に視線を向けた。何か貴重な物でも見せびらかしているかのように、金属バットを掲げて必死の形相で彼らが迫ってくる。
しかし、その息が絶え絶えなのは外見から十分に分かった。あまり人のことは言えないが日頃、運動などといったこととは皆無の日々なのだろう。
そんな人間が急に走れば、若いとは言ってもすぐに顎が上がるに決まっていた。直樹は手前の男には前蹴り、続いて後ろの男には下段回し蹴りを放った。下段回し蹴りを受けて片膝をついた男の髪の毛を直樹は両手で無造作に掴むと、そのまま右膝をその男の顔面に叩き込む。
膝頭に何かが潰れるような感触がある。膝を叩き込まれた男が白目を剥いて昏倒する姿が見て取れた。
前蹴りを受けた男はアスファルトに尻餅をつくような格好だった。既にその手からは金属バットが離れている。直樹はその距離を一気に詰めて、尻餅をついている男の左頬に今度は下段回し蹴り叩き込んだ。
回し蹴りを放った後、直樹は
「逃げるぞ!」
若菜は頷くと最初に直樹から踏みつけられた若者に一瞬だけ視線を向けた。
「……死んじゃったかもね」
直樹を非難する響きや相手に同情する響きもそこには一切なくて、その言葉の響きや表情には何の感情もないように直樹には思えた。そして若菜のそんな言葉と表情に直樹は自身の背筋が一瞬だけ寒くなるのを感じる。
若菜にならって直樹が若者に視線を向けると、若者は小刻みにまだ痙攣を繰り返していた。痙攣をしながら血が混じった泡のようなものも口から吹き出している。
危険な状態ではあるのかもしれないが、流石に死ぬことはないだろうと脳裏で直樹は思う。直樹としてもそれに同情などをするつもりも後悔もない。
いずれにしても今はそれを気にかけている時ではなかった。行動を間違えていれば、あの姿になっていたのは金属バットで殴られた自分の方だったのかもしれないのだから。
いつ奴らの追手が現れるか分からないし、周囲にできつつある人垣の中から通報を受けた警察が到着するかもしれない。ここでぐずぐずしているような時間はないはずだった。
直樹は若菜の手をとると、再び大通りに向けて駆け出したのだった。
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