第34話 巻き込まれた

「……斉藤さいとうさん、空気が読めないって、何か酷くないですか?」


「うるせえよ、ハジメ。本当のことじゃねえか」


 去り際に彼らからそんな遣り取りが聞こえてくる。片山かたやまはそんな言葉に苦笑を浮かべて呟くように言う。


「あの野郎、勝手に座組へ入って来て、散々引っ掻き回しやがって……」


 その言い方には否定的な成分はあまり含まれていないように直樹なおきには感じられた。片山から差し出された片手に捕まって立ち上がった直樹は若菜に視線を向ける。


若菜わかな、大丈夫か?」


 若菜は相変わらずの面白くなさそうな顔で頷く。


「直樹さん、そいつの心配は後で。斉藤の野郎が、直樹さんたちがここにいることを誰にも喋らない。そんな保証はないので」


 ……そいつね。

 直樹は心の中で呟いて溜息をつく。

 この一件に巻き込まれた感のある片山としては、若菜のことをそいつ呼ばわりもしたくなってくるのだろう。


「若菜、取り敢えずここは危険らしい。行くぞ。話は後だ」


 斉藤に腹部を蹴られていまだに床に這いつくばっている店長を横目にしながら直樹は若菜をそう促した。片山と同様に巻き込まれただけの店長に同情する部分もあるが、今は見ず知らずの者に構っている余裕などあるはずもなかった。


 そんな直樹の言葉に若菜はつまらなそうな顔のままで頷いたのだった。





 ここであれば誰にも知られていないはず。

 そう言われて片山に連れられて来たのは、六本木交差点から近いところにある雑居ビルの一角にあったバーだった。


 もちろんまだ昼間なので営業はしていない。片山が事前に連絡を入れていたのだろう。店の扉に鍵はかけられていなかった。


 何かと手回しのいい男だ。直樹は改めて片山のことをそう思う。


 片山が何故、ヤクザ家業をしてきたのか直樹が知るはずもないのだが、ヤクザにならなければ優秀な会社員として生きていけたのではないだろうかと思う。


 それとも暴力団という組織で若頭という位置にいるには、これぐらいは有能でないと駄目なのだろうか。


 斉藤も粗暴に思えるような立ち振る舞いに反して、頭が切れるような一面があった。ヤクザも単なる暴力装置のみで存在できるような時代ではないのかもしれない。


 会社員もヤクザも生きづらい世の中だな。そんな皮肉めいた思いが直樹の中で生まれる。


「適当に座って下さい」


 片山はカウンターの席を指差して自身はカウンター奥にある冷蔵庫に向かった。片山に勧められるままに、直樹と若菜はカウンターの中央にある椅子に座る。


「酒ってわけにはいかないでしょうからね」


 片山がそう言って持ってきたのは五百ミリ入りのペットボトルに入った炭酸水だった。


「まあ、グラスがないのは勘弁して下さい。冷えてはいるのでね」


 この状況でグラスがないことに不平や不満があるはずもなく、直樹は礼を述べて片山から炭酸水を受け取る。若菜は変わらずの面白くなさそうな顔でそれを受け取っている。


 片山はカウンター越しに立ったままで直樹に視線を向けた。


「傷は大したことはなさそうですね。こいつで血を拭いて下さい」


 片山から差し出されたおしぼりで、先程からズキズキと痛みを主張している頭を直樹は拭う。痛みはまだあるが、血は完全に止まっているようだった。


 顔を顰めながら側頭部をおしぼりで拭う直樹を見ながら、片山が口を開いた。


「さて、状況をまとめましょうか」


 片山の言葉に促されて、直樹は蒲田・川崎狂走会きょうそうかいの連中に拉致されたものの、隙を突いて辛うじて逃げ出せたこと。そして続けざまに斉藤たちに拉致されたこと。また、例のリストの件を掻い摘んで片山に伝えた。


 狂走会の連中から逃げ出すことができた要因になった若菜の弟、武のことは敢えて話さなかった。片山に話したところで若菜と武の関係が他に漏れるとは考え難かったが、それでも念のためにと判断したのだった。


 話し終えた後、厳しい顔で黙り込んだ片山に向けて直樹は再び口を開いた。思えば昨日から一睡もしていないのだが、精神が昂っているからなのだろう。まだ眠気も疲れすらも感じてはいなかった。

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