第32話 落とし前

「このリストを持っていたのは、日本で一番でかい組織、七代目竹名たけな組だ。そいつら以上に、日本でこのリストを有効に扱えるところなんてありはしねえよ。となれば、リストの売り先は海外ってことになる。海外じゃあ合法、非合法も含めてスポーツギャンブルは盛んらしいからな。動く金だって日本とは桁違いだ。ギャンブル狂いで、しかも腐るぐらいに金を持っている日本人のリストだ。海外の奴らは喉から手が出るぐらいに欲しがるぜ?」


「ふん。下品な顔の暴力装置だと思っていたら、そこそこ賢いみたいね」


 その瞬間だった。若菜わかなの頬が派手な音を立てる。思わず腰を浮かせた直樹なおきの腹部には、斉藤さいとうの踵が即座にめり込んだ。不意をつかれたこともあって、まともに鳩尾に斉藤の踵が入ってしまったようだった。


 息ができない。体を九の字に曲げ、酸素を求めて口をぱくぱくと開閉させるのが精一杯だった。両目に涙が滲む。パイプ椅子から転げ落ちて、床に額をつけてうずくまった直樹の頭上から感情のない斉藤の声が響く。


「てめえにも舐めた口をきくなと、何度か言ったよな? てめえを肉体的にも精神的にも追い込むことなんて簡単なんだぜ?」


「……どうするつもりだ?」


 涙で視界が滲んでいる。蹲ったままで咳き込みながら、直樹は辛うじてそれだけを言った。すると斉藤は少しだけ考えるような素振りをみせた。そしてゆっくりと口を開く。


「あ? うるせえな。言っただろう? こんなリストはデカい組織じゃねえとどうにもならねえとよ。うちの組でどうにかできるリストじゃねえな。うちの組で仕切れる違法ギャンブルなんて三流芸能人や、せいぜい小金持ち相手なんだよ」


 斉藤の顔は変わらずに無表情だったがその口調には面白くなさそうな成分が多分に含まれていた。斉藤は更にその口調のままで言葉を続けた。


「まあ、このリストをうちの組が海外に売るって方法もあるにはあるがな。だが出処がうちの組だとわかれば、七代目竹名組に正面から喧嘩を売ることになる。情けないが、そんなリスクはうちの組も背負えねえだろうよ。組の規模が違いすぎる。うちと七代目竹名組じゃあ大人と子供だ。喧嘩になりもしねえよ」


 斉藤がそう言い切った時だった。入口付近の空気が動いた感覚があった。後ろ手に縛られて床に片膝を着けたままの格好で、直樹はそこに視線を向ける。


 そこには片山かたやまが立っていた。斉藤もそれに気がついたようで、片山に視線を既に向けていた。


 そこに立つ片山は無言だったが、明らかに怒気を纏っているように見えた。斉藤は変わらずに無表情なままでそんな片山に視線を向けているだけだった。やがて片山がゆっくりと口を開いた。


「斉藤、てめえが何をしているか、分かっているんだろうな?」


「あ? 分かっている? 片山、てめえに言われることじゃねえぞ」


 片山は斉藤の言葉を無視するように直樹、次いで若菜に視線を向ける。二人の顔を見て、直樹と若菜が斉藤たちに手を出されたことは分かったようだった。


「斉藤、何をした? この落とし前はどうつけるつもりなんだ?」


「あ? 落とし前だ? 言ったろう? てめえに言われることじゃねえってよ。片山、文句があるのか? うちと戦争でもするつもりか?」


「戦争だ? でかい口を叩きやがって。目出度い奴だな。下っ端でしかないてめえごときの意見で、てめえの組が動くと本気で思ってんのか?」


「うるせえんだよ。片山、てめえも同じだろう。この一件で、てめえは組を動かせるのか? 動かせるんだったらこんな所に一人で来やしねえよな? なあ、若頭さんよ!」


 斉藤……粗暴といってよい男のようだったが、発言の内容自体には知性を感じる部分があると直樹は感じていた。イカれていること自体は間違いないのだろうが、全てにおいてイカれているということではないらしい。斉藤は更に言葉を続けた。

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