第31話 女の色香

「……なるほどな。ノミかよ。それにしても随分と大層な名前が並んでいやがるな。政治家に芸能人、こいつは大企業の創業者一家か? なんだこりゃ? 海外で派手に活躍している野球選手の通訳までいるじゃねえか? 酷いもんだ。こいつらは、どいつもこいつもギャンブル狂いってことか?」


「ヤクザのくせに随分と詳しいじゃない」


「ヤクザの世界も最近は世知辛くてな。荒事専門っていったところで、ある程度は世間の常識がねえと、今は生きていけねえんだよ」


 斉藤さいとうはそう言うと若菜わかなに向けて唇の端を少しだけ曲げてみせた。


「で、お前はこいつをどうするつもりだった?」


「知らないわよ。お金を奪ったら、たまたまそれがついてきただけよ」


 まるで買った商品のおまけだったかのように、不貞腐れたままで言う若菜を斉藤が無言で見つめている。その顔にはやはり何の表情も浮かんではいない。斉藤がゆっくりと口を開いた。


「たまたまか……そいつは嘘だな。信じるのは無理ってもんだ。大体、たかだか一億でヤクザから金を盗む奴がどこにいる?」


「知らないわよ。ここにいるんじゃない?」


 若菜が吐き捨てるかのように言う。


「てめえ、いい加減にしろよ? こいつをどこに、いくらで売り飛ばす算段だ?」


「は? だから知らないって。売るつもりならUSBなんかを持ち歩いていないで、とっくにメールでデータを飛ばして売っているわよ」


 斉藤は少しの間だけ無言で若菜を見つめた後、直樹なおきにも無言で視線を向けた。直樹を見つめるその斉藤の顔にも何の表情も浮かんではいない。相変わらず嫌な顔だと直樹は思う。


「てめえは何も知らねえのか?」


「……知らないな」


 事実だった。直樹は斉藤の言葉に首を左右に振る。それを見て斉藤は面白くなさそうな顔で再び直樹に向けて口を開いた。


「てめえが何も知らないってのは本当だろうな。大方、巻き込まれた口か? 女の色香に惑わされやがって。馬鹿な奴だ」


 明かに馬鹿にしたような斉藤の言葉だった。だが斉藤の言葉は半ば当たっているだけに、直樹としては反論できない。


「ただ、この女が言っていることは嘘だろうな」


「はあ? 嘘じゃないって!」


 若菜が斉藤の言葉に対して被せるように言い放った。


「うるせえよ。てめえは黙っていろ。さっきから舐めた口ばかりきているんじゃねえぞ」


 斉藤の鋭い言葉に若菜が黙り込む。常に傍若無人にもみえる若菜でも流石に斉藤は、下手に怒らせてはいけない相手だと判断しているのかもしれない。


 それぐらいに斉藤と言う男が危険な雰囲気を持っているのは間違いがなかった。先程、斉藤は自分で荒事専門だと言っていたが、その言葉に下手な誇張はないように思えた。


「顧客リストを売るはずが、何らかの事情で売れなかった。もしくは売るのが遅れているってのが本当のところだろうよ」


 斉藤の言葉に若菜は答えない。再び先程までの不貞腐れたような顔に戻る。


「……売ったけど、データをまだ持っていたってことじゃないっすかね?」


 ハジメが何の屈託もない調子で口を挟んできた。


「ハジメ、てめえは黙っていろよ? 今は出る幕じゃねえぞ?」


 そう言ってハジメに対して斉藤は表情のない顔を向けた。するとハジメはたちまち青い顔をして黙り込んでしまう。


 普段から斉藤の近くにいると思えるハジメのそんな様子をみているだけでも、斉藤の根っこにある恐ろしさが分かるというものなのかもしれない。


「こいつを買うとすれば、その組織は相当にデカいはずだ。そんなデカい組織が大金を出しておきながら、売った奴の手元にデータを残しておかせるような真似はしねえよ。そいつらが買った後に他のところにも同じように売られたら、そいつらの出した大金がフイになるわけだからな。そこには何らかの保険をかけておくはず」


 それに……と言って斉藤は更に言葉を続けた。

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