第30話 名簿

「さてと……」


 斉藤さいとうはそう言って、パイプ椅子に座っている直樹の真正面に場所を移動する。


「別に俺は女をいたぶるのが好きなわけじゃねえ」


 斉藤はそう言った後、少しだけ不思議そうな顔で首を捻ってみせた。


「いや、違うな。好きなわけじゃねえが、いたぶるのに女も男も関係ねえ」


「……どういう意味だ?」


「あ? いたぶるのに女だからって容赦しねえってことだよ」


 その言葉に直樹の血の気が一気に下がっていったようだった。


「あの女に何かしたのか?」


 質問するなと言われていたが、直樹なおきは思わずそう訊いてしまう。しかし、斉藤は特にそれを咎める様子はなかった。


「あ? 宥めすかして、脅しただけだ」


 脅し……。

 こいつらはヤクザだ。当然、脅しの中には言葉だけではなくて、暴力も含まれているのは明らかだった。


「お前らが拉致られた後、あの女が面白い物を持っているってのを耳にしてな。まあ、俺もその仲間に入りたくなったわけだ」


「てめえ……」


 その瞬間だった。直樹は斉藤に平手で頬を叩かれる。派手な音がしたが、痛み自体は大してありはしなかった。ただ口の中で鉄の味が広がったので、口の中を少しだけ切ったのかもしれない。


「てめえだ? 口の利き方に気をつけろと言ったよな?」


 直樹は無言で斉藤を睨みつける。上から直樹を見下ろす斉藤の顔には何の表情も浮かんでいなかった。ただ、何の表情もないことが逆に斉藤の怖さを物語っているような気がした。そんな時だった。


「斉藤さん、出力してきましたよ」


 そんな言葉とともにホストのような格好をした茶色髪の男が若菜わかなを伴って現れた。斉藤が連れていたチンピラで、ハジメと呼ばれていた若い男だ。


 ハジメの背後で若菜は不貞腐れたような顔をしている。ただその顔を見る限りでは、不貞腐れているだけで手荒な真似をされた様子はなかった。


 ハジメは出力してきたと言う紙の束を斉藤に手渡した。


「何かの名簿ですかね。名前と携帯番号、そしてメールアドレスが並んでいます」


 斉藤はそれを一瞥して若菜に視線を向けた。


「おい、女。こいつは何の名簿なんだ?」


 若菜は不貞腐れたような顔で横を向いている。


「馬鹿だな、お前。まだ分からねえのか? それで抵抗しているつもりか?」


 斉藤の言葉に若菜は怒りのこもった目を斉藤に向ける。それを見て斉藤は更に言葉を続けた。


「ヤクザが管理している名簿だ。そんなもんは九割方が薬、売春、そして賭け事しかねえんだよ。あ? 何の名簿だ?」


 若菜は答えない。そんな若菜に対して斉藤は怖いぐらいに無表情だった。


 ……名簿。

 正直、合点がいったと直樹は思っていた。何故、国内で最大規模の広域暴力団である七台目竹名たけな組が若菜の行方を公言してまで執拗に追っていたのか。


 キャバ譲ごときに一億円という金を盗られたこともあるのだろう。ヤクザとしての面子を潰されたということも確かにあるのだろう。


 しかしそれが理由としてはあまりにも異様だった。金を盗んだ女を捜すよう友好団体である全国のヤクザ組織に通達を出したり、蒲田・川崎狂走会きょうそうかいの連中を使って女の行方を捜させたりと。


 女の行方を追って通達を外部に出すということはヤクザが女に金を盗まれたといった、いわば身内の恥を外部に晒すことになるのだ。言ってしまえば、たかが一億円なのだ。恥を晒してまで行うようなことではないように思えていた。


 それらを行った理由が一億円を盗られたこと以外にあるというのであれば、納得もいくというものだ。


 しかし、一方では疑問も残る。名簿といっても何の名簿なのか。余程の有名、著名人が記載されているような名簿でなければ、ここまで連中が躍起になってその行方を追うことはないだろう。


 そんな多数の有名、著名人が記載されているような名簿なんてあるものなのか。仮に薬の名簿だとしても有名、著名人が記載されているなんてほんの数名だろう。


「おい、何の名簿だ?」


 若菜は尚も答えない。それを見て斉藤が再び口を開く。


「あまり舐めるなよ? 俺は荒事専門だからな。精神がぶっ壊れて元に戻らないようなことも平気でやるんだぜ?」


 斉藤の顔は相変わらずの無表情だ。それ故の恐怖を若菜も感じたのだろう。不貞腐れた顔のままで口を開く。


「……賭け事よ。スポーツギャンブル」

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