小狐とフラワーボックス
葵月詞菜
第1話 小狐とフラワーボックス
静かな休日の昼下がりだった。
部活動も休みだった
ラッピング用のアイテムを補充したり、店内をふらりと回りながら花の様子を確認したり。
ふと店内の柱に張られたポスターに目を遣ると、そこにはホワイトデーの文字が躍っていた。確か一か月前はバレンタインデーのものが貼られていたはずだ。つまり、どちらも花を贈りませんかという宣伝である。
ポスターには生花の花束の写真と、フラワーボックスの写真がイメージとして掲載されていた。実はどちらも初音の母親がアレンジしたものである。ちなみに写真を撮ったのはカメラに凝っている親戚のお姉さんだ。
(そういえばもう来週だな)
初音がそんなことを思っていると、店内に人がやってきたことを知らせる音が鳴った。
若い背の高い男が真っ直ぐにレジの方へと向かってくる。
「あの、フラワーボックスを受け取りに来たのですが……」
「はい、少しお待ちください」
初音は男の名前を確認すると、レジの後ろにある棚から伝票を取り出した。商品を保管している場所に行き、注文の品を見つけて持って行く。
ハート形のシンプルな白い箱。しかし蓋を開けると、春らしい色合いのアレンジが詰め込まれていた。真ん中の濃いピンクの花がアクセントとなっている。
「こちらでお間違いないでしょうか?」
「はい、ありがとうございます! 実物で見ると一層華やかですね」
男は嬉しそうに笑みを浮かべていた。事前に完成した写真を確認してもらっていたが、どうやら満足していただけたらしい。
「ではこちらにラッピングいたしますので、もう少しお待ちください」
初音も嬉しい気持ちになりながら、箱を一旦作業台の上に置いた。バックで作業をしているだろう母親を呼んでこなければならない。
初音もラッピングはできないことはないのだが、まだあまり自信はなかった。特に初めての客の場合は母親に頼むことにしている。
母親はテキパキと綺麗にラッピングを完了させ、男を笑顔で見送った。一丁上がりである。
また店番に戻った初音は、作業台の上に空の箱を置いた。練習用の造花が入った籠を取り出す。たまには少し練習しようと思ったのだ。
いくつか母親の作った作品も取り出して眺め、これから作るイメージを膨らませる。
その時、ふと視線を感じて窓の方を振り返った。
「!?」
そこには見たことのある小狐の姿があった。興味津々の円らな瞳でじいっと初音の方を見ている。
初音は慌てて近づくと窓を開けた。
「きつねさん!? 何やってるの!?」
「おう、初音。久しぶりやな~」
出た、関西弁。見かけとのギャップが激しい。久々に目の当たりにするとやはり衝撃だ。
関西弁を喋る小狐は、ひょいと身軽に窓を越えて店内に入ってきた。
ふさふさとした尾を持つ茶褐色の獣。だが少し異様なのは、コートのような衣服に身を包み、毛糸で編んだ小さな鞄を斜め掛けにして二本足で立っていることだった。
色々あって顔見知りとはいえ、初音もこの生き物が本当に小狐なのか何なのかよく分からない。だが決して怖いものでないことだけは分かっている。
「なあなあ、そのキレイな宝石箱は何なんや?」
小狐は呆然とする初音を置いて作業台の方へ向かう。器用に近くの椅子を足掛かりにして作業台の上を覗き込んでいた。
「ああ、フラワーボックスだよ」
「花がぎょうさん詰められてるんか」
「そう。ちなみにそこにあるのは造花だけどね」
キラキラした目で母親の作ったアレンジに見入る小狐を見て、初音も何だか微笑ましくなった。
「キレイやな~。そうや、今回のプレゼントはこれにしよ」
小狐がくるりとこちらを振り返った。
「初音、もう少し小さい箱で、わいにも一個作ってくれへんか?」
「え?」
突然の注文にびっくりする。この小狐は神出鬼没であるが、言い出すこともまた突飛である。
「誰かにプレゼントするの?」
「そうや。お世話になったひとに会いに行くんやけど、何持って行こかなて迷てるとこやってん」
「なるほど。でも私に頼んで良かったの?」
「なんでや? 初音も作れるんやろう?」
「いや、まだ練習の身でして」
「じゃあ練習でかまんさかい。そんなん気にするひとちゃうし、初音が頑張って作ってくれたんでええ」
「ええ~後悔しても知らないよ」
初音は苦笑しながら、小狐の希望に沿う大きさの箱を探した。中に詰める花の素材を決め、小狐と話しながらイメージと種類を決めていく。
途中から楽しくなってきたのは初音だけではなかったようで、結局小狐と一緒に作品を完成させた。
「ええなあ。ありがとうやで初音」
「いえいえ。こちらこそ楽しかったよ、ありがとう」
今回は初音がラッピングした箱を、小狐は大事そうに抱えた。
「きっと気に入ってくれはるわ。これはもらう方も嬉しいやろなあ」
「だと嬉しいな。そうだ、今度はきつねさんにも作ってあげるね」
「ほんまか!? 楽しみやあ。そういう初音はもらったことあるんか?」
「私? うーん、そうだなあ。改めて言われると誰かにプレゼントとしてもらったことはないかも」
いつも注文を受ける側であり、誰かから贈り物として初音個人にもらった覚えはなかった。
(誰かが自分のために考えて贈ってくれたフラワーボックスを開けた時ってどんな気持ちなんだろう)
いつか自分もそんな贈り物をもらえることがあるだろうか。
「じゃあ初音、ほな。ほんまにおおきに」
「うん、バイバイ。お世話になった人によろしくね」
小狐はちゃんとお金を支払って――初音の練習も兼ねていたし小狐も一緒に手伝ってくれたのでだいぶおまけ価格だ――どこかに消えてしまった。本当に不思議な狐である。
初音は気を取り直して、作業台の方に向き直った。いつか小狐にプレゼントしてあげるためにも練習に励むとしよう。
そしてホワイトデーの日がやってきた。
当日の注文を含め、花屋はそれなりに賑わっていた。今日ばかりは初音もラッピング要員として駆り出され、自信がない云々の弱音を許されない状況だった。
「お姉ちゃん、ありがとう」
それでも客からそんな言葉をもらうと嬉しくて、少しは自信がつくものだ。初音はテキパキと手伝いに勤しんだ。
ようやく閉店の時間となった時、片づけをしていた初音は窓の外に視線を感じた。
「あ」
そこにいたのはやはり、あの小狐である。いつかのようにこちらをじいっと見ていた。
「きつねさん。どうしたの」
窓を開けて訊ねると、小狐はこちらを見上げたまま言った。
「もう店は落ち着いたか? ちょっとだけ出て来てくれへんか」
「?」
初音は不思議に思いながらも入口に回って外に出た。少し離れた人気の少ない所に小狐が立っていた。
そしてそのすぐ横にもう一人、茶髪の青年が並んでいる。
「キリちゃん!?」
良く知った昔馴染みの存在に驚く。彼もまた小狐に負けず劣らず神出鬼没の存在で、いつも初音の予期せぬ所に現れる。この前会ったのはいつだったか。そう、だいぶ遅れたバレンタインデーを渡した記憶がある。
「久しぶり、初音」
「帰って来てたの?」
大学生の
何せ本人からは連絡がこないし、困ったことにこちらからの連絡も繋がり辛い。
八霧は初音の問いには答えず、手に提げていた紙袋を前に出した。
「はい」
「お土産?」
「働き過ぎて今日が何の日か忘れちゃったの?」
紙袋を受け取った初音は束の間考え、そしてはっとした。
「もしかしてホワイトデー!?」
「もしかしなくてもそうだよ」
「え、だってあのキリちゃんだよ? キリちゃんがホワイトデーを覚えていて、わざわざお返しを持って来るとか奇跡じゃないの? しかも当日に!!」
「うわあ、ひどい言われよう」
八霧が半眼でこちらを見下ろすが、初音は本当のことしか言っていない。
足元からくすくすと笑う声が聞こえた。
「確かに初音の言う通りかもなあ。わいが誘わんかったら、絶対ホワイトデーすっぽかしてたやろ」
小狐が八霧の足をポムポムと叩いている。
「突然現れたと思ったらホワイトデーが云々言いだしやがって……」
ぼやいた八霧はため息を吐いた。
なるほど、この小狐が八霧を今日ここへ連れて来てくれたらしい。
初音は小狐の前にしゃがみこみ、「ありがとう」と礼を述べた。
「そんなことより初音! 早よ開けてみ!」
小狐に急かされて、初音は紙袋から中身を取り出した。中に入っていたのは銀色の星形の箱だった。金色のリボンを解いて蓋を開けると、
「うわあ……!」
そこに詰まっていたのは鮮やかな花々と、それからお菓子だった。
初音が好きな暖色系の花が基調になっていて、見ているだけで心が躍った。
「お前には全部菓子でも良いかと思ったんだけどな」
上から八霧の声が降ってくる。初音はまだその箱から目が離せないでいた。
「どうや、初音。気に入ったか?」
一緒に箱を覗き込んでいた小狐が目を細めて訊ねてくる。
「――うん! ありがとう!」
嬉しい。まさかこんなに早く、自分にフラワーボックスが届くとは思わなかった。
ゆっくり立ち上がって、今度は八霧を見上げる。彼は穏やかな顔でこちらを見ていた。
「キリちゃんも、ありがとう。大事にする」
「ああ」
八霧が初音の頭をポンと軽く叩き、それからふっと笑った。
「まあ、お菓子の方はすぐになくなりそうだな」
「そっちも大事に食べるよ!」
初音が思わず頬を膨らませるのを見てさらに八霧が笑いだす。
「ほんまに良かったなあ」
小狐がそんな二人を温かく見守っていた。
小狐とフラワーボックス 葵月詞菜 @kotosa3
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