たとえばこんな二人がいても

takemot

たとえばこんな二人がいても

 放課後。将棋部の部室。


「あの」


 盤上へ駒を打ち下ろしながら、僕は目の前の女性に声をかけました。


「なーにー?」


 柔らかい声音とともに、その女性は顔を上げます。整えられた長い黒髪。透き通るような白い肌。僕を見つめるパッチリとした大きな瞳。きっと日本中の誰が見ても、彼女のことを美人と評しない人はいないでしょう。


 そんな彼女の正体は、将棋部の先輩。そして……。


「僕、いつになったら師匠に勝てるんでしょう?」


 僕の師匠でもあります。


「そうだねー。いつになったら……か。むむむ」


 腕組みをしながら考え始める師匠。軽い雑談程度のつもりだったのですが、まさかそこまで真剣になってくれるなんて。一体どんな答えを返してくれるのでしょう。僕の中で、ムクムクと『期待』の二文字が膨らんでいくのが分かりました。


 数秒後。


「予想だけどいいかな?」


「はい」


「たぶん、十年後かなと」


「そんなにですか!?」


 驚きのあまり、僕は思わず叫んでしまいました。


「あくまで予想だよ。根拠なんて皆無」


「は、はあ」


「まあ、弟子君にはそのくらいになるまで負ける気はないって気持ちも含んでるかな。師匠として、ね」


 そう言って師匠は微笑みます。油断すると見とれてしまいそうなその笑顔に、僕は思わず盤上の方へと顔をそらしました。


 十年後……。


 ため息を吐いてしまいそうになるほどの長さ。でも、実際は現実的な数字かもしれません。高校に入学し、師匠と会ってからの約一年。何度も二人で対局をしましたが、僕は一勝もできていないのです。今やっているこの将棋だって、あと数十手もすれば僕は負けてしまうに違いありません。


 果たして、十年で師匠を抜くことはできるのでしょうか。十年後といえば、僕は二十六歳で師匠は二十七歳。今は全く想像が……。


「あれ?」


 その時、僕はあることに気がつきます。


「ん? どうしたの?」


「……え、いや。なんでもないですよ」


「ふーん、そっか。おっと。次は私の手番だったね」


 盤上を見つめて小さく首を傾ける師匠。そんな彼女を見つめながら、僕はこう考えていました。


 十年たつまで勝てないってことは、少なくともそれまでは師匠と……。


「ふむ。こうかな」


 綺麗な手つきで駒を持ち、師匠は次の一手を放ちました。


「あ」


「ふっふっふ。この手は予想してなかったみたいだね」


「うーん、そっか。こういかれるとまずいのか」


「そうそう。いやー。やっぱり、弟子君が私に勝つのは十年後じゃなくて二十年後かも」


「……むう」


 無理矢理唇を尖らせる僕。きっと、今の僕の姿は、師匠にからかわれて拗ねているように見えているはずです。いや、そう見えていないと困ります。師匠に、だらしがないニヤケ顔なんて見せたくありませんから。


 二人だけの将棋部の部室。いつも通りの穏やかな空気が、僕たちを優しく包んでいました。

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