終章-1

 神父様の説教が始まり、葬儀は漸く終盤に入った。

 敬虔なクリスチャンで外交官の家族、そして多額の寄付をしていたという事で、彼女…戸籍上は"彼"の葬儀は盛大に行われた。

 警察の同僚やアメリカの友人のみならず、各国の大使や日本の政治家、難民支援協会からも参列者があった。


 神父が彼女の偉業をとうとうと読み上げる。

 井戸を作った。学校を作った。億単位の寄付をして、何万人もの命を救った。

 毎週のミサには欠かさず来てボランティアも熱心に参加した。

 警察官としても優秀で同僚の評判は良く、とくに女性被害には親身になって対応した。


 次々と続く彼女の功績の羅列に深くため息を付く。この分だと、列聖はほぼ確実だろう。

 どうやら、彼女は討伐報酬を全て寄付していたらしい。

 ヒーロー、正義の味方、聖者、そうして彼女の名前は歴史に残る。


 式の途中だったが教会を出る。

 季節はもう夏の只中だ。真上から下ろす日光が冷房で冷えた体をすぐに暖めてくれた。


「っ!」


 両腕を上げて体を伸ばすと、腹部に鈍い痛みが走った。

 胃と腸の一部は切除していた。

 命が有るだけで貰い物だが、大食いは控えてと言われた時は哀しい気持ちになった。


 スマホを取り出すと、もうすぐお昼の時間だった。

 ラインは…来ていない。


 …学校、行かないと。


 電車を乗り継ぎ、吉祥寺駅で降りると成苑大学行きのバスに乗る。

 成苑大学正門から成苑中高まで続く長い欅並木を通る。

 樹齢100年以上の太い欅が左右に並び、遥か頭上まで枝葉を伸ばしている。

 夏の木漏れ日が道に差し、欅の葉や枝が夏風の音を鳴らしていた。


「すいません、遅くなりました」


 そう言って教室に入る。

 既に5限目の授業が始まっていた。

 幾つもの視線が集まるがすぐに消える。


 自分の席に座り、ノートと教科書を取り出す。

 ちらりと右後方の座席を見るも、そこの主は不在だった。

 小さく目を瞑ってから、板書を始めた。




 キーンコーン…


 6限目の終了のチャイムが鳴る。


「先生、またねぇ!」

「斎藤さん、また明日!」


 最後の授業は現代文だった。

 皆が三ノ宮先生に挨拶をしてから教室を出ていく。


 ようやく人の波が収まった後、私は教壇に立つ三ノ宮先生に近寄った。


「…さようなら」

「ふふ、マヤさん、また明日ね」


 そう言って三ノ宮先生が笑顔で私に手を振る。


「はい、また」


 私は会釈をしてから教室を出た。




 バスと電車を乗り継いで米大使館宿舎に向かう。

 身分証を提示して厳重なチェックを受けてから宿舎に入る。

 事件のせいで宿舎は物々しい警戒態勢がひかれており、米軍が敷地の警備についていた。


 米大使館宿舎の騒動については大きな話題になる事はなかった。

 ネットニュースの片隅に、大使館職員が花火大会をして近隣住民から苦情が来た、と掲載されたのみだ。

 事件の数少ない生存者である私も、殆ど無罪放免だった。


 宿舎に併設された病院に行き、受付で手続きを済ませる。

 暫く待っていると医者に呼ばれてから、10分ほど小難しい話をされた。

『君の父親に有効な治療はないよ』それだけで済ませられないのは難儀な職業だと思う。


「失礼します」


 看護師に連れられて病室に入る。

 父は静かに寝ていた。

 ホッと息を吐いて、なおざりに看護師から説明を受ける。

 父が病院でどう過ごしているか、など心底どうでも良かった。


「ああああああ!!」


 突然の絶叫がする。

 父が布団を被ってベッドの片隅で蹲っていた。

 どうやら起きてしまったようだ。

 看護師が父に慌てて駆け寄って、子供のように父をあやしている。


「人間」ではなく「害獣」。

 そう教え込まれても何年も何百人も殺していれば誰だってこうなってしまうのかもしれない。

 誰にも相談出来ず、誰にも尊敬されず、人を殺す記憶と感触だけがひたすらに積み上がっていく。


 何も言わずに病室を出る。

 父が壊れたのは、母が自殺してすぐだった。

 人はこうも脆いのか。子供心にそう感じたものだ。


 再び電車を乗り継いて、中野の警察病院に向かう。

 警察病院のボヤ騒ぎは米国大使館宿舎とは違い、大きなニュースになった。

 実態としては発煙筒を投げ込まれただけなので、現在は正常に機能しているようだ。


 手慣れた面会手続きを取って、病室に向かう。


「こんにちは」

「あ、マヤさん、こんにちは」


 開いた扉の奥で、やつれた姿の雲野京香がこちらを振り向く。


「今日も来てくれて、ありがとう」

「いえ」


 ベッドには雲野正和が横たわっていた。

 体中に包帯が巻かれ、幾つもの管が刺さっている。


 生体情報モニタの動きは、昨日よりも大分弱々しく見えた。

 嫌な予感がして京香の顔を見る。

 すると、京香は魂を零すようにポツリと口を開いた。


「もうすぐ、心臓が止まっちゃうんだって」


 喉の奥が詰まった気がした。


「…何故?」


 やっと、それだけを言葉にする。


「脳が死んじゃったみたい」


 京香の瞳孔が定まっていない。


「どうして、かな」


 ぽろりと京香の瞳から雫が落ちた。


「円香も、正和も、どうして先に行っちゃうんだろう」


 そう言って顔を伏せてさめざめと泣く京香に、私は何を言う事が出来なかった。




 雲野正和の病室を出たのはそれから30分後の事だった。

 ひたすら立ち尽くす私を、しかし最後には京香は謝罪と共に送り出した。


「あ、マヤちゃん!」


 廊下で看護師に会った。


「こんにちは」


 立ち止まって頭を下げる。


「はい、こんにちは!いつもお見舞いありがとね」

「いえ」


 そう言って首を降ると、看護師と一緒に琴音の病室へ向かう。


 扉を抜けると、ベッドには琴音が静かに寝ていた。

 雲野正和と同様に幾つもの管が刺さり、体中に包帯が巻いてある。

 モニターを確認すると、昨日とあまり変わりないように見えた。


 ふうっと息を吐いて琴音に近寄る。

 そして、その手を両手で握った。


「今日は学校どうだった?」


 看護師が窓際の花瓶に水を注ぎながら話しかけてくる。


「いつも通りです」

「ふふ、そっか」


 少し躊躇した後に、看護師さんに声を掛ける。


「あの…」

「うん?」


 しかし、何を問えばいいか分からない。


「大丈夫、ですか?」


 漸く絞り出した意味不明な質問。

 しかし、看護師は私をまっすぐに見た。


「大丈夫。絶対」


 そう言って、こちらに近づいてくる。


「だから、そんなに不安そうな顔をしないで」


 看護師が私の髪を撫でた。


「…はい」


 私はその日も夜まで琴音の手を握り続けた。

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