2024年5月27日(月)

「ええ!今日も外出?」


 驚く看護師さんに頭を下げる。


「はい、どうしても学校で先生に会わなきゃいけなくって」

「もう3日連続よ?先生を騙し続けるのも無理が有るわ」


 …騙していたのか。


「すいません、そこを何とか…」


 そう言って頭を深く下げる。

 昨日の帰り際、マヤに学校に来てほしいと言われていたのだ。


「はぁー…」


 看護師さんが深くため息をつく。


「今日が最後よ?」

「分かりました」


「…分かったわ、じゃあまた先生の許可貰っておくから早めに戻ってきてね」

「ありがとうございます」


 看護師さんに頭を下げる。


「あと、リハビリを始めたいんですが…」

「琴音ちゃんの脚は全治3ヶ月よ。まだ1週間しか経ってないのに早すぎるわ」


 驚いたように看護師さんが言う。

 しかし、右脚にギプスが付いていたら思うように動けない。


「お願いします」

「お願いって言われてもなぁ…」


 根負けしたように看護師さんが大きくため息をつく。


「分かったわ。ひとまずレントゲン撮ってみるのわ」

「ありがとうございます」

「しかし、琴音ちゃんも遠慮なくなって来たわね」


 看護師さんが苦笑する。


「…すいません」

「責めてる訳じゃないわ。むしろ、今の方がらしい感じする」

「らしい、ですか?」

「うん。みんなに気を使ってる琴音ちゃんも好きだけど、我が強い琴音ちゃんの方が私的にはかっちりハマってる」


 目を瞑って円香の事を思い出す。


「そうですか。ではお願いしますね」

「…もう、分かったわ。準備できたら呼びに行く」


 そう言って嗤う看護師さんに一礼して、私は病室に戻った。




 結局、ギプスは縦に半分に割ってシャーレにしてもらった。

 完全にギプスは外れなかったが、ある程度のリハビリが出来るのと何より松葉杖で動けるようになったのは大きかった。


 その日はマヤが来るまで、私は松葉杖で歩行練習をしていた。

 そして、学校についた私は最初に職員室に向かった。


 コンコン


「はーい!」


 ドアの奥から三ノ宮先生の元気な声が聞こえる。


「藤宮です」


 そう言うと、ドタドタという足音がして扉がガラッと開いた。


「藤宮さん!学校来てたの?ほら入って入って」


 三ノ宮先生に促されるままに現代文の職員室に入る。

 時間は16時を過ぎたばかりで、中には他に男性の先生が1人いた。


「失礼します」


 他の先生に会釈をしてから奥に入っていく。


「ええっと、ここ座って。怪我大丈夫?今日はどうしたの?来るの大変だったでしょう」


 手をわたわたさせて焦ったように三ノ宮先生が話す。その時…


 トゥルルル


 三ノ宮先生の机の電話が鳴った。

 三ノ宮先生は反射的に受話器を取ろうとして、しかし少し躊躇ってから電話機から電話線を外した。


「あはは、気にしないで」


 そう言って三ノ宮先生が電話機を後ろに追いやる。


 円香と私がビルから落ちたのは金曜日の20時、繁華街の只中だ。

 あれからSNSは見ていないが、私の悪名はさぞ広まっているだろう。

 学校への問い合わせは更に増えて、その負担は担任たる三ノ宮先生にのしかかっているに違いない。


「…本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げる。


「もう、藤宮さんが謝る事はないんだよ。貴女は何も悪いことしてないのだから。それよりほら、座って」


 三ノ宮先生が私のとなりに椅子を引き寄せた。


「…はい」

「ええっと、体調は大丈夫なの?病院の先生からは最低1ヶ月はベッドから離れられないって聞いてたんだけど…」

「はい、なんか治りが早かったみたいで」


 そう言って手元の松葉杖を少し持ち上げる。


「はえー、若いって凄いねぇ」


 先生の言葉に少し笑ってしまう。


「先生だって十分に若いでしょう?」

「それがそんな事ないのよ。近頃は首と肩が凄い痛くなっちゃって…」


 三ノ宮先生がトントンと首の後ろを叩く。


「先生、首細いですものね」

「そうなの。昔から運動も苦手で」


 そう言って三ノ宮先生は照れくさそうに笑った。


「私、マッサージしましょうか?」

「え、ホント?」

「はい。お母さんも首の後ろが痛いって言ってて、私が良く揉んでいました」

「そうなんだ!」


 三ノ宮先生が左右に目配せして、そして私に顔を寄せ。


「今は他の先生が居るから、今度2人っきりのときにお願いしても良い?」


 いかにも悪いことを画策してます、みたいにお願いする三ノ宮先生が本当に可愛らしかった。


 トゥルルル


 その時、電話の鳴る音が部屋に響いた。


「はい」


 離れた席に座っている男性の先生が電話を取る。


「三ノ宮先生ですか…」


 そう言って男性がちらりとこちらを見た。

 その視線が三ノ宮先生と私を往復する。


「今は他の電話に対応していますね。いいえ、その件は私が対応します」


 男性は電話を片手に部屋を出ていく。

 三ノ宮先生がその背中に小さく頭を下げた。


「あはは、それで今日はどうかした?あ、学校のことなら大丈夫だよ!前みたいな話にはならないから」


 自分の生徒が2人、亜莉沙に続いて円香も死んでしまった。

 その死には私が深く関わっている。


「特に、用事が有ったわけじゃないんです」


 なのに、どうして…


「え、そうなの?」


 どうして、三ノ宮先生は私に嫌な顔ひとつ見せないのだろう。


「はい、三ノ宮先生に会いたかったんです」


 私がそう言うと三ノ宮先生は目を丸くしたあと、少女のように、はにかんだ。


「えへへ。なんか、照れるね」


 …全く、度し難いな。


 これほど自己が安定している人を他に見たことがない。

 日々、精神を摩耗させ友人に当たり散らす私の対極に有るような人だ。

 だからこそ、頼りにして、安心して、甘えに…。


「…もう、行きます」

「ええ、もう少しゆっくりしていっても」


 …そうか、私は三ノ宮先生に甘えに来たのか。


 小さく首を振る。


「…待たせてる人が、居るので」


 自分の声が震えているのがわかる。

 もしかしたら、会えるのはこれが最後なのかもしれない。


「藤宮さん、今日は来てくれてありがとね」


 混じり気のない好意に溢れた透明な笑顔に、喉が詰まる。


 …大丈夫、三ノ宮先生は強い。私が死んでも…。


 立ち上がって背中を向ける。


「待って!」


 松葉杖を動かし、三ノ宮先生から離れていく。


「藤宮さん、約束、だよ…?」


 消え入りそうな三ノ宮先生の言葉を、私は職員室の扉と共に閉め出した。




 教室に行くと、既にマヤと先輩が中に居た。

 私は無言でマヤに鞄を渡してから、彼女の身体チェックを受ける。

 昨日のボタンは安全ピンを外して鞄の中に入れてある。

 マヤは一つ頷くと鞄を教室の外に持っていった。


「すいません、おまたせしました」


 マヤが教室に戻ってくるのを確認してから、2人に声をかける。


「こいつから大体の話は聞いた」


 先輩は苦虫を噛み潰したような表情で話す。


「流石に信じられんな。その、ハンター?だかに円香と羽月が殺されたってんだろ」


 先輩がマヤの方を見る。


「羽月亜莉沙と羽月優莉菜はリストにあった」


 マヤが言葉を繋ぐ。


「リストってのはなんだ」

「生活保護世帯で、悪質な偽証や不正を行っていると登録される」


 そういうと先輩は、難しい顔で私を見る。

 私は小さく頷いた。


「っち。羽月の方も心当たりはある」

「私としては、先輩が馬鹿らしいと怒って帰ってくれるのが一番望ましいんですが」


 そう言うと、先輩が小さく笑う。


「なかなか言うな。昨日はあんなに震えていたくせに」

「もう、覚悟は決めました」


 先輩は鼻を鳴らして再びマヤを見る。


「お前の話が本当か嘘かはどうでも良い。あの女がこいつを殺しに来る日はいつだ」

「今夜」


 マヤの言葉に息を呑む。


「何故分かる」

「今日の昼に連絡が来た。24時間後に琴音はリストから外れる」

「どういう事だ」

「ハンターには駆除取消の連絡が行く。ハンターは24時間以内に、駆除を終えているか否かの返事をしなければならない」


 先輩は少し考えるように目を瞑る。


「今夜なら、取消連絡を見る前に殺った事に出来るってことか」

「そう」

「そうか。今夜で済むってんなら話は早い」


 先輩が不敵な笑みを浮かべて私を睨む。


「必要ありません」


 それに対し、私は冷淡に言葉を返した。


「あ?」


 先輩が怒りに燃える瞳で私を睨む。


「私は警察病院に入院しています。犯人が入ってこれるはずありません」


 そう断言して、呆れたようにため息をつく。


「何か勘違いしていませんか。先輩はただの高校生でしょう?かえって警察の邪魔になるだけです」


 さぞや怒るかと思ったが、先輩は目を細めて私を観察していた。


「分かったら、もう私とは関わらずに…」

「病院に侵入する方法はある」


 私の言葉をマヤが遮った。


「マヤ!」

「今夜、病院の外で張り込む。私だけでは琴音を守りきれない。この人の力が必要」


 ギリっと歯を噛みしめる。


「先輩は関係ないでしょう!これ以上誰かが死んだらどうするの!」

「やめろ」


 先輩が私の言葉を遮る。


「今の言葉は見逃してやる。お前が怒るのは分かるが、友人を守りたいというこいつの気持ちは汲んでやれ」


 先輩の言葉に血が一瞬で上る。


「そんな小綺麗な!目の前で人が死ぬのを見てないから、貴方は!」

「別に良いじゃねえか、死んでも」


 何でもない事のように軽い口調で先輩が話す。


「…え?」

「こいつは日常的に死に触れている。俺もヤクザに腹を刺された。別に死を認識してない訳じゃない」


 先輩の言葉に私は何も答えられない。


「亜莉沙と円香は死ぬ時、どんな顔をしてた」


 2人の表情が思い浮かぶ。それは…


「…笑って…いました」


 くくっと先輩が笑い声を挙げる。


「何で奴らが笑ってたと思う?」


 …言わないで…。


「お前のために死ぬのは悪くないと思ったのさ。そう、お前に残りの人生を賭けたんだよ」

「やめて!」


 迸るような絶叫が喉から吐き出される。


「重い、みんな重過ぎるんだよ…。私、そんな立派な人じゃない。勝手に私に重荷を載せないで!」

「良いや、お前は普通のやつとは何かが違う。それは俺にだって分かる」

「ふざけないで!!」


 バンと机を叩く。


「今夜は絶対に来ないで。病院に来るっていうなら、今すぐ飛び降りて死ぬわ」


 そう言って2人から1歩離れる。


「琴音が死んだら私も死ぬ」


 歯を噛み締めてマヤを睨みつける。


「それは面白いな。良いぜ、お前が飛び降りたら俺も後を追ってやるよ」


 先輩が、さも楽しそうな顔をする。


「卑怯、です…!」

「負けを認めろ。今夜を無事に乗り切れば良いだけの話だ。3人で自殺するより余程建設的だろ」


 そう言って先輩が黒板に歩きだした。


「お前ら座れ、俺にいい考えがある」


 そう言うと、先輩は数枚の名刺を取り出した。




 夕焼けのチャイムが鳴り響く。

 作戦会議を終えた私とマヤは病院への帰途についていた。


 学園の正門前の欅並木を歩きながら空を見上げる。

 半分隠れた陽が、頭上高く揺れる枝葉を鮮紅に染めあげていた。


「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」


 美しい、光景だった。


「円香が残した別れの歌」


 …円香とも、この美しい欅並木をもっと一緒に歩きたかったな。


「どういう、意味?」


 マヤがおずおずと聞いてくる。


「お別れして遠くに行く事になりました。でも、貴女が私の帰りを待ってくれるのなら、必ず戻ってきます」


 円香の美しくも儚い笑顔。

 その顔を、私の体が押し潰す感触が今も消えない。


「駄目ね、私」


 震える身体を掻き抱く。

 まだまだ三ノ宮先生のような立派な大人になれそうにはない。


「円香とは、また会える。その時に、頑張ったねって言われたい」


 唇を噛み締めて中天を睨む。

 これ以上、親しい人を殺させる訳にはいかない。


「だから私、頑張る。マヤも、私を助けてくれる?」

「…うん」

「ありがとう、マヤ」

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