2024年5月26日(日)

 黒い大きな門扉の横にある呼び鈴を押す。


「はい」


 チャイムから暫く間があって、京香さんの声がインターホンから聞こえた。


「…っ藤宮、です」


 車椅子に座ったまま、インターホン越しに頭を下げる。


「あ、琴音ちゃん。ちょっと待ってて!」

「…はい」


 少しするとシャッターがゆっくりと開き、その奥に少し疲れた笑顔を浮かべた京香さんが立っていた。

 門扉の奥は階段になっているので、駐車場から入れてくれるのだろう。


「2人とも、こんにちは」

「こんにちは」

「よく来たわね。さあ入って」


 シャッターの中は広い車庫になっていて、沢山の車が止まっていた。


「相変わらず凄いですね」

「あの2つ以外は家主さんの車なんだけどね」


 苦笑いしながら京香さんがシャッター近くを指差す。

 そこには小さなシルバーの車と黒い大型バイクが並んでいた。

 よく見ると、他の車は全てナンバープレートが外されている。


「とりあえず上に行きましょう」


 京香さんに連れられて車の間を抜けていく。

 その先には、大型のピアノと階段、そしてエレベーターが有った。

 マヤに車椅子の背を押してもらってエレベーターに入る。


「そちらの方は?」

「クラスメイトのマヤです。円香とも仲が良かったので…」

「そっか…。いらっしゃい、今日は来てくれてありがとう」

「はい」


 私の後ろでマヤが小さく返事をする。

 エレベーターを降りてリビングまで向かう。


「紅茶とコーヒー、どっちが良い?」


 小さな冷蔵庫からペットボトルを取り出しながら京香さんが聞いてくる。


「紅茶でお願いします。2人とも」

「うん、分かった。ちょっと待っててね」


 京香さんはペットボトルとクッキーをテーブルに置くと、キッチンに向かった。


「凄いお家だよね」


 マヤに声を掛けながらテーブルに手を伸ばす。

 マヤは緊張しているのか、何も答えない。


「マヤの親は外交官なんだっけ。マヤの普段の家もこんな感じ?」


 マヤがふるふると首を降る。


「普通のマンション」


 ペットボトルの水を半分ほど飲んだ後にクッキーを数枚口に運ぶ。


「そうなんだ?じゃあ家と一緒だね。あ、これ美味しいよ」


 クッキーを差し出す私をマヤが不思議な目で見ている。


「今日どうしたら良いかってずっと考えてたんだ。最初は沈痛な表情で謝罪しようと思って来たんだけど…」


 クッキーを齧るマヤに、ペットボトルを空けて差し出した。


「でも京香さんの顔見て、やめた」


 その時、扉が開く音がした。


「おまたせ!」


 京香さんが持ったお盆には、ミルクティーと沢山のケーキが並んでいた。


「やけ食い用にケーキ沢山買ったの。私だけじゃ食べ切れないから、2人も協力して!」

「分かりました!」


 そうして突然のケーキバイキングが始まった。




「京香さん、良いですか」

「なぁに」


 3人で10個以上のケーキを食べて漸くテーブルの上を空けてから、私は意を決して口を開いた。


「私が生きているのは、円香のおかげです」

「ん、そう…」


 京香さんがゆっくり天井を見上げる。


「あの子は、琴音ちゃんを守ったのね」

「…はい」


 京香さんが深く息を吐く。


「円香は最後に言いました。たち別れ、と…」

「ふふ、あの子って相変わらず気障ね」

「円香とは必ずまた会えます。だからその時に怒られないように、頑張って生きます」

「…私も、会えるかな」

「はい、必ず」


 そう言うと京香さんは両手で目を抑えた。


「あの子、最後は笑ってた?」

「…はい」


 京香さんが懐から色褪せたガラケーを取り出す。


「ごめんなさい、私の悪い癖が円香にも移ったみたいね」

「え?」

「大好きな人と別れる時は、その人の心を深く抉っていくの。私も真由が離れていく時はそうしたわ」


 京香さんが顔を上げると、強い視線で私を見る。


「覚えておいて、円香は自分の意思で動いたの。琴音ちゃんが悪いことは何も無いし、気に病む必要も無いわ」

「そんな…」

「琴音ちゃんは貴方の思うように、好きな人生を歩んで。死者に引きずられてはいけない」


 そう言って京香さんがガラケーを強く握りしめた。


「分かった?」


 私は、京香さんの手に自分の手を重ねる。


「…分かりました。でも、円香の事は一生忘れません」

「…バカね」

「はい」


 京香さんの手がふっと緩んだ。


「京香さん、これからも遊びに来て良いですか」

「勿論よ。いつでも遊びに来て」

「ありがとうございます」

「ううん、私の方こそ、ありがとうね」




 円香の家を出るとラインが入っていた。


『荻窪駅南口のスタバに来てくれ』


 それは初めての先輩からのメッセージだった。

 今から行く旨を返信してから、道すがらマヤに事情を説明する。

 すると、マヤが私を見て言った。


「お腹すいたからファミレスが良い。サイゼリヤに来てもらって」


 その言葉にびっくりする。

 先程あんなにケーキをご馳走になったばかりなのだ。


「…分かったわ。そこのサイゼリヤで良いの?」


 マヤが小さく頷く。

 先輩に場所変更のお願いを送ってから、駅への途中にあるサイゼリヤに入る。


 昼食の時間は悠に過ぎており、客席は疎らに埋まっているだけだった。

 4人用のボックス席にマヤと横並びに座る。

 マヤは、早速メニュー片手に注文票とペンを取り出していた。


「マヤ、QRコードで注文できるよ」


 そう言ってメニューの間に挟まったセルフオーダーの紙を取り出す。


「苦手だから」


 マヤはそう言って注文票にペンを走らせ始めた。

 小さくため息をついてその様子を眺めていると、窓の外を先輩が歩いてくるのが分かった。

 先輩も私達を認識していたのか、店に入ると私達の席に近づいてきて対面に座った。


「来てもらってすいません」


 そう声を掛けるも、先輩は顔を伏せて返事をしない。


「何度も助けていただいてありがとうございます。その、怪我は大丈夫でしょうか…?」


 しかし、やはり先輩の反応がない。

 どうしようかと隣を見ると、マヤは未だに何かを注文票に書いていた。


「先に謝っておく。余裕が無い」


 暫くすると、先輩が顔をあげた。

 その目は刺すように私を睨んでいた。


「あの女は何者だ。なんでお前は狙われてるんだ。円香と亜莉沙は何故殺された」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に私は一つも答えられなかった。

 嘘をつきたくは無い。

 しかし、正直に話す訳にもいかない。


「俺を刺したヤクザが指名手配されている。円香を殺した犯人として、だ。あの女の事は警察も報道も全く触れていない」


 徐々にヒートアップしていく先輩の言葉に、私は顔を俯かせてしまう。


「警察に問い詰めてもそんな女は知らないと言われるだけだ。俺1人が幻影を見たとでも言いたいのか?」


 先輩がテーブルに拳を置く。


「ヤクザをぶっ飛ばしてロープを切った女は何処に行った。何も知らないとは言わせねえぞ」


 低い重い声で、先輩が一語一語ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 その様子が尋常でない先輩の怒りを感じさせた。


「ごめんなさい…」


 私の謝罪の言葉は、しかし油を注ぐ結果にしかならなかった。


「謝ったら何か解決すんのか?」


 氷のような冷たい言葉に、私は縮み上がるばかりだった。


「知ってる事を洗いざらい…」

「先に注文しましょう」


 突然、割り込むようにマヤがメニューを先輩に差し出した。


「あ?」

「ファミレスですよ」

「っち」


 先輩は舌打ちするとマヤからメニューと注文票を奪い取り、そして手早く記入しようとして…

 突然、注文票を乱暴に丸めると自分の懐に入れた。


「…駄目だ。これ以上お前と一緒に居るのは耐えられない」


 そう言って先輩は立ち上がると出口の方に歩いていく。


「悪いな」


 去り際に呟いた先輩の声だけが耳に残っていた。

 放心していると、ポーンという音が傍で鳴る。

 マヤが店員さんを呼んだようだ。席に来た店員さんにマヤが新しく書いた注文票を差し出す。


「ドリンク持ってくる」


 そう言ってマヤが席を立つ。


 戻ってきたマヤは2つのグラスを机に置いて、先程まで先輩がいた席に座った。

 目の前に置かれたグラスには、泡が沸き立つ濁った色の液体がなみなみと入っていた。

 正面に座るマヤを見ると、神妙な顔をしてグラスを両手で持って白いストローを咥えている。


「それ、何?」


 凄い勢いで減っていくマヤのグラスを指差す。


「っ。コーラとファンタとジンジャーエール」


 少し苦しそうに話すマヤに、私は無性におかしくなってしまった。

 ストローを取り出して手元のグラスに刺して、慎重に口を寄せる。


「…まずい」


 思わずそう口にすると、マヤがさも心外そうに目を細めた。


「琴音は味音痴」

「ええ?マヤの味覚の方が絶対変だって」

「そんな事ない」


 いつになく強情なマヤに、私は再びストローを口に咥えた。


「…やっぱり、まずい」

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