2024年5月25日(土)

「久しぶり、マヤ。ずっと来てもらってたのに、ごめんね」


 マヤがふるふると首を振る。


 誰にも会いたくなかった。

 このまま円香の事だけを思いながら衰弱して死にたかった。


 しかし、マヤはずっとお見舞いに来ていた。

 文字通り朝から晩まで、1週間ずっと病室の前に居たのだ。


 ついに根負けした私は、マヤを病室に呼び入れた。


「マヤ、ちゃんと学校に行かないとダメだよ」


 マヤが再び首を振ると真剣な顔で口を開いた。


「話さなきゃ、いけない事がある」

「…ん、何?」

「移動したい」

「…分かったわ」


 私は頷いてベッドから起き上がって車椅子に移った。


「外に出る」

「となると結構手間が掛かるんだけど、どうしても外が良い?」


 マヤが頷く。


「分かった。じゃあ受付に行ってくれる?」


 上着を羽織るとマヤに車椅子を押してもらい、エレベーターで1階に降りて受付に向かった。


「友達と少し外出したいのですが大丈夫でしょうか?」

「外出は主治医の許可が必要です。この届け出用紙を主治医に渡してください」


 そう言って外出申請書と書かれた紙を手渡された。


「看護師さんの控室に行ってくれる?」


 マヤに連れられてナースルームに行き、いつもの看護師さんを呼んでもらう。


「すいません、マヤと外出したいんですが…」


 そう言って外出用紙を見せる。


「いや、それは無理でしょ」

「そこを何とかお願いします」


 看護師さんが苦り切った顔になる。


「治りは早いみたいだけど、本来なら出歩ける状態では無いんよ?それに犯人も捕まってない」

「それでもお願いします」


 車椅子に座ったままに深く頭を下げる。


「お願いって言われてもなぁ…」


 看護師さんは、私と、そして私の後ろに居るマヤの顔を見て、深くため息をつく。


「3つ、約束して」

「はい」

「1つ、危ない事はしないこと。2つ、19時までには帰ること。3つ、マヤちゃんは来週からちゃんと学校に行くこと」


 看護師さんが1本ずつ指を開いていく。


「分かりました」

「信じてるからね」

「はい」


 私は看護師さんの目を見て強く頷いた。


「じゃあちょっとここで待ってて」


 看護師さんはそう言うと、外出申請書を持って廊下の奥に小走りで去っていった。


「ずっと会えなくてごめんね、マヤ」


 後ろに立つマヤからは返事はない。


「円香のこと、亜莉沙のこと、母さんのことをずっと考えてた。私のせいで沢山の人が傷ついて…亡くなって。もうずっとボロボロでさ。早く死にたい。どうやって死のうかなって一日中考えてた」


 車椅子を握ったマヤの手に力が入る。


「母さんがさ、亡くなる前に言ったんだ。意味のない、人生だったって…。私が生きてる意味、あるのかな?」

「琴音が死ぬなら、私も連れて行って」


 後ろからマヤの真剣な声がする。


「そういうの、やめて」


 自分でも驚くほどに冷淡な声が出た。


「私が生きているせいで誰かが死んでいく。そんなのはもう耐えられない」

「…ごめん、なさい」


 マヤの寂しげな声が私の心を抉った。


 病院を出ると、外交官ナンバーがついた大きな黒い車が止まっていた。

 車の後ろから車椅子のまま乗せられる。

 マヤが後部座席に座ると、黒い車はゆっくりと走り出した。


「何処に行くの?」


 私の質問に答えず、マヤはトランシーバーのような物を私に当て始めた。

 そして、ハサミを取り出して私の上着のボタンを切り取る。


「鞄、貸して」


 こくりと頷いて、膝の上に載せた鞄をマヤに差し出す。

 マヤは切り取ったボタンと私の鞄を、大きな金属製の箱に入れた。


「どういう事?」

「説明は後」


 そう言うと、マヤは顔を前を向けた。




 車は新宿から首都高に入り、赤坂で降りた。

 そして、壁と木々で覆われた広大な場所に入っていった。


「ここ、何処なの?」


 外国人の警備員が居る門を抜け、車は道を抜けていく。

 右手には幾何学模様の白いマンションが幾つも並んでいる。


「アメリカ大使館宿舎」


 マヤが呟くように答えた。


 車が駐車場に止まる。

 そこには外交官ナンバーがついた高級車が所狭しと並べられていた。


 マヤが運転手に英語で礼を言って私を車から降ろす。


「マヤ、貴女の親は外交官なの?」


 マヤが小さく頷く。


「立派なお仕事ね。教えてくれても良かったのに」


 そう言うと、マヤの額に僅かに皺が寄る。

 普段、感情を表に出さないマヤにしては珍しい。


「マヤはここに暮らしてるの?」


 マヤが小さく首を降る。


「ここに来るのは仕事の時だけ」


「…お父さんの、お手伝い、とか?」


 そう言うと、マヤは暫く黙った後に、コクリと頷いた。


 …家族に私を紹介でもするのかな?


 この時の私は、そんな生易しい事を考えていた。




 ガチャリ


 エレベーターを降り、マヤがマンションの一室の鍵を開ける。

 中に入り、マヤが電気をつけた。


「っ!」


 衝撃で言葉も出ない。

 円香の家とは別種の物ではあったが、通された部屋は広くて非常に綺麗な作りだった。

 しかし、驚いたのはそんな事ではなくて…


「…これ、銃?」


 壁一面に木製の大きな棚が置いてある。

 そこには幾つもの銃が立て掛けられていた。

 更に、大型のナイフや双眼鏡、他にも良く分からない物が沢山置いてある。

 この前の夜に、廃屋の前で見かけた服一式も掛けられていた。


「どういう事?」


 車椅子をテーブルの前に運ぶと、マヤは隣の椅子に座った。


「これから話すことは誰にも言わないで」


 マヤが神妙な顔をして口を開く。


「…分かったわ」


 私は頷く。

 どうも私の想像もつかない事が起きているようだ。


「私は害獣ハンターをしている」


 …害獣?

 マヤの言葉に、木製の棚に掛かった銃をもう一度見る。


「えっと、熊とか…ってこと?」


 マヤが首を降る。


「駆除対象の情報や住処は職員が予め調査している。私は月に2回、駆除を行っている」


 言い知れない不安が募っていく。


「…ネズミ、とか?繁華街めっちゃ多いらしいし」


 マヤがもう一度首を振った。


「駆除難易度はFからSに分けられて、主に数や凶暴性、社会性で変わる」


「も、もしかして、ゲームの話…?」


 私がそう言うと、マヤは小さく口を開いた。


「駆除対象は、人」


「…あは、あはは」


 乾いた笑いが自分の口から出た。


「何その冗談、全然つまらないよ」


 私がそう言うと、マヤがスマホを私に差し出した。


「っひ!」


 画面には脳天にナイフが刺さった男が写っていた。


「これ、何…?」


 私は、その男の顔に見覚えがあった。


「先週に私が駆除した害獣」


 淡々と話すマヤの顔を睨みつける。


「…公園の隣に住んでた人じゃない!」


 私がそう言うと、マヤはスマホを戻しながら話し始めた。


「この害獣の駆除難易度はE。健康体ながら働く意思がなく、地域へ多大なる迷惑を掛けていた。またケースワーカーへの暴言も…」

「そんな事は聞いてない!!」


 思わず声を張り上げる。


「…ちょっと待って。…整理する、から」


 マヤの前に手を差し出して、目を瞑る。

 大きく深呼吸をする。

 そして今一度、壁一面に掛かった武器に目を向けた。


「…どうして、私に話したの?」


「リストに琴音が載っている。そして、駆除を受注したハンターが居る」


「どういう、こと?」


「琴音を殺そうとしている人物は、私が所属する団体の構成員」


 少女の白い顔が脳裏に浮かぶ。

 …あの少女が、マヤの同僚っていうの?


「琴音の家は生活保護を受けている?」


 マヤの質問に、一瞬心臓が止まりそうになった。


「…そうね、受けてるわ」

「市役所に申告していない収入や資産があって、反社会勢力と深い関わりがある?」

「…どちらも、あるわ」

「…そう」


 マヤが沈痛な表情を浮かべる。


「悪いことしてる自覚はあるわ。だから体調が戻り次第、市役所には全部言うつもり」


「琴音を駆除リストから外すように申請している。それが済むまで逃げ切ってほしい」


 マヤの言葉に乾いた笑いが漏れる。


「駆除?私を?」


 マヤは顔を俯かせて何も答えない。


「ハンター?害獣?やってる事ただの人殺しじゃない!」

「…ごめんなさい」


 絶叫する私にマヤが深く項垂れる。

 歯をギリリと噛み締める。


「…警察は、どうして動かないの?」


 そう言うとマヤが懐から身分証を取り出した。


「なに、これ?」

「私は外交官の家族」


 …外交官?


「それはつまり…外交官特権ってこと?」


 マヤが頷く。


「ねえ、マヤはアメリカ人でしょ?何で日本で人殺しなんてしてるの?」

「…元々は親がハンターを行っていた。でも、出来なくなった。だから私がしている」


 …っ!


「そんなの、帰ればいいじゃない!アメリカで普通の暮らしをしなさいよ!」


 そう言うと、マヤが哀しい目で私を見つめた。


「そう、だね。そうしたら良かったかもしれない。でも、結局は違う誰かが派遣されるだけだから…」


 …っくそ!


「ああ、もうっ!」


 …落ち着け、落ち着け。

 別に真偽を確かめる必要はないんだ。


「…いつまで、逃げれば良いの?」

「え?」


 マヤが顔をあげて、呆気に取られたような表情をする。


「リストから外すよう申請してるって言ったでしょう。いつ外れるの?」

「5月28日の火曜日」


 …3日後、か。


「分かったわ。それまで大人しくしてれば良いんでしょ」


 マヤが頷いた。


「話はもう終わり?それなら帰りたいんだけど」


 自分の声が投げやりになっているのが分かる。


「分かった」


 マヤは淋しげに返事をした。




「今日はありがとうございました」

「ううん、ちゃんと帰ってきてくれて良かった」


 病院に戻ってナースステーションに行くと、看護師さんが笑顔で迎えてくれた。


「それで、今日はどこに行ったの?」

「学校です」

「あら、授業があったの?」

「いいえ、長期入院になりそうだったので、教科書やプリントを持ってきたくて」


 勿論嘘だ。アメリカ大使館宿舎に行ったなんて言えるはずもない。


「そうなんだ。真面目ねぇ」

「すいませんが、明日も外出したいんですが良いですか?」

「…あのね、今日も行ったけど本来なら出歩ける容態じゃないのよ?」

「円香の家に行きたいんです」


 そういうと看護師さんが押し黙った。

 ずっと逃げ続けていたけれど本来なら、いの一番に行かなければいけない場所だ。


 明日は日曜日だ。京香さんが居るかもしれない。

 もし誰も居なかったり冷たくあしわられても、それはそれで構わなかった。


「お願いします」


 そう言って看護師さんに深々と頭を下げる。


「…分かったわよ。先生には上手く言っておくわ」

「ありがとうございます」


 そう言って私は病室に戻った。


『明日、時間取れる?』


 マヤにラインを送ってから今日の出来事を考える。

 マヤの話はこの際どうでも良かった。


 私を殺そうとしている人物が居る。

 そして海外に売ろうとしている団体が有る。

 後者だけなら解決は容易だが、前者は解決の糸口すら掴めてない。


 何をするにしろ、今はマヤの力が必要だ。

 もう、円香は居ないのだから。


『大丈夫』

『それなら明日も出かけるから、午後の適当な時間に病院に来てくれる?』


 そう送ってから、円香のラインを開く。

 既読がついていない事を確認して、今までに円香と交わしたメッセージを読んでいく。


 円香は間違いなく不世出の才人だ。

 円香がどういう人生を歩むかは分からないが、私は一生を彼女と共に生きていくと思っていた。


 部下、マネージャー、アシスタント、名目は何でも良い。

 彼女の下につけるなら何でも良かったのだ。


 しかし、その道は呆気なく閉ざされてしまった。私のせいで。


『分かった。14時に行く』

『ありがとう』


 マヤはどう思っているのだろうか。

 違う、彼女が私をどう思っているのかは薄々分かる。

 問題は、私がマヤをどう思っているかだ。


『マヤは、私が死んだら嫌?』


 そう送ってから服についた取れかけのボタンを見る。

 帰りがけに安全クリップで止めた物だ。

 マヤがボタンを外した意味は何となく分かっていた。


 揺れるスマホを開いて、マヤのメッセージを見る。


『絶対に嫌。私も死ぬ』


 深い溜め息をついて目を閉じる。

 重い、何もかもが重かった。

 あの時、円香の下敷きになって死んでいたならどれほど幸せだったろうか。

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