2024年5月14日(火)

「あーもう、ムカつく!」


 円香がベッドをパンと叩く。

 病室に来た円香の機嫌は、極めて悪かった。

 目が据わり口が真一文字に結ばれている。


「殆どの人が亜莉沙がイジメを苦にして自殺したと思ってる」

「…それで良いじゃない。亜莉沙が自殺した理由は知られない方がいいわ」


 強姦致傷の被害者、それも未成年だ。

 亜莉沙の名前が世に広まっていないのは喜ばしい事だ。

 しかし、円香は首を振った。


「そりゃ亜莉沙が酷いことされたなんて広まってほしいとは思わないよ。でも、その代わりに琴音が叩かれるのはおかしい」

「昨日言ったでしょう?私は何も気にしないって」

「…あの動画、流した奴は明らかに琴音を陥れようとしてる」


 円香の言葉に何も返す事ができない。


「あーし考えたんだ。琴音がイジメたなんて誤解を解くのなんて簡単なことだよ」

「それは駄目。円香、私は大丈夫だから」

「琴音が良くても私が嫌なの。琴音の名誉が汚されて何もしないなんて、あーしには絶対に出来ない」


 内心でため息をつく。

 円香の行動力の高さは素直に尊敬できる。

 同時に、動き出した彼女を止めるするのがいかに難しいかも理解していた。


「全部バラすよ。亜莉沙は拉致強姦の被害者で、自殺したのはイジメじゃなくて顔が醜く爛れたせいだって」

「円香」


 咎めるように鋭く言葉を放つ。


「亜莉沙の死を利用して、琴音を貶めようとしてる奴がいるんだよ!」

「…動画を流した人に悪意があるとは限らないわ」

「本気で言ってるの?」


 真剣な顔をする円香に応える事ができない。


「イジメじゃないって言い続けるだけじゃ無駄。あれだけ凄惨な映像だもの。じゃあなんで亜莉沙は自殺したの?ってなるに決まってる」

「それは…そう、でしょうね」

「でも、証拠つきで洗いざらい話せば確実に流れは変わる。女子高生をイジメ加害者として叩くより、拉致強姦犯の方が遥かに叩きやすいし納得いくストーリーだもの」

「そうね…」


 …琴音の言う事に反論が出来ない。


「自分の死を利用して琴音をボロボロに叩く。そんなの、亜莉沙が望むはずがない。亜莉沙の顔写真は持ってる。それをインフルエンサーに送れば…」

「やめて!」

「…なんで?」

「琴音も分かるでしょう?亜莉沙は大切な友人なのよ」

「もう死んでるじゃない!」


 円香が激高したように叫ぶ。


「…ごめん」

「…円香が私のことを思って言ってくれてるのは分かるわ」

「それだけじゃない…。正義マンやYouTuberに絡まれたり、学校でムラハチされたり、最悪退学になる可能性だってあるんだよ?学校に問い合わせの電話が大量に来てるって遥が言ってた。登校したら呼び出されて説明を求められるよ」

「説明は出来ないと言うわ」

「そんなの!イジメ隠してるって思われる!」

「そうね…。でも、仕方ないわ」

「仕方なくない!」


 円香はキッと強い目で私を見つめる。


「…円香、お願い。警察だって報道規制を敷いてるのよ」

「これだけ広まって規制も何もない。誰に遠慮する必要なんてない」

「お願い」


 私は目を閉じて頭を深く下げる。


「円香の言ってる事に何一つおかしな事はないわ。でも、今回は私のわがままを聞いてほしい」

「わがままって…」

「亜莉沙が事件の被害者って事は誰にも言わないでほしい」

「なんで…。なんでよ?」

「亜莉沙は、大切な友人なの」


 っち、と円香が強く舌打ちをする。


「…平行線ね。言ったでしょ。琴音の気持ちはこの際どうでもいいの。私が納得いくように独善を尽くすだけって」

「知ってるわ。だから、お願いしてるの」

「いくらお願いされたって無駄よ」


 顔をあげて円香とまっすぐに目を合わせる。


「円香のこと、親友だと思っているわ」

「…それは、私だってそうだよ」


 円香が罰が悪そうに目を逸らす。


「円香はどんな時もいつだって、一番に私の気持ちを優先してくれるわ」

「…随分、自己評価が高いね」

「もう10年以上一緒に居るのよ。貴女がどれだけ私を大事にしてくれているかは分かっているつもり」


 ぽりぽりと頬を掻いてから、円香はため息を付いて両手をあげた。


「卑怯者。負け、私の負けよ」

「円香、ありがとう…」

「でも、自殺の原因は知らないけど絶対にイジメじゃないって言うくらいなら良いんでしょ?」

「うん、いつも悪いわね」

「そんないつもではないけどね」


 円香はそう言って苦笑いする。

 その時、アナウンスが流れた。そろそろ面会の終了時間のようだ。


「それじゃ、私はそろそろ帰るよ」

「うん、今日も来てくれてありがとうね」

「…明日は、退院の日なんだっけ?」

「うん」

「どうするの?」

「どうもしないわ。家に帰る」

「…私を頼る気はないの?」

「もう頼りきってるわ」


 苦笑して言う。


「それに、母の部屋を調べたけど特に怪しいものは出なかったわ。警察もパトロール強化してくれてるし、大丈夫よ」


 内心で深く謝罪しながら、努めて朗らかに話す。


「ふうん…。まあ良いわ。またラインする」

「うん、またね。帰り道気をつけて」

「ありがと」


 そう言って円香は病室を出ていった。

 ふう、と息をつく。

 嘘をつくことには慣れてない。円香には気づかれているかもしれない。


「…退路はなし、か」


 小さく呟く。

 ここまで炎上してしまったのだ。もはや円香の家に世話になるという選択肢は考えられなかった。


 窓に近づいてカーテンを開ける。この病院は中野駅から歩いて10分程の距離にある。

 時刻はまだ20時前で、眼下にはお店の明かりが広がっており人で賑わっていた。


 紙コップのお茶を啜ってからラインを開く。上から3番目に表示された名前を押す。

 正和と表示された画面には、しかしまっさらな黒い画面のみが広がっていた。

 ラインの交換をしたのは良いが、何一つメッセージを送っていなかった。


『なんでマンション前に居たんですか?』

『亜莉沙とはどういう仲なんですか?』

『あの動画を流したのは先輩なんですか?』


 文字を打ち込んでは消していく。


 私は、先輩とどうしたいのだろうか。

 単に疑問を解消したいだけなのか、和解して仲良くなりたいのか、それとも…


 窓の下を見る。沢山の人で賑わっていて…しかし、彼らの人生と私のそれが交差する可能性は殆ど無いだろう。

 彼らがどう生きようが死のうが何を考えようがどう過ごそうが私には全く関係がない。

 そう、ただの赤の他人だ。


 先日までの私と先輩もその関係だった。

 しかし今、私は先輩がどう生きているか、何を考えているか、どう過ごしているかを強く考えている。

 先輩も恐らく、私のことを深く考えているはずだ…。


 私はスマホの画面を閉じた。

 例え憎悪だとしても私と先輩の人生は確かに交わった。


 そう考えると不思議と心が高揚し、お腹の熱が強くなってくる気がした。

 自分のつまらない人生の先を…終着点を見たいという気持ちが湧いてくる。


 色々な事が起きすぎで頭を酷使している。

 カーテンを閉めると、私はベッドに横になった。

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