2024年5月13日(月)
「琴音!!」
焦った様子で円香が病室に飛び込んで来たのは夕方のことだった。
「円香、こんにちは」
私はというと、紙コップのお茶を片手に文庫本を読みふけっていた。
「どうしよう、大変な事になってるの!」
円香がここまで焦っているのは珍しい。
「何があったの?」
椅子に座るように促しながら声をかけた。
円香は少し躊躇った後にスマホを差し出す。
「この、動画…」
薄暗い画面には長い黒髪の女性と、車椅子に座ったニット帽の女性が映っていた。
カメラは車椅子の女性の後ろ側に設置されているようだ。
黒い長髪の女性の顔は正面から映っていたが、車椅子の女性は後ろ姿しか映っていない。
「これって…」
「…うん」
動画の女性2人は会話をしている様子だったが、音声は無く会話内容は分からない。
黒髪の女性が車椅子の女性を抱きしめる。
すると、車椅子の女性がそれを振り払って包丁を取り出した。
そして、おもむろに自らの首を切り裂いた。
車椅子の女性の首元から血しぶきがあがり、正面に立っていた黒髪の女性が血まみれになったところで動画は終わった。
「…私と亜莉沙、みたいね」
そう呟いてからもう一度動画を再生する。
私が亜莉沙を抱きしめてから、それを亜莉沙が振り払うまでに殆ど間がなかった。
音声が無いのも合わせて、かなり編集されているようだ。
「この動画、今朝にアップされたみたいなんだけど…かなり炎上してて…」
円香が珍しく言い淀む。
「琴音の名前も出てて…イジメで自殺したとか書かれてて…」
「そっ…か」
事態が衝撃的過ぎて思考が追いつかない。
「学校にもかなり広まってる。私はイジメじゃないって皆に言っているんだけど…」
スマホを取り出してSNSを調べる。
何人ものインフルエンサーが、女子高生イジメを苦に自殺か?と銘打って動画や画像を貼っていた。
私の名前を検索すると、藤宮琴音とは何者か調査してみました!みたいなページが幾つも出てくる。
ふう、と小さくため息をついてスマホを閉じた。
「どうしよう、どうしたら良い?」
円香が泣きそうに声を震わせて私を見つめてくる。
「もう、どうしようもないわ」
「え?」
「イジメは現代の魔女狩りよ。イジメ加害者というレッテルを貼られてしまったら何も出来る事はない」
「…それは、そうかもしれないけど…あ、裁判とかは!?」
「落ち着いてよ円香。お茶取ってくるわね」
手で円香を制してから病室を出る。
給茶機に向かいながら、自身の心中を探る。
…うん、別に混乱してはいないわね。
この前の出来事に比べるとネットで炎上なんて些事だ。
何の痛痒も感じない。むしろ…
「はい」
病室に戻って円香に紙コップを差し出す。
「…ありがとう」
円香は一息でその中身を飲み干した。
「…もう一杯持ってきましょうか?」
「ううん、大丈夫。おかげで大分頭が冷えた」
「それなら良かった」
円香はSNSで幾つかのインフルエンサーを見ていく。
「そうね、裁判で勝つのは難しい。この人達は推定しているだけ」
そう。感想を言う事に何の罪もない。
「私の顔、ハッキリ映ってるわね。学校では腫れ物扱いかしら」
毎日のようにSNSで誰かが炎上し、それに数多の人が踊らされている。
自分がそのターゲットになる可能性が有ることは十分に理解していた。
「他人事みたいに言うね」
円香が呆れたように言う。
「円香とマヤしか友達居ないし。何も変わらないわ」
「…強いね、琴音は。私なら絶対パニックになってるわ」
「持たざる者の強みってやつね」
ふふ、と自嘲する。
「そういう意味で言ったんじゃないけどな。まあでも凄い心配して来たけど、琴音が気にしないようなら良かった」
「円香がこうやって駆けつけてくれたもの。もし円香が離れていったら、凄い落ち込んでたと思う」
「…私が琴音から離れる事はないよ」
「ありがとう。私もよ」
そうして2人で笑い合った。
「今日は来てくれてありがとう」
「明日も学校終わったら来るね」
「うん、また明日」
雑談を暫くして円香は病室を出ていった。
小さく息を吐いてからSNSを確認する。
本当にイジメが原因なのか?などの声も少しはあるようだ。
しかし、私が亜莉沙を叩いた”らしい”、学校が調査を始めた”らしい”などの投稿に、それらの中立的な意見は瞬く間に埋もれていく。
こういう時はSNSで活動をしていなくて良かったとしみじみと思う。
ネットで交友関係を築いていたら、今みたいに落ち着いて考える事は出来なかっただろう。
…まあでも、ちょうど良かったかな。
余りにも周囲の人が私に優しかった。
だから、亜莉沙の死について責任を感じる事はない、そんな酷い勘違いをする所だった。
ネットでは沢山の人が女子高生を自殺に追いやった巨悪として、藤宮琴音を断罪している。
その光景に、いっそ心に溜まった膿が削ぎ落とされていくような清々しい感じさえした。
やはり、亜莉沙を差し出した事は罰されるべきなのだ。
私は赦されるべきではない。
「…それはそれとして、確かめないといけない事はある、か」
そう独りごちて、電話帳を開いて電話を掛けた。
2時間ほどすると、警官さんが病室にやってきた。
挨拶をして椅子に座ると、警官さんが口を開いた。
「あの動画ですが、あれは羽月亜莉沙さんのスマートフォンで撮影された物です」
「そうなんですか」
「今回、藤宮さんに事情聴取を殆どしなかったのはあの動画が理由です。あの動画が無ければ藤宮さんは重要参考人となっていたかもしれません」
「…動画に音声はあったのですか?」
「勿論です。しっかりとお二人の会話は記録されていました。藤宮さんが必死に止血している所も救急車を呼ぼうとしている所も録画されていました」
「…そうですか」
「それだけではありません」
そう言って警官さんは、声色を低くする。
「余りこういう事を言ってはいけないのですが…実は羽月さんは遺言のような動画を残していたのです」
「亜莉沙が…遺言?」
「正確に言うと動画は遺言とは認められないのですが…藤宮さんに宛てた物と我々警察に宛てた物、そしてご友人に宛てた物がありました」
「どんな…内容なんですか」
「我々警察に宛てたメッセージは、これから何が起きても藤宮さんを罪に問わないでほしい、そしてこのスマホは友人に渡してほしいというものでした。そして藤宮さんには…」
そこで警官さんは言葉を区切る。
「できたら、直接見ていただいた方が…」
「教えてください」
すぐに答える私に、警官さんは諦めたように口を開いた。
「主には自殺に巻き込んでしまう事への謝罪でした」
「…亜莉沙のスマホは今は警察で保管されているんですか?」
「いえ、昨日にご友人にお返ししています」
「その、友人とはどなたなんですか?」
「ご学友で、近所に住んでいるお方だとは聞いています」
「…そう、ですか」
沈黙が病室に広がる。
「今日は来ていただいてありがとうございます」
「いえ、これが本分ですのでお気になさらず」
そう言って警官さんは立ち上がったが、そこで少し止まった。
「…名誉毀損は親告罪です。被害届を出していただければ調査出来ます」
警官さんの言葉に驚く。しかし…
「ありがとうございます。そのお心遣いはとても嬉しく思います」
「届け出は持ってきています。書かれますか?」
「いいえ、不要です」
「…そうですか。では、これで失礼します」
「今日は本当にありがとうございました」
頭を下げて私は警官さんを見送った。
「ご学友で、近所に住んでる、友人、か…」
脳裏には一人の男性の像がはっきりと浮かび上がっていた。
「きっつい、なぁ…」
そう独り言ちてから、私は病室の電気を消した。
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