狂気は貴方のすぐ傍に。

@yuki_numade

第1話 中途入社の地味な社員

朝七時キッカリに起床した布目ぬのめは真っ先にカーテンを開け放ち、いまだ睡眠を求める瞼を叩き起こすかのように、燦燦と降り注ぐ日光を浴びた。

そうしてやっと意識が覚醒してきた頃、まずは日課の洗顔と歯磨きをするために洗面所に向かう。

それから軽く朝食の準備をして、スマホ片手に食事を済ます。ボロボロと零れるトーストのカスを鬱陶しく思いながらも皿の上にすべてを集めて片付けを行うところまでが、彼の朝のルーティーンである。

身支度を整えた布目は自家用車に乗り込み、普段通りに出社する。時刻は朝八時を少し過ぎた頃。多少の渋滞を考慮しても就業時刻には十分に間に合う距離だ。


布目は変化を嫌う。毎日同じルーティーンをこなす。イレギュラーで予定が狂ったとしても、何とか帳尻を合わせて一日が終わる頃には自己満足なりにタスクを消化しきる。そうして満足感を得ながら床につくのが布目の幸せだった。


布目は学生の頃から変わらない。毎週毎週、与えられた課題も授業も予定通りこなし、自分で決めたスケジュールがあるならば相当なイレギュラーがない限り、とにかく予定通りこなす。その異常なまでの変化への嫌悪はもはや潔癖の域に達しているとも思えるが、本人は他人にどう思われようがどうでもいいと思っている。


自分が何らかの理由で死ぬまで。毎日毎日、毎日毎日毎日毎日毎日同じことの繰り返しを行うことが、布目の楽しみでもあり、生きがい。


だから、この日。勤務しなれた自社に突然の異分子が現れて、布目は内心動揺していた。

中途採用で入社してきた女性社員・そよぎさくらは地味な見た目とは裏腹に、妙に通る涼やかな声で部内の社員に向けて挨拶を述べた。


「梵さくらです。即戦力として皆様のお力になれるよう、精進致します。至らない点も多々あるかとは思いますが、ご指導ご鞭撻のほどを宜しくお願い致します」


まるで鈴の音だと思った。布目が頭で考える前に、さくらの声は布目の耳を通って脳の中をぐるぐると回りだしていた。


――今思えば。既にこの瞬間から、布目はさくらから目を離せなくなっていた――


ぼうっとさくらを眺めていた布目の視線と、周りをぐるりと見渡していたさくらの視線がカチリと絡まった。

さくらは布目を視界に収めた瞬間、にこりと、微笑んだ。

それはまるで妖艶な…傾国の美女のような魔性を感じさせる、不気味な笑みだった。


布目の背中にぞわぞわぞわと連続して鳥肌が沸き立つ。思わず視線を外してしまったが、これではまるで布目がさくらを良く思ってないように見えてしまう…一瞬にして正気を取り戻した布目はそろりとさくらを盗み見たが、彼女は既に教育係としてあてがわれた先輩社員と握手を交わしていた。


さっきの笑みは…俺の気のせいか…?


さくらは漆黒にも見えるほど深い黒の髪を無造作に後ろで束ねている。化粧っ気もなく、顔立ちも特段目立つようなところもない…美人と言えば美人とも言えるだろうが、そうでないと断じる人間もいそうな…端的に言えば「普通」と称しても良いような容姿をしている。スタイル含めて、だ。

そんな女性に、一瞬でも妖艶さを感じただと?あまりに現実離れした感覚に、先ほど見たものは幻か見間違いか、とにかくその類いだったのではと布目は逆に自身の疲労を心配した。


布目が頭を振って自席に戻った頃。さくらは教育係からの説明を適当に聞き流しながら、布目をじぃ…と見つめていた。

その視線は粘着質と言っていいほどに、迫力があった。幸いといえば、このさくらの表情を気にするものが誰もいなかった事だろうか。


一通りの説明を受けたさくらも、布目と同じく与えられた自席に腰を下ろした。

目の前には電源のついたパソコンが一台。スリープ状態のモニターには、うっすらとさくらの姿が反射して映っている。

その口元が、音もなく動く。


 み つ け た 。

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