孤闘援軍リンフォン 八十尺様の野望

さめ72

地獄

 11月29日、N県のとある小さな村は恐怖に包まれた。


「八十尺様だぁああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 全長24メートルの巨大な女――のような何かが、なんの前触れもなく、村の中央部に現れたからだ。


 政府の対応は客観的に見て素早く、的確であったと言える。

 即座に全村民ならびに隣接自治体への避難指示を発令し、第一報から僅か5分後には自衛隊基地から実弾装備した戦闘機がスクランブルした。

 到着時には既に射撃許可まで降りていたのは拙速であるとの批判もあるだろうが、何にしてもそれも全ては有事が終わってから詰められる話である。

 

 あるいは、『怪獣』という存在フィクションに慣れている日本人の文化的遺伝子が、その威容に対して半ば本能的な警鐘を鳴らしたのかもしれない。


 編隊を組んだ自衛隊機が巨体の周囲を駆る。


「こちらキサラギ1、目標に動きは見えない」


「了解、哨戒を続行せよ」


「了解、哨戒を……待て! 目標が」  


 ゆっくりと、八十尺様がその腕を上げる。

 だが、その『ゆっくりと』とは、その巨体が故であると真っ先に気付いたのは誰だったか。

 その相対速度を計測する者はいないが――少なくとも、巡航速度マッハ1.2を超える戦闘機を、蝿でも払うように叩き落としたのは事実である。


 いずれにせよ、彼らは優秀なパイロット達であった。

 動きを察した瞬間、回避が不可能なのを即座に理解し、脱出装置のレバーを引いた。

 4機の内、2名は脱出に成功していたのである。

 

 そして、八十尺様はその2名をノミでも潰すかのように――

 プチリと潰した。


 ぽ――


 八十尺様へのあらゆるコミュニケーションの試みは失敗していた。

 

 ただそこに佇んでいるだけ――あるいは、それだけの存在なのかもしれないと誰もが心の奥底で願っていた。


ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ

 

嗤っている。

 その哄笑の意味を、底知れぬ邪悪を、地上の人々は理解した。


 あれは、人類の敵だ。


 儚い希望は打ち砕かれた。



  ⬢

 古場こば 小鳥ことりもそれを見た一人である。

 

 頑迷な父と旧態依然とした村に我慢ならず、成人を待たず村を飛び出した小鳥だったが、真っ当な生活も出来る筈もない。

 荒れて路上で喧嘩を繰り返していたが、喧嘩を売った相手が悪かった。

 未成年女子を思いっ切り――いま思えば、かなり手加減してくれていたのだと理解できるが――投げ飛ばしたその女は白い歯を輝かせながら


「元気だねぇ! 自衛隊に入らない?」 


 とにこやかに親指を立てた。


 我が国の人手不足はここまで来たのかと、あまりの勧誘の下手さと、こんなか弱い女の子まで勧誘しようとする事実に、二重の意味で我が国の人材不足はここまで来たのかと足りない頭ながらに嘆いたものだ。

 三十路を過ぎてから自分が勧誘する側になって、その大変さもまぁまぁ分かるようになったが。

 手続きの関係で一度だけ実家に封筒を送った時、驚くほどすんなりハンコを押されて返ってきたのを良く覚えている。

 厄介払いとして丁度よかったのだろう。

  


 小鳥がこの村に帰郷していたのは偶然である。

 偶々まとまった休みが取れて、偶々捨てた故郷を思い出した、だからまぁ帰ってみようかと、そういう気持ちになったと言うだけだ。


 父と会うことについては、大して気構えなかった。


 受け入れられようが、拒否されようが、どうでもよかった。

 長い時間がわだかまりを解かしたという訳でもない。

 絡まった糸そのものが、自分の中でもう絶たれていた。

 それだけだ。


 だから、何一つ変わらない父に門前払いにされた時、何も感慨は湧かなかった。


 ああ、そう。隣の市に取っている宿にキャンセル料払わなくて良くなったな、今晩は何を食べようか。


 こめかみに血管を浮かばせながら怒鳴る父を見ながら、そんなことを考えていた。


 そんな時、『アレ』が現れた。

 

 そんな事を考えていたから、親父が私を突き飛ばした時、何が起こったのか理解できなかった。


「……お父さん?」


 返事はない、あるはずもない。

 見上げてもその正体はわからない。

 大きさ以上に、巨大な女のような何かという存在に脳が理解を拒んだ。


 ただ、なにか足のようなものが、父を家ごと叩き潰して――私は父に救われた。


 きっと、それだけが事実だった。


 自衛官としての意識が足を動かした。

 古場こば 錦孝きんこう氏は即死だろう、助かるまい。

 異常事態であることだけは確かだ、一人でも多くの村民を避難させなければならない。

 

 古場小鳥としての意識が拳を握らせた。

 何故、父は死なねばならなかったのか。アレは一体なんなのだ。どうして私は父に背を向け、他人を救いに走っているのだ。


 乗ってきたバイクを蹴り飛ばしエンジンを叩き起こす。

 ここいらの高齢者は自分で運転できるはずだ、心配はいるまいが――いずれにせよ一度役場と合流する必要があるだろう、この状況で残っている職員がいればだが。

 

 そんな事を考えながら発進しようとした瞬間……家の前に、誰かがいた。


「っとォッ!?」


 慌ててブレーキをかけた小鳥を尻目に、家の前にいた誰かは今気づいたと言わんばかりの目でこちらを見た。 


 30には行っていないであろう、ボブヘアーの若い女だ。

 この村では珍しい……というか、村の住民ではないのだろう。

 分かるのだ、なんとなく。

 村の中で頑張ってオシャレにしているハイカラさんとは明らかに雰囲気が違う。

 都会で育ったので、身嗜みを整えると、そうなる――そんな雰囲気の女だった。


梳かれた前髪の向こうで、相変わらず無感動な目でこちらを見ている。

 避難を呼びかけようとしたが、先に女が口を開いた。


「……あれ、あなた、錦孝きんこうさんの娘さん?」


 父にこんな知り合いがいたのだろうか、如何にも不釣り合いだ――混乱したが、自衛官としての意識が慌てて現実に引き戻す。


「君、一人!? 後ろに乗って!!」

 

「これはどうも」


 特に焦る様子もなくイソイソと後ろに乗り、慣れた様子で腰に手を回してきた。

 こちらは気が気でない、後ろの足が一歩踏み出せば我々はペチャンコなのだ。

 ヘルメットを渡している余裕はない、慌ててアクセルを握り込んだ。


 随分と予定が狂ってしまった、一般人を連れて行くわけにもいかない。

 どうせ道路は渋滞しているだろうし、適当な車に放り込ませてもらうしかあるまい。


 そんな事を考えながら国道に向けて走らせようとすると、女が妙に聞き取りやすい声で喋りかけてきた。


「錦孝さんの娘さんなら、あの祠の場所、知ってるよね」


「ハァ!?」


 急に何を言い出すのだこの女は、祠? そんなもの――

 いや、待て、確かにある、アレは確か、家を飛び出すもっともっともっと昔の――


「……いやそんなのどうでもいいだろ!! 今は――」


「行って」


「だから!!」


『行って』


 祠。


 確かに覚えはあるのだ、アレは確か、家を飛び出すもっともっともっと昔の――


 自分の小さな手を引く父は泣いていた気がする、なぜ今まで忘れていたのだだろう。


 あの場所は確か――




「ッ!?」


 次の瞬間――私たちの目の前に、祠が現れた。 

 いや、私たちが祠の前に現れたのか。


「ありがとう。一度だけ来たことはあるんだけど、場所は分からなくて」


 女は礼を言いながら後部座席から降り、祠へと向かって歩いていく。


 混乱している。

 私たちは今まであの村の中央部にいたはずだ。

 この祠に来るには林道から外れて車が通れない放棄された里道を、鉈を振るいながら歩かねばならない。

 決してバイクで来られる場所ではない――はずなのに。

 

グチャグチャの思考を、爆音が断ち切った。

 

 慌てて振り返ると、鬱蒼とした木々越しにでも見下ろす形でその状況は察せられた。


 ――巨大な腕が、戦闘機を叩き落としている。

 脱出した乗員を潰して哄笑している。


 サイレンのように響く哄笑の中、小鳥に浮かんだ感情は――あらゆる混乱を塗りつぶす激昂であった。


 ――ふざけるな、人を潰して、何が楽しいのだ。

 ――殺戮を楽しむ異形の分際で、殺し方を選ぶのか、父はその哄笑の対象ですらなかったというのか。


 自衛官としての意識が、古場小鳥としての意識がその拳に血を滲ませる。


「おい!! なんか知ってんだろ!? お前は――お前らは、何なんだよ!!」


 八つ当たりじみた詰問を女にぶつける。


 女もまた、一連の顛末を見つめていたのだろう。

 その無感情だった横顔に、一瞬だけ――怒りが滲んでいる、気がした。

 それもすぐに消え、小鳥に向き直った女は


「私は――アナ。倉務グラム アナ」


 と端的に名乗った。


「……」


「……」


「え、終わり?」


「何って聞かれたから」


誰何すいかされた時に重要なのは『誰』じゃなくて『何』だと思うんだけど」


「うん、それもそうか……ちょっと待っててね」


 アナと名乗った女はその辺にあった手頃なサイズの石を両手で持つと――


 祠へと迷いなく何度も振り下ろした。


「フンッ!!!!!! フンッ!!!!!! フンッ!!!!!!!!!」


「コラーーーーーーッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」


 ヤンチャすぎる。

 確かに私はこの村に何の思い入れもないし、信仰に興味もないが、これはもうそれ以前の問題だろう、良くなさすぎる。

 慌ててバイクから降りる私の制止も虚しく、祠をボコボコにブッ壊したアナは、中で祀られていたであろう何かを取り出した。


「……箱?」


「うん、箱。これが欲しかった」  


 ――火事場泥棒、ということだろうか。

 それにしては説明がつかないことが多すぎる。

 更に説明を求めようとした瞬間、アナが空に手を翳した。


「これで、連れてこれる」


 その手の先には先ほど祠から抜き取った箱があるが――姿を変えている。

 パチリパチリと角数を増やしていく。

 そして、遂には正二十面体の古びたパズルのような姿に変わった。

 やがてそのパズルは眩く輝きだし――


「……リンフォン!!」


 天空から、銀色の巨大な正二十面体が八十尺様の前に降り立った。


 小鳥は知る由もなかったが――降り立った銀色の正二十面体は米軍及び自衛隊規格の識別信号を発していた。


 Reinforce-ONE一機だけの援軍


 彼らがその意味を知るのは、もう少しだけ後になる。



  ⬢




 突如として出現した正二十面体。


 更に混迷する現場指揮所の喧騒とは裏腹に、八十尺様と正二十面体は、さながら威嚇しあう野生動物のように向かい合ってピクリともしなかった。

 米国機が押っ取り刀で駆けつけたが、奇妙なことに村の周辺に近づくだけで操舵不能となり、数千万ドルが藻屑となった。

 乗員の脱出及び回収に成功したのは不幸中の幸いであろう。


 巡航ミサイル《トマホーク》の類も同様の結果となった。

 また、山間部にある村である上に、目下もっか避難活動が行われている現在、陸路での戦車隊到着の目処もつかないという有様である。

 万事休すか――喧騒の中に漂う絶望感が色濃くなってきた時である。


 2人の女が空気を変えた。


  

「古場2等陸曹です、失礼します!!」

「倉務アナです、失礼してます」

「ちょっと静かにしてろよ……!!」


 敬礼したままアナを小突いた後、小鳥は改めて報告する。

 

「本件における重要参考人を連行しました! 上申願います!」


 会談が始まった。


 

 相変わらず喧騒の中ではあるが、その視線と耳は2人の女の一挙手一投足一言一句に傾けられている。

 指揮所中央では机を挟んで2人の女と、1人の初老の男が向かい合っていた。


巨藤きょとう一佐です、よろしく」


 穏やかな物腰の中年である、突如の来訪にも動じている様子を見せない鷹揚さも感じさせる。

 だが、それは穏当さ故と言うより、恐らく度の過ぎた冷静さが故だろう――それが小鳥の感じた印象だった。


 一言で言うならば、掴みどころなく、底が知れない。


 これなら威圧的に来られた方が、慣れているだけよっぽどマシだったのだが。

 大柄な体格に負けない大きな頭がそのニコニコとした表情に威圧感を足していた。


「倉務さん、と言いましたね、重要な情報をお持ちだとか――」


「Reinforce-ONE」


 アナがその単語を発した瞬間、喧騒が止まった。


 その場の全員が腰の銃に手をかけている。

 巨藤すら目を見開いてその鷹揚を崩していた。


「アレの持ち主は私だ」

 

 銃口が向けられた。


「リインフォース・ワン……?」


 その場において、何も知らぬ小鳥だけが両手を挙げ、ただ戸惑う他なかった。


「古場2曹、なるほど、大変な参考人を連れてきてくれましたね」


 形だけとはいえ、鷹揚のポーズを取り戻した巨藤が額の脂汗を拭いながら皮肉交じりに告げる。

 周囲の鈍く光る銃口は神経質にアナの頭部を捉えており、なにか少しでも余計なことをすれば、その引き金は軽いだろう。

 

「あの巨大な正二十面体、アレは一体?」


「名の通り『たった一機だけの援軍』だよ」


「誰にとって?」


「もちろん、あなた達にとって」

  

 信用できるはずもない。


 無言で、ただ真っすぐと見つめ合うアナと巨藤。

 ただ機器が発する電子音だけが響く空間。

 

 永遠にも感じた時間――口火を切ったのはアナだった。


「コーヒーぐらい入れてくれてもいいんじゃない?」


 唇を尖らせて、やや拗ねたように図々しく茶を要求した。

 どうやらまだ話し足りないらしい。


 巨藤は呆れた様子で息を吐くと、椅子にドッカリと深く腰掛ける。

 手振りで周囲に銃を下げるように促しながら、手近の部下に向かって指を3本立てた。

 遠からずコーヒーが出されるだろう。


「ま、話が通じるだけアレよりマシでしょ。聞くだけ、聞きましょ」


 全てにおいて異常事態である現在、もはや何が正解なのかも分からず、指針もない。

 そうであるならば慎重さはもはや時間のロスでしかなく、そこにアドバンテージはない。

 細かい算盤は置いておいて、詰まる所そういう理屈なのだろうが――

 国家の一大事において、この巨藤も大概な肝である。


 あったかいものどうぞ、と巨藤がアナと小鳥にコーヒーを差し出す。

 あったかいものどうも、とアナがコーヒーを啜る。

 小鳥としてはコーヒーどころではない。


「まず、あなたは何者なんです?」


「名前を聞いてるんじゃないからな」


「分かってる」


 横から小突いてくる小鳥に唇を尖らせて、倉務グラムアナは何から話そうか、と迷うように口を開くが――


「私は――う~ん、ごめん、やっぱり質問を『あの怪物は何なのか』に変えて?」


 私はあれの敵以上の存在ではないから――そう次ぐと巨藤に対して、どうぞ、と促した。


「……では。『あの怪物は何なんですか?』」


 当然、巨藤の中で心証は良くなかったのだろう、やや憮然とした態度で鸚鵡おうむを返した。

 癪に障ったのは無礼な態度ではなく、如何にも自分の身分を話したがらない立ち居振る舞いだからだろう。

  

「アレは八尺様――いや、八十尺様か。都市伝説の……それは分かる?」


 分かる――と言えば、分かる。

 小鳥の胸はザワつく。

 巨藤はふむ、と頷き、手元に置かれていた資料を取り出した。


「村民の方の証言と一致しますねぇ、都市伝説の怪物というより、村に祀られていた魑魅魍魎の類――と調査にはありますが」


「ちょ、ちょっと待てよ。アレがそうだっていうのか?」


 今まで黙って事の推移を見守っていた小鳥が割り込む。

 確かに思い当たる節はある、あるが――あれが?

 子供脅かす寝物語の怪物ではないのか?


 アナはゆっくりと首を振る。

 

「いや、アレはそうじゃない」


「どっちだよ!!」


「まぁまぁ」


「まぁまぁ」


「くっ……」


 自衛隊員は階級に弱い。

 巨藤と一緒になって宥めてくるアナの頭を引っ叩きたかったが、グッと拳を握ってなんとか耐えた。


「アレは八尺様そのものじゃないよ、その皮を被った尖兵だ」


「尖兵、ですか?」


 なんだか不穏な単語だ。

 それではまるで、なにか大きな存在が、我々に意図して攻撃を加えているみたいではないか――

 小鳥の不安を肯定するようにアナは頷いた。


「世界と世界の隙間でこちらを見ている『何か』が、この世界の『現実』を奪おうとしているんだよ。潜水服のように、この世界で『実態がないのに信じられている存在』の皮を被って世界から弾かれないようにしているんだ。その証拠にあの村一帯のヒューム値は極端に――」


 唐突に立て板に水のごとくペラペラと喋りだすアナに、小鳥がストップをかける。


「待て待て待て!! なんか……ややこしい話を一気に流そうとしてないか!?」


「バレた?」


 ぺろりと舌を出すアナ。

 今回ばかりはその額を引っ叩いた。


「……まぁ、大体そういう話なんだよ。正気じゃ聞けない話だから、そういうものだと受け取って欲しい」


 額を不服そうに撫でながら、アナはコーヒーのおかわりを要求した。

 もう一発行っておこうか。

 巨藤もその大きな頭を抱えている。


「……つまり、あなたはそういう存在に対する、カウンターだと」


「そうだね。都合の悪い存在アレがいるんだから、都合が良い存在わたしがいたっていいでしょ」


そういうもの――なのだろうか。

 結局、なんの説明にもなっていない気がする。

 しかし、当人が自身をそうだと語るのなら、真実にせよ騙りにせよ、それ以上の情報は出まい。

 巨藤も割り切ったのか、やや難しい顔で本題に切り込んだ。

 

「我々に何をしてほしいのです」


 問いを受けたアナは頷いて、端的に要件のみを切り出した。


「祠を壊して欲しい」

 

 またそれか――今度は小鳥が頭を抱えた。


「祠は壊しただろ」


「いや、あの村にはまだメチャクチャ祠あるよ」


「なんでだよ!!」

 

 巨藤が頭を抱えている間も、小鳥とアナの喧々諤々は続く。

 周囲も口が挟む間もないほどの丁々発止である。


「今、八十尺様が機能を停止してるのはリンフォンを警戒して周囲のヒューム値……あー、『現実』を奪って力を蓄えてるからなんだ」


「それがどうして祠を壊すことに繋がるんだよ」


縄張り争いナワバリバトルを起こさせるんだ」


縄張り争いナワバリバトル?」


「この村の祠には、それはもう多種多様な怪異達が祀られている。『現実』が希薄になっている今、そいつらを叩き起こせば――きっとデカい顔してる八十尺様は気に入らないだろうね」


「……化け物には化け物をぶつけるって訳か」


「話が早いね。そうなれば八十尺様はもう『現実』を奪うどころじゃない。その隙を突いて、私がアレを倒す」


「今ぶっ倒すんじゃダメなのかよ」


「被害が大きくなりすぎる。アレが動きを止めてるのは飽くまでリンフォンを警戒してるからだ。ここは島根だから……まぁ大阪までは累が及ぶかな」


「それは……マズいな」


「隙を作って一気に倒す、それしかない」

 

なるほど、と小鳥は頷く。

 八十尺様が『現実』を十分に奪って力を付ける前に、可及的速やかに出来るだけ多くの祠をぶっ壊し、リンフォンで八十尺様を倒す。

 確かに時間的な猶予はなく、人手の欲しい作戦である。

 アナが自分にここまで連れてくるように頼んだのもこういう事か。

 

「――という事らしいです、巨藤一佐」


「らしい、と言われてもねぇ」


 ポリポリと額を搔いて、困り果てたような顔で巨藤が、どうしたものかなぁ、と零す。


「要は祠を壊す兵隊が欲しいんだね、文字通り」


「そう」


「無理だよぉ」


「そんなぁ」


 いや、それはまぁそうだろう。

 こんなどこの馬の骨とも知れなさすぎる小娘の作戦の提案など聞けまい。

 ましてや、この急場に貴重な人員を大量に割いて死地に送るなどと。

 

 とはいえ、話の筋は通っている、少しは検討の余地はあるではないか――


 納得いかない態度が顔に出ていたのか、巨藤はその困った視線の対象をこちらに変えた。


「古場2曹、むしろあなたは何故、彼女をそこまで信じられるのです」


 なぜ、なぜって――それは――


 なぜだ?


 なぜ私は、こんな得体の知れない、人間かも怪しい女と丁々発止のやり取りが出来るほど、信じていられるのだ?


 答えられない。


 唖然としている自分を値踏みするように見つめた巨藤がその口を開こうとした瞬間、周囲の隊員からの報告がそれを遮った。


「巨藤一佐! お話中、申し訳ありません。実は――」

 隊員はチラリ、とこちらを見ると、巨藤に耳打ちで報告する。

 アナを見るなら分かるが、私だって同じ自衛隊員ではないか――とは言えない。

 1佐が現場指揮を執る案件である、この場では下っ端に見える彼もきっと小鳥より階級はずっと上だろう。

 自衛隊員は階級に弱いのだ。


 巨藤はますます困り果てた顔をして、嘆息した。


「封鎖してる道路に、霊能者や神職を名乗る人間たちが押し寄せているらしいですよ……」


 ああ~、とアナがそういえばというように手を打った。


「その人達も必要だよ、連れてきて」


 巨藤の顔が完全にシワシワになってしまった。

 大変なお仕事だなあと小鳥とアナは思った。



  ⬢



米軍機は制御を失い、巡航ミサイル《トマホーク》もその機能を停止した。

 思い返せばなぜ、叩き落とされたとはいえ最初に出撃した自衛隊機は飛行が可能だったのか。

 その謎は日本全土のありとあらゆる識者が議論していたが、最終的な結論は一つだった。

 ――分からない。

 憶測以上の答えを出せる者はいなかったのだが――


「祈祷だよ」


 その答えを聞けば、きっと呆れ返っただろう。


 祈祷ォ――、その場の全員が素っ頓狂な声を上げた。

 言われてみれば、である。

 航空自衛隊には新型がロールアウトされた際に神職が祈祷する風習がありはする。

 ありはするが――


「それは米国機だって同じでしょう」


 隊員の一人がツッコむ。

 その通り、別にそういった風習自体は世界各国で別段珍しい話ではない。

 死地に向かう時、神に祈りたいのはどこだって同じだ。


「さぁ、世界観の問題じゃないかな。効かなそうでしょ、アレに十字切ったってさ」


 それは――そうなのだが。

 どうやらとんでもない存在を相手にしているらしいという実感が伸し掛かってきた。


 それでいいんですかね、と誰かが零した。

 そういうもんなんだよ、とアナが返した。


「つまり、その……神様の加護がない限り、あの場で電子機器の類は停止すると」


「厳密ではないだろうけどね。ガソリン車は動くけど、電気自動車はアウトぐらいの」


 いい加減だ。

 本当にいい加減な話だ。

 いくら巨藤でもキャパシティを越えようとしていた。

 

 その瞬間、更なる悲報を抱えた隊員が飛び込んでくる。


「ほ、報告!!」


「今度はなんですか……」


「被災救難部隊が帰還しました! 報告によると――」



  ――無数の八尺様が、村内を練り歩いているとの事です――



 その場の全員が、すっかり頭を抱えてしまった巨藤を憐れみの目で見つめた。

 大変なお仕事だなあ。


 動かなくなってしまったこの男を、誰に責める権利があるだろうか。


 事は一刻を争う、こうしている間にも仕事は積み上がっていき、事態は悪化し、先程から霞が関からは矢の催促が引っ切り無しだ。


  それでも、少しだけでも、少しだけでも巨藤を休ませてあげよう――その場にいる者達も、それぐらいの優しさは持ち合わせていた。


 不意に、巨藤の肩が震えだした。

  ふ、ふふふ――ふふふふふ――――


 笑っている。

 

 誰もが「あっ壊れた」と思った。

 アナに至っては口に出した。

 ド突かれた。


「ハーーーッハッハッハ!! 確かに、ちょっと壊れたぐらいの方が丁度いいみたいですねェ!!」


 ガバリと顔を上げた巨藤の目は爛々としている。


「なんだか久々に血が滾りますよォ!!」


 完全にヤバいエンジンのかかり方をしている。


 なぜだか知らないが、周囲の隊員たちも沸き立っている。


 

「アレはまさか――巨藤が死地に赴いた時にのみ現れる王の人格『巨藤王』かアッ!?」


「彼が伝説の!?」


「フッ……20年ぶりか? また見られるとはな……」

 

「すげえ“自衛力(オーラ)”だ……オデの何倍……何十倍……!?」


異常な熱気が場を包む。

 小鳥とアナは置いてけぼりである。

  

「えっ? 何何何何何何何? こわいこわいこわいこわいこわい。自衛隊ってこうなの?」


アナが怯えている。

 

「知らん知らん知らん知らん知らん! こわいこわいこわい。幹部職ってこうなの?」


 小鳥だって怯えている。

 

 一人称オデのヤツが幹部職に就くなよ。


 巨藤王がグルリと顔をこちらに向け、ギラギラした目でアナに問い詰める。


「先ほどの話を聞くに……神職や霊能者達の祈祷があれば、銃火器の類も確実に機能するということですねェッ!?」


「あっはい、そういうことが言いたかったんです」


「そして、あの八十尺様はアナタが、確実に、殺すッッッ!! 断言しますかァッ!?」


「あっはい、それはもう」

 

「伝令ィィィッッッ!! 道路に押し寄せている霊能者達に伝えなさい……『戦う者のみ通りなさい』とねェェェーーーーーーッッッ!!」

 

「ウオオオオーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 よりにもよって一人称オデのヤツが突っ走っていった。

 駄目かもしれん。


「なぁ……これも『現実』が削られた影響だったりするのか?」


「……多分……」


 何はともあれ、作戦は承認されたらしい。


 自衛隊と霊能者達は、並み居る八尺様を倒しながら祠を壊す。

 アナはあの八十尺様を倒す。


 話は決まった。



   ⬢



 決行は2時間後の15時30分。

 突入部隊と霊能者達の間で、形だけでも連携と班分けを行わねばならない。

 

 あまりにも話が分かりすぎる自衛隊に当の霊能者達が困惑していたが、巨藤王が放つ熱気に当てられたのか、少しするとすっかり戦士の目になっていた。いいのかな。駄目かも。


 作戦に向けて慌ただしく動く現場を遠巻きに眺めながら、小鳥は乗り慣れたバイクに腰掛けた。

 古場小鳥2等陸曹はこの現場の指揮系統に入ってはおらず、高度な政治的判断も含むこの現場で出来る事は少ない。

 かといって今から現場から遠く離れた原隊に戻るのもなんだか変な気がする。

 それは既に連絡を取った小鳥の上司も同じ感覚であったようで、休暇許可申請と矛盾もない為、このまま復帰せず現地部隊の補助を行い臨機応変に対応せよ――との事らしい。

 分かりやすく言うなら『今のドタバタでお前一人の差配で足並み崩したくないから、現地でよしなによろしく』という指示だ。

 つまり、今の小鳥は宙ぶらりんの身の上である。


 探せば手伝える力仕事ぐらいはありそうだが、今は落ち着く時間が欲しかった。

 

 ふう――と、11月の空に息を吐く。

 文字通り、ようやく一息をついた心地だった。

 激動の一日――としか言いようがない。


 小旅行を兼ねた里帰りのつもりだったのが、突然現れた八十尺様に――父を目の前で殺された。


 思い出すだけで血管がプツプツと粟立つのを感じる。


 冷え切った怒りが支配していく。


 糸は、断ったと思っていたのだが。

 理屈ではない。

 理屈ではないのだ、この怒りは。


「あったかいもの、どうぞ」


「……あったかいもの、どうも」


 隣に腰掛けてきたアナからコーヒーを受け取る。

 

 何故だろう、激動の一日の中でも、彼女との出会いは――悪くない出来事のように思えた。

 冷えた指先を受け取ったカップで温めながら、ずっと気になってきたことを聞く。


「アンタはさ……結局、何者なの?」


 名前を聞いてるんじゃないよね、と冗談っぽくアナは言う。

 やがて、ぽつりぽつりと身の上を話しだした。


「私はさ、元々はただのOLだったんだよ。彼氏だっていたし」


「ブハハッ」


「おい」


 ごめんごめんと謝りながら吹き出したコーヒーを口元から拭った。

 でも、ある意味では一番想像していなかった回答かもしれない。

だって――彼氏って、ねぇ?


「でも、その彼氏持ちのOLがなんだってこんなことしてんのよ」

 

「――世界が、滅びたから」


 更に、想像もしていなかった回答が飛び出した。


「あいつらに『現実』を奪われた私の世界は滅びた」


「それは――」


 何と言っていいのか。

 ご愁傷さま、とでも言えばいいのか。

 何を言っても安っぽい。


 ただ、コーヒーを啜って、お茶を濁した。


「言ったよね、ヤツらは潜水服のように『実態がないのに信じられている存在』の皮を被ってるって」


 私もきっとそうなんだよ――

 倉務アナも、少しだけ冷えたコーヒーを啜った。


「多分、リンフォンを手にした私のことを、彼氏がネットの掲示板か何かに書き込んだんだろうね。きっと私は『アナグラム好きの彼女』という存在の皮に過ぎないんだと思う」


「そっか」


 そっか――

 本当に安っぽい言葉だ。

 だけど、それ以外の言葉はきっと、もっともっと安っぽい。

 

「うん」


 アナは薄く笑って、ただ頷いた。


「だから、倉務グラムアナ。いいでしょ?」

 

 倉務アナとは、アナグラムのアナグラムだった。

 驚愕の真実である。


「それはちょっと微妙」

 

「……やっぱり小鳥は錦孝きんこうさんに似てるね」


唇を尖らせて、アナは父の名前を出す。

 そういえば、最初に会った時もそうだった。

 

「ああ、それも聞きたかったんだ。親父と知り合いだったの?」


「うん、どこから話そうかな――この村について、話そっか」


 曰く――この村はコトリバコと呼ばれる呪物を長年封印し続けてきたらしい。

 

 女子供だけを殺し続ける、最も悍ましい族滅の呪具。

 破壊すればその呪いは里に及ぶ、だが世に放つ訳にもいかない。

 泣く泣く、長い時に渡って贄を捧げ続けてきた。


 贄とは――幼い女児。


 儀式と言えば多少は聞こえはいいが、何のことはない、箱へのご機嫌取りである。

 虎にオヤツを差し出し続けて、同じ檻の中の羊を守ろうとするような所業だ。


 生まれ故郷のとんでもない真実だが、動揺は少なかった。

 今日一のドタバタで耐性が出来たのか?

 麻痺してるだけかも。


「――どーしようもない村だったんだね」


 捨てて正解だった、と自嘲気味に笑う。

 それをアナは本当に哀しそうな目で首を振った。


 今日1日の付き合いで分かってくるようになったが、彼女は表情が薄いのではなく、極めて分かりづらいだけだ。

 特に、目によく出る。


「私は――この村はこうすれば正解だった、なんて言えない」


 贄を捧げなければ、村ごと滅ぶ。

 では、世に放つというのか――そんなものを。

 決断を下せぬまま、ずっと小を犠牲にし続けてきた村だ。

 きっと正解などない。

 

 ――捧げられた子供たちにとっては、知ったことではないだろうが。


 口が渇くのを感じる。

 小鳥は今から一番、聞きたくないことを聞かねばならない。


「親父は知ってたの?」


 アナは僅かに目を伏せ、ゆっくりと頷いた。


「知っていたよ、知っていて――君を選んだ」


 真っ直ぐな目が、私を射抜いた。

    

 確かに覚えはあるのだ、アレは確か、家を飛び出すもっともっともっと昔の――


 自分の小さな手を引く父は泣いていた気がする、なぜ今まで忘れていたのだだろう。


 あの場所は確か――


 祠。


 

「あ――」


「うん」


 アナが叩き壊した、あの祠。

 アレこそが――私が生贄に捧げられた、コトリバコの祠。

 

 そうだ、なぜ忘れていたのだだろう。


 私はあの晩――

 父に殺されかけた後――

 抱きしめられた。


 父は、村より私を選んだ。


「どうするのが正解だった、なんて言えないけど」


 お父さんは、決断したんだよ。


 そう告げるアナの目は、今日見た中で最も哀しい目をしていた。

 

「なんで、アンタが知ってるの?」


「その場にいたからね」


「――――」


 そういう事もある……あり得る、のか。

 待て、そう言われると、確かに……暗くて覚えていないが――女がいたような気も――?


「お父さんが君を選んだ瞬間、コトリバコが起動したんだ。『現実』が薄くなった一瞬を狙って、私が介入した」


「介入?」


「――時間稼ぎだよ。私が、お父さんに、選ばせたんだ」


 ――1日だけ、待てる。

 

 ――この子のお母さんになら、『この子』という皮を被せられる。


 ――ごめんなさい、私にはそれしか出来ない。


 ――ごめんなさい、ごめんなさい――


 ――ごめんなさい、ごめんなさい――

 

 アナが差し出した選択肢は――

 小鳥の母を、娘の身代わりにする事だった。


「――ごめんなさい、ごめんなさい――」


 それしか出来なかったのだとアナには珍しく、少しだけ言い訳がましく、それでも謝罪は絶やさず、顔を覆った。

 ステンレス製のカップが冷たい音を立ててコーヒーをぶちまける。


 そういうことか、と納得した。


 父には、母は病気で死んだのだと言い聞かせられてきたが。

 実際のところは……母が、私の身代わりになったのだ。

 まんまと騙されたコトリバコは偽物の餌に満足し、暫しの眠りに就いた。

 

 母の犠牲で、村と私は救われたのだ。


 だが、食ったはずの餌がノコノコと戻ってくれば、餌が偽物であった事に気づくのも必定である。


 だから父は私を村から遠ざけようとした。


 だから父は帰る余裕なんてなさそうな自衛隊に就職したのを喜んだ。


 だから父は――私を庇って死んだ。


 コトリバコが再起動するその隙を突いて、八十尺様が横入りしてきたのだ。


 私が、村に帰ってきたから。


「私のせいで――」


「違う!!」


 アナが手で覆っていた顔を跳ね上げて、今までで一番強い語気で否定した。

 

 真っ赤な目で、本当に哀しそうな目をしているのに、涙は流れていない。

 きっと、彼女は涙を流せないのだろう。

 そういう存在ではないのだ。

 

「それは、違うよ――うまく言えないけど、きっと、違う」


「そっか」


「うん」


「ありがとう」


「うん」


 実際のところは分からない。

 私のせいで世界が滅びる、なんてことになっても、私のせいじゃないなんて言える自信はない。

 それでも――アナが言うなら、もうちょっとだけ頑張ってみようと思った。

 父と母がくれた自分いのちの事を、信じてみようと思えた。


 ――やってやるさ。



  ⬢



 アナが霊自混合編成部隊に破壊を依頼した祠は7つ。


 土木事務所から提供された周辺の山林の現況図を突き合わせ、村民から吐かせた祠の情報をマーキングする。


 村人が己の行ってきた悍ましい因習の根幹を為す禁地について躊躇なくペラペラと喋ったのは、これで業を積まずに済むという良心からか。

 それとも、古場家の末裔の「覚えているぞ」というたった一言の恫喝が故か。

 

 何はともあれ、朧気な記憶ではあるが地元の出身である小鳥の感覚とも情報は大きく矛盾せず、目標地点の割り出しは比較的スムーズに終わった。


「この赤い線は里道ですよね、通行可能なんでしょうか」


「明治大正……よくて昭和から更新されてない現況図だぞ。期待するだけ無駄だ、山越え覚悟で行くしかない」


「いや、祠と言うからには定期的に通ってはいるはずだ、獣道くらいはあるんじゃないか?」


「……確かにな、もう少し村人に吐かせるか」


「冬なのが不幸中の幸いだな、伐採はそこまで必要なさそうだ」


「何より視界が通るからな……雪が降らなければいいが」


 突入部隊同士の打ち合わせが進む中、自衛隊の装備は霊能者達が目下祈祷中である。

 霊的加護を受けた銃器やポータブルGPSの他、アナからの提案で、怪異の定番である『見てはいけない』に対して一定の効果が期待できるゴーグルへの霊的強化も行われている。


「ここが島根で、今が神在月というのは実に幸いでした」とは、とある神職の談である。


 着々と準備が進行する中、小鳥は専ら村人への尋問係として目覚ましい成果を残していた。

 それが本件における小鳥の主な役割となるだろう。


 なぜなら、古場小鳥は、現場には出ない。


 それは、そうだろう。

 随分と変則的だが、これは立派な実戦だ。

 いくらかの霊能者達は同行するが、それだって霊的知見が必要だからだ。

 多少の土地勘がある程度で、外様の小鳥を連れて行く理由は部隊になかった。



 作戦決行直前、巨藤の元に霊的強化を施されたドローンを操っていた偵察部隊から緊急の報告が入った。


「目標……動き出しました!!」


 巨藤が無言でアナを見る、これ自体は予見できていた事態である。

 十分に『現実』を奪った八十尺様が、リンフォンに攻撃を仕掛けようとしている。


 アナはゆっくりと、頷いた。

 小鳥に向かってただ薄く笑って――


「またね」


 それだけ言い残して、彼女は霞のように姿を消した。

 おう、と言う暇もなかった。

 これが最後になるのだろうか。

 ……いずれにせよ、この作戦が失敗すれば、そうなる。

 やるべきことをやらなければ。


 巨藤が号令する。


「霊自合同作戦『リンフォン』――開始!!」


 村へと繋がる国道を、霊的改造装甲車が駆けていく。

 

 それを敬礼しながら見送る者達に、巨藤王が喝を入れて発破をかける。


「さァ我々の戦争はこれからが本番ですよォッ!!」


 それを契機に各々が踵を返し、それぞれの戦場へと戻っていく。


 小鳥も、また。




  ⬢



 ぽぽぽぽぽ――――


 村にいる無数の八尺様。

 リンフォンを警戒した八十尺様の、謂わば子供のようなものである。

 ただ、そこにいるだけで人を殺し、存在するだけで『現実』を薄れさせる。

 そんな怪物達が、跳梁跋扈していた。


 そんな村に――――爆音が轟く。


 ぽぽぽ――――?


「南無阿弥陀仏!!!!!!! 南無阿弥陀仏!!!!!!!!!」

「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー!!!!!!!!!」

「恐れみィィィィ!!!!!!!!!! 畏みィイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!」

「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン!!!!!!!!!!!!!!!」

「スウーーーッッッ……セイッ!! スウーーーッッッ……セェエエエエイッッ!!!!!!!!!!!!!」

「来ます!!!!!!!!!!! 来ます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 

「喝ァーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ぽぽーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッ!?!?!?!?!??!?!?!?

 

 

 霊的兵器と化した装甲車に霊能者達が箱乗りしながら好き勝手な祝詞を唱え、天板から頭を出した自衛隊員が銃弾の嵐を浴びせる。

 無惨にもその巨体を散らしていく八尺様どもを蹴散らしながら、霊的改造装甲車の群れは各方面に散開していく。


 それを八十尺様が見逃す理由もない。


 手近にあった岩を手に取った。

 誰がどうみても、その長い腕を活かした投擲をしようとしている。

 そして大きく振りかぶって――

 

「うおおおッッッッ!!」


 銀色の正二十面体が、猛スピードで八十尺様に激しく衝突した。


 巨体がよろめく。


「来なよ、地獄を見せてやる」


 リンフォンの内部で、アナが吠えた。

 中空に浮かぶリンフォンに手を翳し、その操作に伴って巨大な銀色の正二十面体が動く。

 時空のおっさん謹製の操作システムだ。


 ぽぽぽぽ――


 八十尺様が激昂したかのように、巨体に似合わぬ速度でリンフォンに取り付く。


 両手両足を使ってへばりつきながらガンガンと拳を振るう姿は滑稽だが、手足のないリンフォンはそれを振り払う手段がない。


 アナの顔が苦痛に歪む。


 存在そのものがリンフォンと癒着しているアナに取って、外部のダメージはそのまま本人へのフィードバックとなる。


「……リンフォン!!」


 アナは目にも止まらぬ速度でリンフォンのパズルを解いていく。

 おにぎりを握るように、ある時は摘んで、部位を引っ張り出すように。

 それに合わせてリンフォンの姿は変わっていき――


「……モード:ベアァァァッ!!」


 正二十面体から頭が、手が、足が飛び出す。

 その大きな腕は確かに熊を思わせなくもないが、大きな二本の足で聳え立つその姿はどちらかと言えば大柄な人型を連想させた。


 リンフォン・ベアーは取り付いた八尺様の腕を絡め取り、思い切り地面に叩きつける。

 大質量同士での衝撃で土埃が舞い、轟音が響いた。



 爆風のような余波を受けながらも、地上では小さな人々が奮闘していた。


 比較的近くの祠の破壊に向かっていた班は、それ故に巨人同士の対決の影響は大きかった。

 車から降りて行軍を開始した途端、あの戦闘が始まったのだ。


「ッッッ……!! クッソ……!!」


 土埃で目がやられたのか、衝撃で耳がやられたのか、あるいは両方か。

 片膝をつく自衛隊員をカバーする余裕がある隊員はなかった。


ぽぽぽ――――


 数体の八尺様が、群れから逸れた獲物を取り囲む。

 

「……誰かそこにいるのか……?」


 ぽぽぽ――――


 いる、確かにいる。

そこにいるのは――


「スゥーーーッッッ……セェエエエエイッッ!!!!!!!!!」


 ぽぽーーーーッ!?


 霊能者のスプリングオーシャン水亭である。


 独特の呼吸法にて気合いを込め、人差し指と中指を揃えた剣印を思い切り八尺様達に向けて振り下ろす。


 見えない力に大きく弾かれ、八尺様はスプリングオーシャン水亭から距離を空けられた隙を突き、霊能者は隊員に肩を貸した。


「大丈夫か? 本隊と合流するぞ!!」


「……やるなあ、あんた」


 隊員の称賛を、霊能者は親指を立てて応えた。




 霊能者と陸上自衛隊の混成部隊は、実際のところかなりの成果を上げている。


『こちら1班! 設置完了! 待機する!』

『こちら3班! 設置完了! 待機する!』

『こちら4班! 設置完了! 待機する!』

 …………

   

 がっぷり四つで組み合った八十尺様とリンフォンがその動きを制止している間、目標となる7つの祠の内6つには既に霊的C4爆弾を設置されている。

 合図があればいつでも起爆できる準備は整っている。

 残る1つの祠は山中にあり、やや到着が遅れているが、それも直に達成されるだろう。


 それも、この均衡が保たれれば、の話であるが。


 突如、手四つで組んでいた八十尺様は手を振り払い、リンフォン・ベアーから大きく距離を取った。


 ぽぽぽぽぽぽぽぽ――――


 そして近くの畑に手を突っ込むと……巨大な白い何かを、引きずり出した。

 

「……くねくね!?」


 人間大のはずであるくねくねは何故か八十尺様にサイズを合わせるように巨大化していた。

 戦っている最中も徐々にヒューム値は下がり続け『現実』が奪われ続けていた影響だろうか。


 何にせよ、くねくねは哀れにもヌンチャクのようにグルグルと振り回されていた。


 その目標はリンフォンではなく――今にも祠に到着しようとしている霊自合同部隊であった。


 現在は霊的防御を施されたゴーグルにより即座に発狂には至らないで済んでいるが、単純な質量攻撃にはどうしようもない。


 全く想定外の攻撃である。


 アナの決断は――

ヌンチャくねくねを身代わりとなって受けることだった。


「ぐううッッ――!!」


 苦悶の声が漏れる。

 鞭のようにしなり、ビルのような質量をもったくねくねの打撃は、無防備に受けるにはあまりに重たかった。


 くねくねがリンフォンに器用に纏わりつき、その動きを奪う。


 その間も霊的C4の設置作業は急ピッチで進められていく。


「急げ!嬢ちゃんが持たンぞ!」


「分かってるよ! ……よし! 祈祷頼む!!」


遂に全ての祠を爆破する準備が整った。


 号令がかかる。


『発破!!』



 霊的信管がその火力を解き放ち、7つの祠は全て破壊された――

 はずだ。

 それなのに。


『……何も起こらないぞ?』


『どういう事だ?』



――しまった!

 アナは内心で舌打ちをする。

 現在の極限まで薄まったヒューム値であれば、祠を壊せば祀られた怪異達が解き放たれるという算段は間違っていなかったが。


 コトリバコを最初に確保したのは、祠の配置によって張られていた結界を崩しつつ、リンフォンの『皮』を被せ、存在強度を保つ為だった。


 しかし、それが成功したのは飽くまでコトリバコをベースとして使用したからだ。

 この村の守りは、想像以上に厳重だ。


 結界は、まだ崩れきっていない。


 それが怪異の出現を防いでいる。


 自責と後悔と痛みで埋まりそうな頭に、強引に思考を割り込ませる。

 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ

 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ

 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ


 どれだけ考えた所で、痛みで声も出せず、くねくねに縛られた体は動かない。


 ここまでか――!


 諦めかけた思考を、不意に何かが遮った。


 バイクの音が、聞こえる。


「援軍に来たぜ、一人だけどな」


 その声はなぜだか良く耳に通った。



  ⬢



 古場小鳥は、作戦の失敗を予感していた。


 確証があった訳では無い、だが、アナとの触れ合いによって蘇った記憶と、村人への尋問が同時に懸念点も生み出したのだ。


 そもそも、なぜ八十尺様はあの家の真上に現れたのか。

 なぜ、父は八十尺様の存在に咄嗟に対処できたのか。


 ――思い当たる節がある。


 今ではすっかり跡形もない実家の思い出。

 そこに、決して父が近づけたがらない場所があった。

 まぁ、古い家なら大して珍しくもない、単純に危険なのだ。

 

 だが、古場家となると話が変わる。


 古場が代々コトリバコに関する『仕事』を請け負ってきた家であることは、村民への尋問で既に分かっていた。

 だが、長老と呼ばれていた老人の言葉がずっと棘のように残っていた。


 ――無駄じゃ、古場は『要』なんじゃよ――


 何度その意味を問い質してもそれきり黙ってしまったのでぶん殴ってみたが、違う意味で喋れなくなってしまった。

 今後は流動食だろう。


 古場――という名字に込められた意味。

 古い、村の起点となるような場所。 


 何かを見落としているような、イヤな感覚。

 

 予感のまま、周囲の制止を振り切って小鳥は愛車を走らせた。


霊的無線で作戦の失敗を聞いて、小鳥の直感は「あそこだ」と叫ぶ。

 根拠はない。

 だが、くねくねに苦しめられているリンフォンの――アナの姿が、激情のままに単車を走らせた。

 

 巨人たちの足元で、霊的ロケットランチャーを担ぎながら小鳥は不敵に笑ってみた。

 

「援軍が来たぜ、一人だけな」



 あの八十尺様がその足を払えば、きっと自分はゴミクズのようにその命を散らすだろう。

 だが、八十尺様にゴミクズにかまっている余裕はあるまい。

 

 実家はもうすっかり均されてしまって、見る影もない。

 もし家の中に祠があるのなら、とっくに壊されてしまっているだろう。

 だが、あるのだ。

 一箇所だけ、不自然に残っている箇所が。


 井戸だ。


 古来より井戸には水神が宿るとされ、現代においても潰す際には魂抜きと呼ばれる儀式を行う。

 村中に広がり、栄えさせた最古の水脈――なるほど、結界の要としては十分な役割を担うだろう。


それを今から吹っ飛ばす。


 ずっと閉じられていたであろう井戸の封印を愛車整備用のスパナで叩き壊すと、顔も写さない深い井戸が姿を現した。


「よっ……と」


 井戸の縁に足をかけ、霊的ロケットランチャーを垂直に構える。

 教官が見たら大激怒だろうな――

 苦笑しながら、引き金を引いた。


 爆風で、吹っ飛ぶ井戸。

 ついでに小鳥も衝撃で中空にふっ飛ばされる。


 したたかに地面に体を打ちつけ、ゴロゴロと転がる。

 どこか折れたか? 五体満足なだけ文句は言うまいが――

 体を引きずりながら顔を上げた。


 八尺様ではない、無数の怪異が家に――八十尺様に押し寄せていた。


 まぁ、そりゃそうだと苦笑する。

 怪異達の目標である八十尺様の足元で、結界を破壊したのだ。

 当然、こうなる。

 怪異達の争いに巻き込まれた人間はただでは済むまい。


 この役割ばかりは片道切符の決死行。 


 だから、小鳥は単身で来たのだ。


「小鳥――――ッ!」


 アナの悲鳴が聞こえる。


「――ごめん、またねって言ってくれたのにな」


 ゆっくりと目を閉じる。


 …………

 …………

 …………

 

 何も起きない。


 ゆっくりと目を開ける。

 

「うん……また会ったね」


 目の前にはアナが現れた。

 いや、私がアナの目の前に現れたのか。


「ど、どういうこと?」


「うーん……? 結界が壊れたからリンフォンのベースになっているコトリバコの機能が一部復活して獲物となっている小鳥が招来され……?」


「何言ってんの?」


 言ってる事の半分も意味がわからない。

 というか本人もそこまで聞かせる気はないのだろう。


 アナは唇を尖らせて、妥協した。


「……友情パワーってコトで」


「いいね」


 思わず同時に吹き出した。


 体は痛むが、きっとそれはアナも同じはずだ。

 ぐっと肩を掴んで、正面を見据えた。

 八十尺様の顔をちゃんと見たのは初めてかも知れないが――少なくとも、私達の方が美人だ。


「さぁ、やってやんな!!」


「あいよ」


 明らかにくねくねの拘束が緩んでいる。

 その隙を突き、リンフォンは力付くで抜け出すと、くねくねを綱引きの要領で器用に巻き取る。

 そしてすっかり固結びにしてしまうと、その辺に放り捨てて、ついでに蹴りも一発入れた。

 明らかに根に持っている。

 発破をかけた手前なにも言わないが、いくらなんでもちょっと気の毒だ。


 当の八十尺様は怪異の群れに纏わりつかれ、明らかに動きを鈍らせていた。

 中には十数メートルはあるであろう、3対の腕を持つ、下半身が蛇の女が鬼のような形相で八十尺様に巻き付き、殴りかかっていた。

 この後どうするんだ、というのは置いておいて、事態の趨勢は既に決したように見える。


「このまま――!」


 アナがトドメを刺そうと大きく拳を振りかぶった――瞬間。


ぽ――――


 

 八十尺様が癇癪を起こすようにブルブルと震えだすと――


ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ






ぽっ

 




 唐突に、大きくなった。


 ちょっとやそっとではない。


 それを見ていた人間は全員、なんなら取り囲んでいた怪異も、ありとあらゆる存在が呆然としてそれ見上げていた。


 何倍というのなら、およそ10倍ぐらいの大きさだろう。


 八十尺様は、八百尺様となった。


「バカじゃねえの!?」


 小鳥の絶叫が総意であっただろう。




  ⬢




 八十尺様の膨張の瞬間、異変を察したアナは咄嗟にリンフォンを組み替えた。

 鉄火場ではあるが、隣の小鳥も思わず見とれた程の手捌きによる素早さと流麗さにて生み出された姿は――


「モード:ホーク……!」


 瞬間、突如として巨大な質量が出現した事によって空気の暴風が巻き起こる。

 巨大な鷹の姿と化したリンフォン・ホークは一つ羽ばたくと空高くへと舞い上がり、八百尺様から巧みに距離を取った。


  八百尺様の威容は上空から眺めても衰えることはなく、小さな村をその影で覆い尽くしている。


『ぽーーーっぽっぽっぽ……よもやここまで追い詰められるとは思わなかったっぽねぇ……』


「……喋ったよなアイツ!?」


「そういうこともあるよ」


 そういうこともあるのか。

 

『羽虫が鬱陶しいっぽ……!』


 もはや、その腕の一振りはどうやって計測すればいいのか。

 大振りではあるが確かな速度のあるその拳を間一髪で避ける。

 それだけで、巻き起こす気流はリンフォンを激しく揺らした。


「元気一杯かよ……!」


 小鳥が零した悪態を、アナが、いや――と否定する。


「あの姿になったらもう後がない。あそこまで世界と齟齬を起こせば、遠からず弾かれる」


「……それって向こうは今すぐ終わらせる気満々って事じゃねえの?」


「……そうとも言う」


 より鋭く、速くなった八百尺様の拳が迫る。

 なんとか今度も間一髪で回避した――と安堵した瞬間、眼前に無数の『八尺様』が迫っていた。

 

 振りかぶりながら八尺様を生み出し、それを投げつけてきたのだ。


 ぽぽぽぽォーーーーーッッッッ!!!!!!!!


「霞の剃刀ヘイル・レイザー!!」


 リンフォンの翼を模した部位から、羽に似た無数の刃が飛び出す。

 無惨にも切り散らかされた八尺様達はバラバラと地上に墜ちていく。

 二人して同時に息を吐いた。

 気が気でない。


「どうすんの? このまま粘る?」


「無理無理無理。今のだって良くやった自分って褒めてる真っ最中だもん」


 だから――

 アナが意を決したように口を開く。


「だから、お願いがあるの」


 最後の作戦が始まる。




  ⬢




『さぁ、いつまで逃げ続けられるっぽかねえ? 弾はまだまだあるっぽよ~』


 勝ち誇った口ぶりで、八百尺様が手の平の八尺様達を跳ねさせる。

 先程の回避が半ばまぐれの、何度も出来る芸当ではないことは察していた。

 次の一球で確実に終わらせる――今、八百尺様には闘志が燃えていた。


「誰が逃げるかァァァッッ!!」


 小鳥が吠える。

 今、リンフォンを操作しているのは――小鳥だからだ。

 もはやヤケクソのように叫びながら、ただ我武者羅に八百尺様の顔面に突っ込んでいた。


『ぽぽぽぽぽ!! 特攻っぽか!? 興醒めっぽねェ……これでゲームエンドっぽよーーーーッッッッ!!!!!!!!』


 八尺様が蝿を叩き潰すかのようにその両手を合わせようとした、ギリギリのタイミングで――

 小鳥が、宣告した。


「捧げる」


 リンフォンのベースは、コトリバコである。

 その上にリンフォンというテクスチャーを被せているに過ぎない。

 贄である古場小鳥がリンフォンを操作している今、その本質はコトリバコに寄っていた。


 コトリバコの呪術的目的は、相手の一族を滅ぼすこと。

 その呪殺対象は「幼い子供」と……「出産可能な女性」である。

 必然的に、生贄もそれらに絞られる。


『ぽッ? ぽぽぽぽッッッ!? 貴様ァァァァ何をしたっぽォォォォッッッ!!」


 八百尺様の体が徐々に縮んでいく。


 この村が多数の怪異を祀っていた理由の一つは、コトリバコのこの特性だろう。

 例え怪異であったとしても、その条件のいずれかを満たしていれば封印の要石として睨みを効かせられる。

 怪異を押し付けられたのか、コトリバコとの相殺を狙ったのか、それは知る術はもはや無い。


 少なくとも今――八百尺様は、古場小鳥の身代わりとしてコトリバコに捧げられた。

 贄だった女から代わりの贄を差し出されたコトリバコは、それを受け入れた。

 それだけが事実だった。


『まだっぽ!! この体を依代として、世界に弾かれる前にもっと大きな『穴』を作れば――!!』


「出来ると思う?」


 選手交代の時間だ。

 バトンタッチしたアナがリンフォンに手を翳し、器用に組み替える。

 背ビレまで完全に完成された、地獄を開くための姿。


「モード:フィッシュ!!」


 翼をしまい、中空に浮かぶ魚となったリンフォンを夕日が照らす。


「開け、リンフォンドライブ……! お前の本当の名前いみを見せろ――!!」


 RINFONEという殻で隠されていた、真の姿が今、顕れようとしていた。


 魚の鱗が赤く灼熱し、空気が揺らぐ。

 蒸発した周囲の水分がジリリリと甲高い音を鳴らす。

 急激な温度変性によって気流が荒れ狂い、地の底から響くような声と化す。


 民法ヘリの中継を見ていたある老婆は猫を撫でながら戦慄いた。


「アレは……凝縮された、極小サイズの……!!」 

 

 ――地獄INFERNOの門が開く。


 

 

 伝えられるリンフォンの怪談は、確かに怪異としては貧弱であるとしか言えない。


 パズルを解かない限り無害な上、致命的な結末に陥る前にイタ電などの細かい嫌がらせをするせいで結果的にセーフティとして働いてしまい、ガムテープでグルグル巻きにされてゴミに出せばそれで解決してしまう、クソ雑魚C級怪異だ。


 だが、それは同時に――

 『極めて安全に取り回せる怪異』であるということも意味していた。

  

 管理者たる時空のおっさん達が目を付けたのは、その安全性である。

 リンフォンそのものをエネルギー源として、地獄の炎を炉とする、対怪異怪異――その操縦者として抜擢された《皮》が、倉務アナであった。


  時空のおっさんがアナにそれを話すことはない、多忙な彼らはアナと双方向の会話をしたことすらない。

 ただ、役割と使命を一方的に与えて、世界に放り出すだけだ。


 だから、アナはこの感情の正体も知らない。


 胸を燃やすような、この世界だけは、小鳥だけは救いたいという想いが、地獄の門を開く。


 赤熱した魚の、その口が一際、赤黒く輝く。


 内側から地獄の炎を吹き出すリンフォンは、当然アナと小鳥のその肌も焼く。


 苦悶に耐えながら、それでも――

 それでも、この肩を抱いてくれる血の通った温もりの方が、ずっとずっと熱くアナには感じた。


『やめ――――』


 声を合わせてその一撃を叫ぶ。

 安直でいいだろう、2人しかいないのにカッコつけたってしょうがない。

 

「地獄の光炎ヘル・レイザーァアアアアアアアア!!!!!!」


極限まで凝縮された地獄の業火は、禍々しく輝く光となる。

 両手で必死に急所を防ごうとする八百尺様の努力も虚しく――その両手ごと、眉間を貫いた。

 

『バ、バカな……この八百尺様が……八百尺様がァアアアアアア!!!!!!!!!』


断末摩が響く。

 やがて、八百尺様はその巨体を崩れ落ちるよう倒れた。

 そして地上に倒れ伏す前に、塵となって――消えた。 


 戦いは、終わった。


「いぃいい――――」

「よっしゃああ―――ッッッ!」


 思わず抱き合って勝利を祝って、

 お互いなんだか照れ臭くなって、

 鼻を掻きながら離れた。


 そうだ、戦いは終わった。

『現実』を奪っていた八百尺様がいない今、徐々に世界は正常に戻るだろう。

 村を埋め尽くす怪異達もいずれ消え去るに違いない。


 だけど、それは……それは。


「お別れかぁ」


 アナとの別れも意味していた。


 彼女が度々口にしていた「世界に弾かれる」という奴だろうか。


 その体は徐々に薄くなっていっている。


「待てよ、もうちょっとだけさ、残れよ。ほら、この場でお前いなくなっちゃったら空に放り出されるじゃん」


「そこは上手いことするよ」


「巨藤一佐とも挨拶してないだろ」


「あの人はいいよ、色んな意味で怖いし」


「村の様子だってちゃんと確認していけよ」


「そこはまぁ頑張れ」


「あとさ」


「小鳥」


 言い訳が尽きたのを見計らって、アナが遮った。

真っ直ぐ、その目を見つめる。

彼女の感情は、相変わらず目によく出る。

 アナは、少しだけ、ほんの少しだけ涙を流しながら――笑った。


「またね」


「うん――うん、またな」


 最後に抱き合って――

 腕の中で倉務グラムアナは――どこかに帰った。



 気が付くと祠にいた。


 アナが叩き壊した祠だ。

 ほんの半日ほど前の話なのに、酷く遠い昔に思える。


 ――問題は山積みだ。


 ボロボロの村を見ながら溜め息を吐く。

 頭は抱えない、それは巨藤の役目だ。


「いよっし」


 ここから戻るまでの道を思うと億劫で気が重いが、気合いを一つ入れ直す。


 私は父と母と友人に愛されて、今、この世界で生きている。


 それならきっと、どんな道でもまぁなんとかなるだろう。


「地獄じゃあるまいし、ねえ――」


 帰ろう。

 

 私と、その友人にまつわる箱の話は、これでお終いだ。




 孤闘援軍 リンフォン 

 おわり

 

 














「いや~……まぁ、またねって言ったからね」


「言ったよ、言ったけどさぁ、こんな早いことあるかぁ?」


「やめよやめよ、恥ずくなってきた。店員さ~んすいませんコーヒーおかわり~」


「奢らないぞ」


 アナは唇を尖らせた。

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孤闘援軍リンフォン 八十尺様の野望 さめ72 @SAMEX_1u2y

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