第19話
「おかしなことをなさっていますねえ」
心底おかしい、と青猫の声音は言葉以上に雄弁にやつの心情を語っていた。
「迷子の方々を帰すこともせず、かといってさほども驚かさず、ただしばらく戯れては無事に通す。いや、私も塵拾いの方々を見るようになってからずいぶん経ちますが、なかなか見ないお姿ですよ。特に、目覚めて間もない方では」
楽しそうに続けながら、青猫の目は探るようにこちらをうかがっている。
「初めてお会いしたときから思っていましたが、目覚めてすぐにしては相当に知性を回復されているようですね。これで念話さえ上達なさったら私よりも口が立つようになるのでは?」
それはない。
思うが、念話にはしない。できるが、無駄に疲れるのと青猫にこちらの事情を少しでも知られたくないからだ。
迷宮を自由に動き回っている様子のこいつにどこまで物を隠せるかはわからないが、こちらからさらけ出す必要もない。
「先ほどの戯れもこちらで拝見させていただきましたが、いやぁ、お強い。迷子の方々も迷い込んで日が浅いと見受けましたが、それでもお一人で蹴散らすとは。ええ、こういうのをこちらの言葉では掌の上というらしいですよ。どこも似たような言い回しになるものですね。しかし、やはりお一人では切り盛りするのも大変でしょう。どうです、ここらで何か従者、使い魔の類でも一つおそばに置くというのは」
『いらない』
以前と同じ答えを返す。
青猫は残念そうに顔を歪めた。
「さようですか……いえ、無理にとは言いません。この場に貯まった力を何にお使いになるかはあなた様次第。無為に積もり積もった塵塚を築きなさるのもまた自由でございますとも」
力、と青猫は言った。
具体的にそれが何であるのか、俺は知らない。けれど一月も迷宮の中、グールの身で過ごしている内に実感するものはあった。
探索者たちとこの場所で戦い、通すと、その前後でわずかに空気が違う。満ちるものがある。この部屋に……そして、この身体に。
顕著に感じられたのは宝箱に装備を入れたときだったが、たとえ形ある物品を捧げずとも少しずつ貯まっていくものがあった。
錯覚でないとわかったのは、前回、一週間ほど前に青猫が現れたときだ。
またふらりと現れたこいつは、何らかの呪文でこの部屋の様子、ひいては俺の状態を認識し、つい先ほどと同じことを言ったのだ。おかしなことをなさっていますねえ、と。そして、またいくつかの提案――使い魔の斡旋やら罠の設置やらを勧めてきた。
それだけの力が貯まっている、と。
ほとんどは断り、一つだけを受けた。
「ところで、隣の部屋を広げましたが使い勝手のほどはいかがでしたか? まずは人員よりも設備に投資。なるほど、あなた様の理念とはそのようなものであったかとこの青猫、ようやくご深慮に触れられた心地でございます」
わかってきたが、こいつの言葉は大半意味がない。呼吸するように一人でくっちゃべっているだけで、会話しようという気がないのだろう。前回、二、三質問を投げたがまともに返ってはこなかった。俺の念話が未熟ということを差し引いても、あまり情報を与える気はないと考えるべきだ。
考えるしかない。
力。この実態はわからない。何を元にした力なのか、考えようにも材料がない。
とにかく、それは存在する。
そして、迷宮は探索者からそれを奪っている。
宝箱に物品を収めるだけであれば形ある資源を奪っているのだろうと考えることもできた。けれど、ただ戦闘し、強制帰還にも至らせていないのに収集できるとなると、それは形ある物ではないと仮定しておくのが自然だろう。
迷宮とは――突如として世界中に出現し、大勢の人生を狂わせながらも直接的に命を奪わず、現代の理解を超えた遺物、呪文というものを人類社会にもたらした災害は、やはり、存在するだけではなかったのだ。
明確に目的を持って、あるいは自然な現象として何かを俺たちから奪ってきた。いや、奪い続けるのだろう、これからも。
人間が迷宮に入り込む限り。
グールとなってすぐ、脳裏に響いた声を思い出す。
――奪え。
今、あの声は聞こえない。俺の行動が声の主の思惑に叶っているからだろう。
当初、宝箱に物を収めることがグールの目的だと俺は思っていた。だからそこから逃げたくて、探索者をなるべく手にかけないよう努め、最後には何もしないことにした。結局、ある探索者の執念で引っ張り出されることになったが、こうなるとまた話は変わってしまう。
迷宮に初めて入った頃の疑問が意識の底から蘇ってきた。
……迷宮って、一体何なんだ?
「ええ、ええ、私めにあなた様の深謀遠慮を推し量ろうなどと土台不可能な笑い話でございます。けれどもこの青猫、他に能がございません。これからもお顔を拝見する機会をいただけましたなら、物忘れのボケ老人のようにまた同じ話を繰り返してしまいますが、その際には何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げる次第でございます」
考え込んでいる間に、青猫の話が終わろうとしていた。
これ以上俺から得られるものはないと判断したのだろう。こいつが何者であるかもよくわからないが、迷宮側の存在であることだけは確かだ。気は許せない。
相談できる相手がほしかった。
ある程度でいい。信用できて、俺よりも頭が良く、何らかの答えを探せるやつが。
「あ、一つ、お伝えしなければならないことがございました」
ぴょんとベッドから飛び降り、てくてくと所作だけは可愛らしい猫の姿が、壁に現れた穴に入り込む直前、ちょいとこちらを振り返った。
「どうやら、ただいまこの迷宮に侵入者が紛れ込んでいるようです」
『……侵入、者?』
「ええ。見つけ出した暁には、ご一報ください。責任持って処分いたしますので」
淡々と事務的にそういうと、青猫はすぐに穴へと顔を突っ込み、止める間もなく姿を消した。
『何だそれ……』
あとには、何もわかっていない俺だけが残された。
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