第18話
一ヶ月が経過した。
俺が――
一度、記憶なんかが薄れてやしないか物心ついてからを一から振り返ってみた。時間が有り余っていたのだ。結果としては特別違和感などなく人生を振り返ることができた。とはいえ、そもそもどこまで憶えているかなんて普段意識していない。何かを忘れていたとしてもわからないかもだが、それでも親族や友人の顔を思い出すことができてホッとした。こんな身となっても。
身体がまったく別物であり、迷宮の一部屋に縛られている。この二つの問題が変化することなく一ヶ月俺を悩ませ続けているだけで。
一方で、俺を取り巻く状況はまるで予想しない方向で変化していた。
「動き早すぎ、狙い正確すぎ。何、積んでるエンジン違うの?」
「迷宮の中じゃあんまり疲れないって聞いてたんだけど嘘だよ絶対……
「これがグールって何らかの詐欺」
少女が三人、目の前に倒れ伏している。その姿は一様に傷ついているが、致命的な破損は人体にも装備にも見当たらない。
そのように俺が加減した。実力差があるとはいえ正直大変だった。
「いよーし、じゃあ次は俺たちの番だな」
「よろしくお願いします」
少女たちの背後で見守っていた少年たちが近寄ってくる。入れ違いに少女たちが壁際に向かう。
妙にスムーズな動きだった。
少女たちが加わってからこれが回数にして三回目、時間にして五日目とはとても思えない。
『……来すぎじゃないか、こいつら』
普通の探索者はそこまで頻繁に迷宮に潜らない。いや、毎日のように潜るものもいるし、許可を取って泊りがけで探索するものもいる。ただ前者は無理をしない範囲を見極めたベテランが多く、後者は調査目的か、でなければ迷宮狂いだ。
この、まだ十代であろう探索者たちからはどちらの雰囲気も感じられない。若く、未熟で、可能性だけが全身に満ちている。探索者なんて放課後のバイト感覚でもおかしくないのだ。
なんで中一日空けただけで俺のところに来ているんだ。
「あったん、ねーっ!」
「大振りにならないで。大丈夫、逃げ道は塞いでる」
少年たち――コージとキヨシは俺のところに来るようになってから何度目だろうか。一月の付き合いでしかないが、もう若干見飽き始めている。
けれどその動きは来るたびに変化していた。
体捌き、足運び、目配せ、立ち位置、間合いの潰し方、離し方、どれもが長足の進歩だ。
低層ならばもう十分に通用する。中層に向かうにはあと一歩何かがほしい。そんなレベルだ。戦闘に限るなら初心者マークはとうに取れている。
ただまぁ、まだ迷宮での戦い方を十分に理解しているとは言い難い。
身を屈める。重心を落とす。四足獣のように地面に近づく。
「は!?」
「なにを!」
彼らの武器はメイスと斧、それと一応盾か。リーチの短い武器だ。腰より下に攻撃するのは難しい。天井の低い場所が多い低層では長物は使いにくいが、グール相手ならともかくそれ以外だと途端に手こずるだろう。
慣れたやつなら即座に蹴ってくるが、そうしないのなら次の手も打てる。
大柄なキヨシの背後に回り込む。少なくとも背中を取られるほど遅くはないが、俺の動きを制するまではできていない。
だから、足下から跳ね上がってくる攻撃を盾で受けるしかない。
「ぐうっ!」
「キヨシ!」
一瞬、こらえられる。けれど無駄、どころか悪手だ。下からの攻撃を踏ん張ることはできない。
彼の失敗は避けずに盾で受けたこと、そして身体強化された自身の腕力が容易に自分の肉体を持ち上げられるということをちゃんと理解していなかったことだ。
盾に当てた攻撃の勢いを止めず、彼が力を抜く前に一気に持ち上げる。
「なあっ!?」
巨体が難なく宙に浮く。天井に叩きつけることもできたが、そこまではしない。
一瞬で十分だ。
回し蹴りを放つ。
空中で回避はできない。受けることはできても力を止められない。背後にはもう一人の探索者がいる。
「キヨ――ごえっ」
「がはっ」
狙い通り、蹴り飛ばしたキヨシの身体がコージに衝突する。小柄なコージがキヨシに押しつぶされ、身動きとれない。キヨシがすぐに体勢を戻せば別だが……その前に、俺は短剣を重なった彼らに突きつけた。
「……ああ、今回はこれで終わりかぁ」
「……気ぃ抜く前にどいてくれキヨシ」
戦意が薄れていくのを感じる。
俺は短剣を下げ、彼らから距離を取る。
「うーん、おつかれ」
「いい勝負だったんじゃない、かな?」
「それは無理がある」
一呼吸おいて、三人の少女たちが少年たちに近寄る。助け起こすなど手を出す様子がないのがまた彼らの関係の微妙さを示しているようだ。
「うるせえ、次は勝つ」
「ここまでこてんぱんにやられてよく言えるよね、コージ。……まぁ、今回も収穫はあった、はず」
「二人ともわりと元気だな……」
などと若干の青春的会話が繰り広げられそうな気配を感じたので、俺は手早く彼らを追い出すことにした。
『開け』
念話による命令を壁に――この部屋自体に向けて出す。
ヴゥン、という奇妙な振動とともに奥の壁に次の通路につながる扉が現れる。
同時に隠し扉も開き、俺は彼らの反応を待たずに部屋から去ろうとする。
背後から、
「じゃ、多分また明後日な、先生!」
と、キヨシの声がかかった。
『もう来ないでくれ』
そうこぼした俺の念話は当然、彼らに届くことはなかったのだろう。
心中でため息を落とし、隠し扉を通じて寝室に戻った。
「おや、おつかれさまです」
そこにも、招かれざる客が我が物顔でベッドに寝転がっていた。
真っ青な毛並みをした異様な猫が、あざ笑うような人間的な表情で俺を出迎えたのだった。
『勘弁してくれ……』
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