第14話

 迷宮は基本的に無数の部屋と、その間を繋ぐ無数の通路で構成されている。

 分かれ道はある。通ってきた道が消えてなくなるということもない。一本道ではないのだが、一本道のように勘違いしてしまう仕掛けがある。扉だ。

 通路には最低二つの扉がある。入ってきた扉と、次に繋がる扉だ。一つならばともかく、複数ある場合は選択が発生する。迷宮の外壁と同じく扉もまた破壊はほぼ不可能だ。一つの部屋の内部を仕切る壁はそうでもないが、部屋と通路の大枠を形作る壁は異様に硬い。干渉できない、といつか知人が言っていた。

 だから一度通路から部屋に侵入し、扉が閉ざされてしまえば、どれほどの多勢、とんでもない強敵が潜んでいようとも戦わざるをえない。ダンジョン発生当初、そんな「詰み」の状況は今以上に恐れられたものだが、あるとき扉を誰かが押さえておけば無理に閉じられることはないと知れ渡った。以降、ソロか自信過剰の前のめりパーティーでもない限り一人は後衛として扉に張り付くのが定石となった。

 退路は確保された。

 部屋に巣食う怪物を倒せば、次に繋がる扉も開く。

 あるいは、一定以上の時間経過でも。怪物が残っていようと関係なく。


「……つ、つええ」

「全然捕まらない……速すぎる」


 目の前には、肩で息をする二人の探索者。だいぶ切りつけてやったため、装備は傷つき、身体も末端部分がいくらか失われている。ただし、致命傷判断には遠い。まだ戦闘能力もほとんど失っていないだろう。

 とはいえ速度の違いは存分に見せつけた。彼らの攻撃は俺に全く届かず、一方的になぶられる戦いは体力的にはともかく精神的にくる。攻撃の手が止まるのも当然だろう。

 そろそろかな、と思った。そのときだった。

 ヴン、という奇妙な振動が部屋を揺らす。地面や壁が揺れたと言うよりも、部屋全体が揺れたような感覚だ。探索者のとき何度となく感じたものであり、青猫が現れる穴が生じるときのものと同じであった。


「あれって……」

「扉……時間経過か!」


 彼らの視線の先に目をやると、部屋の奥に扉が一つ出現していた。装飾も何も無い、ただ壁にひと一人が通れる程度の長方形の線が走っている。一番簡素なタイプだ。

 壁が横にスライドしていく。真っ黒な空間がその先に広がっている。目に入れただけで感じる忌避感。やはり、俺は通れない。わかっていたから落胆はない。

 身体を引く。短剣を鞘に納め、壁に寄る。彼らと扉の間を空ける。


「……ああ?」


 怪訝な声が上がるが、反応しない。腕を組み、壁に身を預ける。


「てめ――」

「待てってコージ!」


 揉み合う音。小柄な方は怒りの瞬発力がある。俺の意図に気づいたかはともかく、態度が癇に障ったのだろう。大柄な方がすぐに引き止める様子から付き合いの長さが見て取れる。


「わかったろ、俺たちじゃまだこいつには勝てない。何考えてるのか知らないけどやる気なくしたんなら幸運じゃねえか!」

「罠かもしんねえだろ! 扉を通ろうとした後ろからやる気かも!」

「意味ねえだろこのままでも勝てるのに。そうだったとしてもどっちにしろ同じだよ。このままじゃ二人とも死に戻りだ」

「ぐ……」

「次はないって言われたんだろ。今ならまだ修繕できるけど、全部ロストはきついよ」

「ううう……」


 何やらドラマが展開されている。

 彼らには彼らなりの背景がある。探索者でなくても人間なら当たり前のことだ。人間でなくとも、青猫のように意思があるのなら怪物にも背景があるのかもしれない。

 俺には関係ないだけだ。

 ポケットからスマホを取り出す。彼らに向かって放り投げる。ゆるい放物線を描いたそれを、小柄な探索者が受け取る。


「……俺の、スマホ?」

「言葉を理解してるのかよ……」


 再び腕を組み、壁に身を預ける。

 しまった。隠し扉のある方へ行けばよかった。姿を消していれば彼らももっと簡単に出ていっただろう。今さらそっち側に行くのも気まずいし……そういえば、と思い出す。

 青猫は言っていた。念話を感じ取る器官は意思あるものであれば誰にでもあると。

 やつのいうことを全部信じることは難しいが、仮に本当だとすれば人間にも可能ということだ。少なくとも俺の知るトップ探索者たちならきっかけさえあれば、もしや、という気持ちはある。

 試してみてもいいか。


『ごめん』


 申し訳ないと思う。思っている、今でも。

 この身体になって最初に出会った彼らに俺は刃を向けた。刃を向けられたからといって、返り討ちにした。強制帰還させたのだ。今までの常識が根底から覆されたとわかっていながら。

 本当に死ぬかもしれないと思い至っていながら、自身を優先した。


『返すよ、それ』


 謝ってすむ話ではない。謝ったところで問題が解決するわけではない。そもそも彼らは問題を認識もしていないだろう。

 だから自己満足だ、これは。最初から最後まで。


『俺が悪かった』


 しばらく沈黙が部屋を占めていた。

 声を発したのは、やはり小柄な探索者だった。


「……ざっけんなよ」


 ぽつりと彼はつぶやき、ついで顔を上げ、叫んだ。


「ふざけんなよ! こんな恵まれるような真似で、この俺が喜ぶとでも思ってんのか!?」

「落ち着いてコーちゃん、多分だけどそれ言いがかりだよ!」

「奪われたもんは奪い返す! ああそうだ、まずてめえをぶっ倒すのが先なんだよ! スマホも財布もその短剣もそっからだ!」


 敢然と言い放つその目に、ほんの少し気圧された。

 勢いよくスマホが投げ返される。受け取る。壊れてもいいのかというほどの力だった。


「覚えとけよ、この落とし前は必ずつけさせてやる。行くぞキヨシ!」

「君の謎理論ほんとよくわかんないけど出る気になったなら良かったよ……」


 そして、騒がしい二人組は足早に、ちゃんと俺を警戒しつつ扉をくぐっていった。

 すぐに扉は壁に同化する。つるりとした、継ぎ目など一切ないようなただの壁に戻る。

 ため息……はつけない。

 手の中のスマホをじっと見る。まず間違いなくこれがある限り、彼らはまた隠し部屋を発見してしまうだろう。それが煩わしいならこのスマホを宝箱に入れてしまうべきだ。


『……まぁ、いいか』


 ここは迷宮。呪文一つでこの部屋に行き着くわけではない。彼らが再びこの部屋を見つけるまで一週間か、一月か。もっとかもしれない。

 そのときになってから決めればいい。




      ◇




 二日後、聞き覚えのある大声が隠し部屋の外から響いてきた。


「スマホ返せーっ!」

『……なんで?』

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