第11話
灰色の部屋に似つかわしくない、それは立派なベッドだった。明らかに俺が使っていた布団より広く、厚い。セミダブルサイズだろうか。なんというか、豊かだ。余計な装飾などなく、すっきりした単色のデザインなのも好感が持てる。ここしばらく触れていなかった文化を感じた。
なので、早速寝そべることにした。プロテクターを外し、ベッドの上で横になる。全身がほどよく沈み込んでいく柔らかな感触に包まれる。
グールの身体での睡眠は不思議だ。もったいないというか、合理的というか、熟睡がない。いつも意識の一部だけは覚醒している感覚がある。用心深い野生動物のような習性が備わっている。閉じるまぶたもない。いや多分あるが、仮面に覆われ動かないそれに意味はない。視界も常に確保されているようなものだ。起きているほんの一部分に五感が譲渡され、大部分はそこから遠ざかり沈んでいく感覚。
眠っている大きな自分と、起きている小さな自分とがある。
起きている自分がぼんやりと周囲を見渡す。その部屋の大部分はこのベッドで占められているように思えた。以前の部屋とほとんど変わらないのだから当然だ。何も無いときでさえ動き回れる広さではなかったのだから。
部屋は四方を壁で覆われている。一見して、どこにも繋がっていない。部屋というより箱の中だ。これは青猫の提案を受け入れたもので、一面の壁をよく調べると扉がある。その先には小さな、物置のような空間があり、さらにその奥の壁を調べると元の部屋に繋がる扉がある。
要するに、元の部屋と直に繋がっているわけではなく、小さな空間を挟んでいる。
探索者が何もない部屋だと思い、休憩してから先に進むならよし。何かあると信じ、詳しく部屋を調べ、隠し扉を発見してしまうなら応対する。その場合、ベッドのある部屋にまで踏み入られたくはないため、小さな隠し部屋に隠れていたと偽装したわけだ。チャチな仕掛けだが、よっぽど精度の高い探査能力を有していない限り、この手の遊びはわりと効く。
ベッドに身体を預けている。この一週間を思い返す。もっとやれることがあったんじゃないか。もっと上手くやれたんじゃないか。振り返ったところでわかるはずもない。答えは出ない。自分がこうなってしまった経緯からわからないのだから、手応えが返ってこないのも当然だ。
思いつくだけのことはやった。
ここから先、よりこの状況をどうにかしよう、この身体になってしまったことを解決しようとするのは、手に余る。コントロールできなくなる。これ以上一歩踏み出せば、確実に流されることになるだろう。そして知らない場所に漂着する。それが、受け入れられる場所であればいい。そうでない可能性がどれほどあるかさえわからないのだ。
できない、と思った。
俺にはできない。
腐っても探索者であったという自負、青猫への不信、そもそも迷宮というものに対する自分でも解体できない複雑な感情……様々な理由を挙げられるが、結局単純な話だ。
俺に運命を切り開くことはできない。
望んだ未来をつかみ取るために、未踏の荒野へ走り出す衝動なんて、ついに自分の中に現れてくれなかった。
俺にあったのは、惰性と逃避。あとはわずかな意地くらいのものだった。そんなだから迷宮低層を延々と潜り続けていた。
そんなだから、こんな身体になってしまっても、どこかで諦めてしまっている。
こうして今、何もかも知らんとベッドに身を投げ出してしまっている。
つまり、不貞寝である。
取れる手立てがなくなったので、寝ることにしたのだ。結局それだけだ。そのためにちゃんと横になれるベッドが欲しかった。青猫はめちゃめちゃ渋い顔していたが押し切った。
『えええ……いや……もうこれとか予想だにしておりませんでしたが……またうかがいますので気が変わられましたらお気軽にお申し付けください』
青猫は呆然とした様子だったが、意外にも最後まで拒むことはなかった。尻尾で床を叩き、俺の注文通りの部屋を作ると、うなりながら去っていった。
さすがに少し申し訳なく思ったが、勘弁してほしい。
つかれた。
◇
……そこそこ、長い時間寝たはずだ。
数日は経過したか。もうスマホを見られないので感覚に頼るしかないが、二、三日は経ったはずだ。多分。
やはりこの身体は人間のものと違う。睡眠というよりも、待機するための低電力モードに切り替えたような感じだった。肉体的には元から疲労を感じ取れなかった分、効果があったのか実感しにくい。
ただ、精神的には少しマシになった。
ただ寝ているだけなのも暇になってきたのだ。相変わらずどうしようとも思えないが。
一方で、寝ていた間、隣の部屋に探索者が出入りする気配は感じ取っていた。五組だったか。隠し扉を見つけたものはおらず、みなただの何もない休憩部屋と思ったか、何事もなく去っていった。低層探索者ならそんなものだ。
今目覚めたのは、また隣に探索者が現れた気配を感じ取ったからだ。
少し、覚えのある気配だった。
誰だかはわからない。ただ、会ったことがあるはずだ。とはいえさほど馴染みのある気配ではないが……
「ここだーっ!」
壁を貫通して、なお届く大声だった。
やはり馴染みはないが、聞いたことがあるような気がする。
「どこだグール野郎! 出てこいよ!」
一息後、さらにどでかい声が響き渡った。
「俺の財布とスマホ返せーっ!」
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