第10話

 一週間が長いか短いか。人によるだろう。状況でもだいぶ変わってくる。楽しければ矢のように過ぎ去っていき、苦しければ泥のようにまとわりついてくる。焦っていれば、泥のようにまとわりついてくるくせに、気づいたら刻限はとうに過ぎている。最悪だ。

 焦っていたのだろう、俺は。この一週間。

 けれどこれ以上自分にできることはなかった。待つことしかできなかった。打てる手は他になく、か細い糸を暗闇に向けて垂らしていた。無理だろうとわかっていて、やらないわけにはいかなかった。

 アリバイ作りでしかない。


「ほう、ほう。十を超える迷子たちを帰したとは。あなた、相当な腕ですね。いえ、疑っていたわけではありませんが、しかし最初からそれだけ戦える方も珍しい。大抵は何度か再生を経験するものですが、一度もなし。拾った落とし物の数も十分。これは謝らなければ。以前にお話した程度ではとても報いきれません。これならばもっと質も量もこだわったものをご提供できるかと」


 また部屋の中央でなんらかの呪文を――おそらく調査系、この場所のログをある程度見られるとかだろうか――使い、青猫はべらべらとよく回る舌を披露している。

 時間だけはあったのだから、こいつについて考えることもあった。

 ほとんど考えても仕方のないことばかりだが、迷宮側の知的生命体であることは確かだ。そして、奇妙なことをいくつか言っていた。

 一つは、その身体はコピーしたものであるということだ。

 青猫の言葉を信じるならば、その身体は作り物であり、変更が効くもののようだ。つまり、たとえば青猫と敵対したとして、その身体を破壊できたとしてもさほど意味がない可能性がある。さらに、このグールの身体も再生するならいわんやこいつが。

 二つに、脳裏に響く声を主様と呼んだこと。

 迷宮の主……と、安直に考えて良いものかどうか。少なくともグールを支配するものではあるはずだ。似たような存在が複数いないとも限らないが、ひとまず一体しかいないと考えておこう。脳内に響き行動を強制する念話が呪文で可能かどうかは知らない。聞いたことがない。少なくとも公式には発見されていないだろう。くくりで言うなら精神系だろうか。だが、この身体が迷宮で作られたものである以上、元からそのような細工がされているとも考えられる。何もかもわからないので保留。

 三つに、前回去り際にこの後千の部屋を回るといったこと。

 あれから一週間経っている。単純計算で、一日一四〇件以上回ったということになる。……可能か? 微妙なラインだ。二十四時間動きっぱなしなら可能なのかもしれない。体力よりも、それを達成できる精神を恐れるべきか。ただ、千というのは単に誇張しただけかもしれない。あるいは青猫と同等の存在が複数いるとか。だとしたら逆に部屋の数だってもっと多い可能性がある。これも考えるだけ今は無駄か。

 総じて、奇妙な存在だ。

 案内役、小間使いだと言うが、胡散臭い押し売りがいいところ。まともに案内されたことはなく、態度こそへりくだっている部分はあるが尽くす様子はまるでない。これは、グールという存在全体に対してそうなのかもしれない。だからといって好感を覚えることは難しい。

 信用ならない。最初からその印象は変わらない。

 けれど、こいつだけが今の俺が交流できる相手だった。


「単純に部屋を拡張するだけでなく、少々つくりも変えてみましょうか。入口の通路を延長するとかどうでしょう? 実は壁で攻撃用の穴を開けておくとか、潜める空間を作って背後から襲いかかるとか、多くの塵拾いの方々からご好評いただいておりますよ」


 それはクソ部屋と名高い仕掛けだ。迷宮攻略初期、多くの探索者を死に戻らせた。現在では真っ先に警戒される仕掛けでもある。多くの探索者が扉を開けてすぐに入ってこないのはこのあたりを調べているからだ。

 青猫は胡散臭いセールスのように勧めてくるが、そのあたりの探索者側の事情を知っているのかどうか。少なくとも迷宮側、グール側から見て、現在ではそこまで有効ではないと知っていそうなものだが。

 ただ、強制帰還があるせいか、探索者界隈では「死んで覚えろ」なんて絶対外に持ち出してはいけない思想が暗黙の了解としてある。低層の攻略法……というには大げさだが「この程度に力ある遺物を得て、こういう立ち回りをすればまず問題ない」とされるラインはある。あるが、積極的に広まっていない。自力で低層を突破できないものは中層でやっていけない。少なくとも前線で攻略を進められないと考えられているからだ。

 なので、初心者や成長の遅いものはいまだに引っかかりがちな仕掛けともいえる。そういう意味ではグール側としてもとりあえずこの構造にしとくか、みたいな考えなのかもしれない。


『それはいらない』


 念話を飛ばす。まだ慣れず長文は厳しいが、受け答えくらいはどうにかなる。


「おや、それは残念。でしたら高低差をつけるのはいかがです? 長い得物や飛び道具があれば一方的に攻められますよ」

『それもいい』


 こいつがあのクソ部屋の数々を生み出したと思うと腹立ちというより、呆れてきた。ちょっとやそっとの高さなら超人系の呪文、もしくは身体強化できる遺物があれば容易に突破できる。

 弱いものいじめにしか役立たない。


『隣にもう一つ部屋を作れるか』

「ええ、造作もないことです。わかりましたよ、そこに大量の使い魔を潜ませておくのですね。あなた一人と思い迂闊に部屋に踏み込んだ瞬間、一気に囲んでしまうのでしょう。わかりましたわかりました。最高の隠し部屋をご用意いたします」

『ここと同じくらいの広さで』

「ううん? はあ、まあ可能ですが。いえこの一週間であなたが得た資源を費やせば厳選した強力な使い魔をご用意できますとも」


 青猫が器用に眉根を寄せた人間じみた表情を見せてくるが、もう決めたことだ。


『使い魔はいらない』

「なんと、しかしそれでは」

『ベッドを一つくれ』

「……は?」


 ついに青猫が口を閉じた。

 矢継ぎ早にまくしたてられるのにうんざりしていたため、少しだけ気分がいい。


『あとは何もいらない』


 俺は引きこもることにしたのだ。

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