第9話

 「俺は人間 春日井利助」。

 スマホに打ち込んだ文字列はこれでいいものか、今になっても悩んでしまう。

 当然だが、スマホのロック画面を解除することはできなかった。そんな都合の良い技術も知識も俺にはない。せいぜいが時計として、あとはライトが使えるかも程度の考えしかなかった。ただ、少しいじるとロックされたままでも検索するための入力欄を出すことはできたのだ。無論、ネットが繋がっていない以上、検索はできない。けれど文字を入力できる。ならば、声ならぬ声しか出ないこの身体でも探索者にメッセージを送れる。そう思った。試してみた。


『まさか探索者がこれほど好戦的とは……』


 予想はしていた。全くスマホに注目されることなく襲われることもありえるとは思っていた。しかし、外れてほしい予想であったことも確かだ。

 俺がグールの身体になってから三日経った。その間、五組の探索者たちがこの部屋に入ってきた。戦うことなく終わったのはその内、一組だけ。五分の一だ。交戦した四組を恨むべきか、慎重に行動してくれた一組をありがたがるべきか。どちらにせよ、スマホ自体に気づいていたろうが、画面の内容を重視するものはいなかった。

 スマホの充電も残りわずか。モバイルバッテリーはすでに使ってしまった。……というか、バッテリーの減り早くないか? 新しいのに買い替えとけよ。

 ため息をつきたい。できない。

 仮面は寝ている間も一切ずれることなく、俺の顔面を覆っている。少し前ふと疑問に思ったが、五感は問題なく機能していた。目も耳も鼻も口も、感覚器官のほとんどを塞がれているが、そこをしばらく意識しない程度に違和感なく視界は開け、音は聞こえ、匂いも感じられた。味はさすがにわからないが。仮面が五感の機能を代替しているのか、それともリンクしているのか。

 どうでもいい話だ。迷宮研究者、中でもグール専門のものならば垂涎のサンプルだろうが、俺は興味ない。いや、彼らの研究対象となることで迷宮から出られるのであれば興味あるが、無理だろう。ツテもなければ、叶ったとして自由になれるはずもない。飼い殺しが良いところだ。

 ……朗報が一つある。おそらく、最初の探索者は無事に帰還できたのだろうということだ。強制帰還を無事というのであればだが、まず間違いなく生命は無事だったはずだ。

 でなければ、以降俺が出会った探索者たちはもっと殺気立っていなければおかしい。無論多くは真剣ではあったが、そこまで切羽詰まった様子はなかった。俺の知る普通の探索者の雰囲気と変わることがない。それは根拠になりえるだろう。

 探索者たちが侵入してくる間隔はまちまちだった。まず数時間は空く。半日以上空いたこともある。夜だったからだろう。昼夜逆転している探索者なんて珍しくもないが、それでも多くは世間と時間を合わせようとする。迷宮内部の外界とは隔絶した環境はたやすく探索者の感覚を狂わせる。迷宮内に順応しようとすればするほど外との差は生まれていく。そこで、外こそが普通であり内部こそが異常だと思えないやつはますます外れてしまう。中層以上で安定して探索できるやつは、ほとんどがちゃんと昼夜を意識して迷宮を探索するものたちだ。

 低層の漁り屋ならば時間間隔を無視して潜り続けているものもいるにはいるが、総数はそこまで多くない。さらに、この迷宮が広すぎることもある。低層だけでも全貌を把握しきれていない。そもそも、把握できるような構造をしていないのだ。

 低層は、無数の部屋とその間をつなぐ短い通路で構成されている。

 通路は一本道のこともあれば、分岐することもある。けれど常にその奥には扉がある。扉の先は、どこかの部屋だ。扉は簡単に開くが、抑えてなければ自動的に閉じてしまう。一度閉じてしまえば一定以上の時間経過か、あるいは部屋の中にいる怪物をすべて倒さなければ開かない。また、怪物を倒せば部屋のどこかに扉が出現する。その先は次の通路に繋がっている。

 この繰り返しが低層だ。

 部屋の中には宝箱が隠されていることがあり、通路で怪物と出くわすこともあるが、どちらも低層では少ない。中層以上はまた少し……いや、だいぶ話が変わってくるが今は関係ない。

 この部屋に探索者が思ったよりも来ないということが、今の悩みだ。三日で五組。一日一、二組でしかない。スマホの充電はもうすぐ切れる。そうすると、俺には探索者にメッセージを送る手段がなくなる。都合よく筆記用具を持ち込んでくれる人でもいればいいが、調査目的でもなければ余計な荷物を持ち込むものはいない。最初の彼のようにスマホを落としてくれるやつでも……ああ、駄目だ。ナチュラルに思考が「奪う」発想になっている。

 あの声はまだ、たまに聞こえる。

 探索者の持ち物を宝箱に納め続けているからか、小さい声だ。だが、少しでも気を抜けば間違いなく全身に響く大音声となる予感がある。多分、外れていない。


『どうすればいい』


 この三日間で念話と呼ぶらしいこれはそこそこ上達した。まだ長い文章は難しいだろうが、短い一言ならばそう苦労なく連発できる、はずだ。次にあの青猫が来たならばもう少し詳しい話が聞けるだろう。

 この部屋を拡張し、他の怪物を従える。

 あの提案を、受け入れるべきか。

 ……おそらく、それが迷宮の、このグールの立場での王道なのだろう。事実、ここよりも遥かに広く、入り組んだ地形で、充実した装備の百近い数の怪物がひしめく部屋に当たったことがある。死ぬかと思った。死なないが。

 さすがに五年も経てば、低層でそういう通称モンスター部屋は見なくなった。協会主導で撲滅させたのだ。モンスター部屋は一度全滅させてもしばらく経てばまた目撃されたが、日を置かず全滅させ続けると明らかに規模を縮小させていった……と、低層モンスター部屋撲滅作戦に参加した知人が言っていた。そのようにして、現状ではこの迷宮の低層にモンスター部屋は存在しないという見解が主流になっている。

 だから、おそらくグールもやられたとしても復活する。そのために何らかのリソース……まぁ、宝箱に納めた落とし物の量が関係するのだろうそれを消費するとしても。有限だとしても、残機はあるということだ。

 けれど、嫌だ。

 死にたくない。復活するかもしれなくても、もう死を、あの断絶を味わいたくなかった。

 下手に変な呪文を宿していたせいで、探索者としての俺は強制帰還の経験がなかった。だからこんな軟弱な、自分勝手なことを考えてしまうのかもしれない。

 その選択は最低であると理解していた

 願うしかなかった。頭が悪くてこれ以上の手が思いつかない俺に、スマホをしっかり見て、このグールと交流してみようと考える奇特な探索者が現れてくれることを。




      ◇




 四日が経過した。

 十組の探索者を撃退した。

 二日でスマホの充電は尽きたため、内三組にしかメッセージを見せることができなかった。

 俺と会話を図ろうとする探索者は、その間、ついに現れなかった。

 そして、青猫が現れる。


「お久しぶりです。ええ、思ったよりも間を空けてしまいまして申し訳ございません。少々立て込んでいたもので」


 尋ねてくる。


「――さて、どうなさいますか?」

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