第7話
短剣の柄をしっかりと握りしめる。これを使う、受け入れると自身に言い聞かせる。すると数秒後、握りしめた柄から次第に伝わってくるものがあった。身体に染み入ってくる熱のような感覚と、皮膚の下へ潜り込んでくる寄生虫のような感触。それに耐えていると、じゅっと手のひらに何かが焼け付いたような痛みが走った。実際には外見上、どんな傷もついていない。
繋がった。
これで、この短剣型の遺物との経路が作られた。あとは使い込んでいくうちに馴染んでいくだろう。俺とこいつ、どちらも。
この工程を、探索者界隈では『使い手登録』と呼んでいる。これを済ませておくと、他者がこの短剣を使おうとしたときに多少抵抗される。本当に、多少。未使用のまま長時間経過したり、時間をかけて新しい使い手が上書きしたりすることで解除される程度の防犯性でしかない。
あくまで、遺物をちゃんと使うために必要なことなのだ。
遺物の中、人が使うことを前提に作られたものはその動力に人間を必要とする。生命力を吸われているみたいだ、と知人は言っていた。ゲームでたとえれば、HPを消費することで本当に装備できるものだと。そうしなければ、その性能を十分に発揮することはできない。
『こいつも、ただ切れ味のいい短剣でしかない』
取扱説明書はない。けれど、何ができるかぼんやりと理解できる。遺物の基本機能だ。機能が開放されると同時に、使い手はそれを知ることができる。
ひゅん、と短剣を振る。軽く、素早く、鋭く、空を裂く。
動いただけ、見ただけでわかる。身体能力が格段に違う。強化されている。
身体強化――武器タイプとしてはオーソドックスな効果だ。これに、やはり遺物としても基本的な性能である頑丈さと異様な切れ味が加われば無双の武器となるだろう。迷宮の外では。
遺物としては、まぁ普通だ。
新人が持つには分不相応な代物なのは確か。新人を脱する頃に入手していたなら上等で、中堅ならば基本装備になりえ、上位に挑むには不足している。そのとき新たな遺物を求めるか、手持ちの遺物を強化するかは悩みどころだそうだ。
俺は中堅の端っこにギリギリ引っかかる程度の探索者だったのでその手の悩みとは縁がない。武器もこれより性能の低い遺物を使っていた。上層へ挑んでいくような意識の高さは持っていなかったので必要なかったともいう。
だが、やはり身体強化はありがたい。グールの身体は違和感なく動くが、それは成人男性並みの身体能力でしかないということでもある。実際、個体差はあれど遺物を持たないグールはその程度だった。この身体になって最初に出会った探索者たちが新人二人とその引率らしき一人だったのは不幸中の幸いだろう。不幸がでかすぎて何の足しにもならないが。
他の装備はそこまで特別なものではない。迷宮から得た技術を流用したりしてなかったりの高性能な防具。これもやはり新人が最初から持つには不相応というだけであって、上には上がある。
今の俺にはありがたいが。
ひゅん、ひゅん、と短剣の振り心地を確かめつつ、同時に動作におかしなところがないかこの身体もチェックする。
意識しすぎず、気も緩めず。
そう思っていても、思考はつい先ほどに向かう。
あの奇妙な猫――青猫の話についてだ。
結局、俺は青猫の提案を断った。というか、保留にした。胡散臭かったから。
やけに回りくどい言い方ばかりであり、そもそも迷宮側の存在であるというのも加わって、時間をくれ、考えておく、とどうにかやつの言う念話で返答した。
反応はシンプルだった。
『左様ですか』
と、青猫は頷いた。
『では、あなたのお心がお決まりになる頃にまたお会いしましょう。何、そうお待たせすることはありません。別の部屋をほんの千ほど巡った後におうかがいいたします』
踵を返し、壁に空いた穴まで小走りに向かうと、その穴に頭を潜らせる寸前、くるっとこちらを向いて言った。
『あ、そうそう。一度閉ざされた扉が再び通じるには、この部屋だとおよそ一時間ほどかかるかと。それがいつ開くかは迷子の方々次第ではありますが』
そして今度こそ、青猫は去っていった。壁の穴もすぐに小さくなり、もとの灰色のつるりとした質感が一面に広がっていた。
……最後まで、信用ならない存在だった。
迷宮側の知的生物。いるだろうとは言われていたし、いなければこんなものが自然に発生したと考えねばならずそれはそれでおかしな話だが、まさか、あんなだとは。
外に知られたら大発見のはずだ。けれど一向にそんな風に思えない。
『今は、自分のことで手一杯だ』
一時間なんてとっくに経過している。いつ、また探索者が侵入してくるかわからない。
それまでに、できることはしておかなければ。この小さな部屋の中ではできることがほとんどなかったとしても。
……気配に気づいたのは、それから何時間後のことだったか。
グールの身体も睡眠は必要なのか、疲労を感じて床に横になっているといつしか眠りについていた。浅い眠りだった。生物の気配を感じただけで完全に覚醒した。
通路の向こう、闇の奥、扉が開かれ、誰かがこちらをうかがっているようだ。
探索者が、また来たのだ。
俺は短剣とスマホを手にし、ゆっくりと立ち上がった。
殺されたくはない。できる限り人を傷つけたくもない。どちらも叶えばいいと願いながら。
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