第4話

 一通り部屋を調べた。調べるほどのことはなかった。

 自宅のワンルームよりやや広い八畳程度の空間。寝るだけの部屋ならば十分だが、身動きするにはやや狭い。やはり先の戦闘は相手がほとんど素人であったことが幸いした。熟練の使い手ならばグール一体程度一挙手一投足で仕留められる距離だ。まぁ、探索者側から見てもこの狭さは色々とやりづらいのは確かか。

 迷宮の中に数多ある小部屋、その中でも最小の一つがここだろう。襲ってきた探索者たちが口にした「まっさらな部屋」はまさにだ。迷宮は常に構造を変化させる。その一環として、新たな部屋を作り続けているのではないかという説を聞いたことがある。この部屋がそれ、生み出されたばかりの部屋なのではないか。

 何もない小部屋にグール一匹。探索者視点で見ると当たりか外れか判断に迷うところだ。グール一匹は簡単だから当たりだが、それに加えて部屋の狭さも見ると戦利品が期待できない。無料動画の間に挟まれた煩わしいCMのようなものだ。可能な限り早く飛ばしたい。無い方がいい。見終わる頃には忘れている。

 忘れないこともある。興味のある事柄だったとき――幸運にも宝箱が隠れていたとき。あるいは、とんでもなく不快な広告だったとき――雑魚と侮っていた相手に敗れたとき。

 今頃、帰還した探索者たちはこの俺のことを報告しているだろうか。妙なグールがいた。生まれたてのようだったが新人が一人やられた。脅威になる可能性がある。討伐隊を編成してほしい――よしわかった、今すぐ駆除しようじゃないか。


『バカバカしい』


 疲れている。

 ありえるはずがないのだ、そんなこと。ギルド――誰ともなくそう呼び始めてしまい、ついにはその呼び名が定着してしまった探索者協会はそんな組織ではない。あそこは、高位の探索者を繋ぎ止め、最大限の利益を迷宮から引き出すよう働きかける場所だ。迷宮の調査や解決は片手間の事業であり、ましてや妙なグール一匹、強制帰還を食らった新人探索者一人にかかずらうことなどありえない。

 未帰還であれば話は別かもしれない。

 ……俺のもとの身体がどうなっているか、わからない。死体となり迷宮の外に排出されたか、その場に残っているか、あるいは迷宮に呑まれたか。

 前者であれば、迷宮探索史上初の死者として取り上げられるだろう。それ以外であれば、未帰還者として捜索される可能性がないではない。

 ただし、俺は前科がある。

 致命傷を負っても強制帰還されず時間を賭けて回復するという謎の呪文の効果によって、一月以上迷宮から帰らなかった経験がある。しかも、三度。三度目はさすがに捜索に関わった偉い人から「次はない」と宣告された覚えがある。

 俺の未帰還が問題になるのは大分先のことになるだろう。だから何だという話ではある。一体誰が行方不明になった男と迷宮の怪物を繋げるというのか。

 自分でどうにかするしかない。

 だが、あまりにもできることが見えない。

 予想していたが、この部屋から出ることはできなかった。通路の奥、闇に向かってみたものの、その手前でものすごい忌避感が湧き出し足を踏み入れることさえ叶わない。徹底してこの身体はこの部屋に縛り付けられている。いくらなんでも八畳程度の部屋で、ほとんど物資もなくできることなどあるはずがない。

 この部屋の外の様子が知りたい。

 それが叶わないならば物資と、手下がほしい。その場合手狭になるからもっと広い部屋にしてほしいが。

 今のままではちょっと強い探索者が侵入してきたら即やられてしまう。先ほどは危なかった。引率と思しき探索者が退路の確保をやめ、部屋に踏み入ってきたら太刀打ちできなかったはずだ。最後の一撃を防げたのはあくまで偶然と、通路の闇を隔てて威力が減衰していたからに過ぎない。

 死にたくない。

 強く思う。死にたくないのだ、俺は。

 異形の剣を思い出す。あれが俺を振るわれたその瞬間を。強烈な忌避感を覚えた。通路の闇などこれに比べればよほどマシだ。死は恐ろしいものだった。当たり前のことに今さら気づく。擬似的な死を繰り返す探索者業界の中で、それさえ経験することのできなかった俺が今さらながらに死を恐れる気持ちを取り戻していた。

 この身体が回復するかどうかはわからない。迷宮の怪物に対する研究報告によれば、例外なく、多少の傷ならば時間とともに回復していくことは無論、知っている。だがその例外を俺は体験したのだ。ならば、あらゆる死に抗わねばならない。

 それはつまり自身の死を遠ざけるために、人間である探索者に擬似的な死を押し付けるということになる。


『……そうするしかないんだろう』


 つい先ほど短剣で首を刈った感触を思い返す。嫌な心地だった。最悪だ。本当には死んでいないとわかっていても嫌なことに変わりはない。

 それでも、やる。やると決めた。

 ……名実ともに迷宮の怪物への一歩だ、と頭の中、冷めた一部が自嘲する。それでも。

 その瞬間だった。

 ヴゥン、という奇妙な振動音が狭い部屋に響いた。見ると、横の壁に直前までなかったものが現れていた。穴だ。通路の闇のように向こうが見通せない。ただし、小さい。床から高さも幅も二〇センチ程度の四角い穴が壁に空いている。するり、とその穴から現れたものがいた。

 それは青かった。青い猫だった。

 真っ青な体毛を持った、すらりとした体躯の猫が壁の穴から部屋に入ってきた。


『……は?』


 するとそいつはさっと俺の方を向いて、


「おや、すでに念話が使える。しかも初戦の相手からしっかり装備を奪っているご様子。実に優秀な個体ですねえ、感心感心」


 流暢な日本語で、こう言った。


「それじゃあ早速ですが、右も左もわからない新たな仲間に初回講習と参りましょう。何、そうお時間は取らせませんよ」

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