第3話

 そもそも倒した探索者の装備を漁っていたのは逃避だった。逃げるのは得意だ。迷うのも。その二つが迷宮で合わさると悲惨なことになるぞと忠告された覚えがある。なってしまった。

 なんでこんなことになったんだ?

 ようやく落ち着いて、その場に座り込んで自問した。

 わからない。

 当然、わかるはずもない。人間がグールになるだなんてことは聞いたこともない。いや、無責任なネットの噂ではそういう与太話もあるにはあった。迷宮の怪物は過去の生物を再利用して生み出されている、などという根拠も何もない、ただそれらと戦っている探索者を貶めたいだけの憶測は山のように転がっている。その程度のものしか見当たらないともいう。わからないからだ。各国は当然、迷宮の怪物、ひいては迷宮そのものを解明しようとしている。表に出ていない調査結果もたくさんあるだろう。だからといって探索者がグールになる? 与太話だ。

 その与太話が現実になってしまっているから、真面目に考えなくてはいけなくなっている。迷宮の中では何だって起きる。いくらなんでも度が過ぎているにしても。今はこの言葉を再び思い起こさなくては。

 一体全体、何が起きた?

 ……整理しよう。まずは今、このときこの場にあるものを。

 俺の意識、グールの身体、灰色の部屋、そして探索者の残した装備一式だ。このうち、俺が明確にわかっていないといけないものがある。

 俺は何者だ?

 この自問にはいくらかの躊躇を覚えたが、答えはすんなりと出た。


春日井利助かすがいりすけ


 高校二年。探索者。両親と年の離れた姉が一人。一応、高校には通っているがそれ以外の時間のほとんどを迷宮探索に当ててきた。あまり稼げてはいない。継続的にパーティーを組む仲間もいない。ソロの、木っ端探索者が俺だ。

 思い出せた。さすがにホッとする。そこまで意識していなかったが、アイデンティティは大事だったらしい。

 自身が何者であるかはいい。

 なら、次に考えなければいけないのは自身がこのグールの身体で目覚める前に一体何をしていた、ということだけだ。

 異形の剣。真っ先にそれが思い浮かぶ。

 剣身は黒く、諸刃であるが刃こぼれしているのか、刃はギザギザとチェンソーのようにも見えた。全長は二メートル近く、中心近くに刃のない部位があり、そこが柄と気づいたときようやくそれが武器であると知れた。

 遺物ならいくつかは見たことがある。現在確認されている限りでは最上位の性能を持つ剣タイプの遺物に触れたこともある。それとは全く別種の、異様な雰囲気を身にまとった武器だった。

 単純に、見た瞬間俺は怖気づいた。逃げ出したかった。

 おそらくは俺の身体に致命傷を負わせたもの。振りかぶられ、迫りくるそれの記憶が鮮明すぎて前後がかすむほどだ。

 それでも、覚えている。

 誰かがいた。

 その剣を手にした誰か――仮面で顔を隠していた。グールのそれのようなただ顔全体を覆うものじゃない。今思えば、あれはゴーグルだった。よく見えてはないが口元は露出していたと思う。顔の上半分に装着する、おそらくは遺物。

 身体つきから多分男か。体格のいい女である可能性もなくはないが、性別は重要じゃない。

 要は、人間であったはずだということだ。グールのように迷宮の怪物ではなく。

 そいつが、俺を殺した。

 何故か、と考えるがこれは簡単だろう。横取りだ。異形の剣を発見したのは俺だった。わりと広い部屋で、剣の周囲にもいくつか遺物があった気がする。ひとまず剣から離れた俺は周囲を探索していたはず。その間に他の探索者が入ってきて状況を確認し、魔が差し、グサリ。なんておとなしい擬音だったかどうか。

 けれど問題がある。

 どうやって俺を殺したのか。

 異形の剣を用いたのは疑いようがない。あるいはそれが作用したのかもしれない。強制帰還が発動せず、今グールになっているのも原因はそこにある可能性は高い。

 ただ、もう一つ考慮せねばならない要素がある。

 呪文だ。

 遺物と同じく、迷宮で発見されたもの。遺物とは違い、形のないもの。遺物は形を持ち、現代技術では再現不可能な能力を発揮するものだが、呪文は違う。現代技術では再現不可能な能力を発揮するところまでは合っているが、向かう先が別だ。

 呪文は人間に宿る。

 迷宮の中でふとした拍子に探索者はそれを見出し、習得する。人知を超えた力がその身に宿る。

 虚空に火を出現させ自在に操るものであったり、馬鹿げた怪力を発揮させるものであったりと多種多様の呪文がある。

 その一つを、俺は宿していた。

 習得したとは口が裂けてもいえない。使いこなせていなかったからだ。まず俺は自身に宿った呪文がどんなものかさえよくわかっていなかった。

 それでもわかっている効果があった。

 迷宮内部で傷を追えば自動で回復する。これは全ての探索者も同じだったが、多少速度が違った。地味だし、これだけなら超人系の呪文に普通備わっている効果だった。

 俺に宿った呪文がユニークであったのは、それがどんな傷であろうとも回復するという点にあった。つまり、普通ならば致命傷と判断される傷であっても回復させる。死に至らない。擬似的な死にすら。強制帰還が発動しないのだ。

 俺は強制帰還を経験したことがない。致命傷を受けたことがないからではなく、単純に、致命傷さえ治ってしまうからだった。

 他には特に腕力が上がるでも身体が頑丈になるでもないので、迷宮探索に有用だったことはさほどない。むしろ、強制帰還が発動せずゆっくり回復する身体を引きずって自力で帰還するのが大変だった記憶なら何度もある。そういう場合、大抵装備も破損しており、特に収穫もなければ変わらず赤字なのだ。

 【超回復】とか、そんな呪文なのだろうと勝手に思っていた。

 そんな呪文が、今回ばかりは発動しなかったのか?

 ……わからない。

 ここでいくら考えても答えの出ない問いだ。異形の剣が呪文無効化の能力を持っていたとか、想像ならいくらでもできる。だがそれではグールになったことを説明できない。

 何かが起きた。その結果、俺はグールになってここにいる。それだけが確かだった。

 今はここまでだった。

 だから、次はこれからのことを考えねばならない。


『……考えたくねえなあ』

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