箱庭の幻想譚

兵藤晴佳

第1話

世の中は箱に入れたり傀儡師 


芥川龍之介の句で、「傀儡師」とは正月の季語である。

風物詩に数えられているのは、こうした人たちが日本の新年には道端で芸を見せていたからだった。

その年の正月も、ある街の道ばたで、ひとりの貧しい若者が往来の喧騒をぼんやりと眺めていた。

よく晴れた日だったので雨やみを待つ必要もない。

だが、主人に暇を出されてしまっては、どっちみち行くところなどありはしなかった。

金銭というものはあるところにはあり、ないところにはない。

もちろん、若者はないほうに入る。

昨夜でも昨日でもあり昨年でもある大晦日を最後に行くところを失って、頼みは懐の僅かな金ばかりだった。

見つめる先にいるのは、手品師である。

よそ行きの服を着た子どもたちを前に、トランプをめくっては裏返し、ビー玉を出しては指の間に消したりする。

そこで、もう一度やってみせてくれとせがまれると、自分でやってみなと怪しげな小道具を売りつけるのだった。

その中に、手品師は一つの箱を持っていた。

箱の中には長さ1尺ばかりの人形が入っている。

子どもが小銭を放ってやると、箱を開けて出してる。

人形かと思えば若い娘の形をした小さな人で、歌を上手に歌って箱の中に戻るのであった。

可憐な声と姿に、若者はつい見とれた。

こればかりは、子どもの小遣いが続く限りやってみせられたが、その懐具合には限りがある。

ひとり、またひとりと他の見世物や屋台に気を取られて去っていく。

今度は、若者が小銭を出して頼んだが、手品師はすげなく答えた。

「自分でやってみな」

普通なら断るところであるが、若者は、まるで子供に戻ったかのように、欲しいものを手に入れないではいられなかった。

ありったけの金を差し出すと、人形は若者を見つめて言った。

「見世物の身から救い出してくださってありがとうございます。食べるに困らないだけなら、恩を返しましょう」


気が付くと、若者は遠い昔の遠い国で、やはり夕暮れの道ばたにぼんやりと立ち尽くしていた。

まるで、杜子春のように。

人形の声で我に返った。

「あれをご覧なさい」


道ばたで、芝居をやっていた。

男がひとり、格子になった木の箱を持ってムシロの上に坐っている。

格子の穴は12あって、それぞれに蛙がひそんでいる。

出した首を細い枝で打つと、ころころと高い声で鳴くのだった。

見物人から歓声が上がると、人形は言った。

「あそこへ連れて行きなさい」

そのとおりにすると、箱から起き出して格子の中へと飛び込む。

再び、歓声が上がった。 

やはり、銭を投げるものがある。

そのたびに人形娘は、蛙の頭をしきりに打った。

するとドラを打つような音がして、しかも、調子も曲もちゃんと合っているのだった。

それに合わせて娘が歌うと、拍手喝采が沸き起こった。

どこからか、若者を冷やかす声まで聞こえる。

「恥ずかしくないのか、若い娘にばかり芸をさせて」

うろたえている間もなく、娘が若者を差し招いた。

「あなたもいらっしゃい」


たちまちのうちに、若者は小さな箱の前に座っていた。

そこには小さな蓋があって、開けてみると、ネズミが10匹ばかり出てくる。

口にくわえたり、尾にからめたりして引っ張ってくるのは、太鼓や板の類だった。

試しに叩いてみると、拍子に合わせてキイキイと歌いはじめる。

しかも、それぞれ箱の中に出たり入ったりしては、面をかぶり、また小さな衣装を着て、箱に登って古い小芝居を演じるのだった。

その役柄も所作も喜怒哀楽も、劇の筋そのままなのである。

再び、どっと喝采が沸き起こって我に返ると、若者はさっきの観客の前に立ち尽くしているのであった。

そこへやってきたのは、身なりのいい男だった。

重々しい口調で告げる。

「王様のお呼びである」

慌てて娘の方を見やると、そこには手品師から買った箱が転がっているばかりだった。


王様の前に出されるには出されたが、そこは裁きのお白州だった。

玉砂利の上に膝を突かされて、直々のお取り調べを受ける羽目になる。

次から次へと呼び出される証人は、あの観客たちだった。

そこで述べ立てるのは、出来事を拙い言葉で切り取った、事実の断片だった。

「籠の中でネズミを操って、芝居をさせておりました」

「蛙を操って歌わせておりました」

「何もかも、その箱の中の娘あってのことでございます」

王様は告げた。

「怪しげな魔術師め。その箱を開けよ」

言われるままに箱を開けると、中には人形がある。

王様は、さらに命じる。

「その人形に操られておるに相違ない。何もできぬよう、自ら手足をむしるがよい」


若者が困り果てていると、王さまの叱責が飛んだ。

「できぬのなら、己の潔白を明かすがよい!」

すると、人形は自ら箱から飛び出してきた。

唖然とする王様の前で、娘は粛々と出自を語る。

「私は女だてらに学問を志し、塾にも通っておりましたが、帰る途中で手品師の術で己を失ってかどわかされたのでございます。さらに、手品師に飲まされた薬で、身体もこんなに縮まってしまいました。手品師は、そんな私を持ち歩いては、見世物にしていたのでございます」

そこまで聞いた王様は、優しく答えた。

「その、けしからぬ手品師が捕まれば、おぬしもきっと元に戻ろう」

加えて、お白州に響き渡る高らかな声で言い渡したのである。

「それまでは、この者の命、預け置く。この娘を宜しく養うがよい!」

ところが、手品師も見つからなければ、娘を元に戻す方法も分かりはしない。

私は、この可憐な人形娘といつまでも暮らすことになったのである。


だが、傀儡師は、動かなくなった人形を箱に入れた。

「売りものじゃないんでね」

その、夕まぐれの中に消えていく後ろ姿を私はいつまでも見つめていた。

あの、芥川龍之介の句を思い出しながら……。


世の中は箱に入れたり傀儡師 

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箱庭の幻想譚 兵藤晴佳 @hyoudo

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