2章3話 調査指令:人質救出依頼における虚偽報告

◆◇◇Ⅲ◇◇◆


 モロッグが会計課を出て、総務課に戻る前に中庭へ寄り道しようとのんびり歩き出した頃。

 冷徹なる金庫の番人、ジョルジュ=カタラクトは椅子に腰掛けて思惟していた。


 ギルドマスター室の奥には、ギルドマスター私室と呼ばれる部屋がある。

 身分上、帰宅することも出来ない状況に陥ることもあるギルドマスターや支部長のための部屋だ。

 そのベッドにいま横たわっているのは、腕を失くした女性兵士。

 先日の案件で埋葬機関が保護してきた生き残り。それが彼女だ。

 

 背筋を伸ばし、彫像のように微動だにせず、ジョルジュは思惟していた。


 思惟する内容は眼の前の女性兵士の処遇についてだ。

 保護し、登用したとしての仮初の地位、偽装にかかる費用、根回しに使う費用、根回しの根回しに使う費用、そしてそれらの根回しを全てなかったことにする暗躍のための費用。

 どう考えても報告書にあった軍の連中に押し付けるべき案件だと心から思う。

 そもそも彼女らからギルドに与えられた被害は軽微なものではない。

 銀級・赤銅級の喪失は高難度依頼の滞りに直結する事態だ。稼働率の高い鋼鉄級の喪失はギルド収入の柱を削ることに他ならない。

 冒険者は命を賭ける仕事であり、危険な依頼では落命することすらありうる。だとしても、そんなインシデントは無いに越したことはない。

 そのインシデントの元凶が、ベッドに横たえられている。

 不合理だ、とジョルジュは断じる。


 しかし、こういう事態が起きた時のリフクネンや埋葬騎士たちの不合理な行動は馬鹿に出来ない。最前線で動く彼らの勘働きは理詰めでは得られない結果を引き寄せることがある。

 では、その勘働きが引き寄せるのは、一体どんな結果なのか。


 ジョルジュは優秀な文官だ。

 考えても仕方ないことについて考えるよりも、後で考えるべきことを先回りして考えておくほうがまだ有効だと知っている。


 彼は彼の知りうる情報からでは予想ができないことを考えるのをやめ、再び予算繰りについて思惟し始める。


 くるりと振り返って、オブジェに偽装したゴーレムを見る。

 まるで親切で寝かせているように見えて、実際のところ彼女はそこらの牢獄よりも堅牢な檻の中に閉じ込められているようなものだ。

 この特注のゴーレムもそうであり、部屋の意匠に見せかけて仕込まれた各種の防衛装置がその安全性を担保している。

 

 これらの防衛装置は彼女が暴れ出した際には直ちに鎮圧へと移行する。しかし、この檻のような状況は、彼女自身の保護のためでもある。

 もし彼女を始末するための刺客が来たとしても、間もなくこれらによって撃退されるか、埋葬騎士たちによって捕縛されるだろう。


 そういう荒事に対応できるように彼らの昼行灯を見逃しているのだから。そのくらいは働いてもらわなければ困るというものだ。


 小さなうめき声と同時に、果たして彼女は目覚めた。

 彼女は頭を起こし、利き手であったのだろう失くした腕で身体を支えようとする。

 当然、支えがないためにバランスを崩し、ベッドのから転げ落ちそうになった。

 瞬間、ひらりと跳びあがった。

 彼女は病人服の裾が大きくめくれあがるほどにはためかせ、しなやかに音もなく見事に着地した。


 イレーネ=マーズデン。


 北方軍団の精鋭である尖兵隊所属の経歴と、平民ながらこの若さで正騎士として叙任を受けていることが彼女の実力の証左だ。

 そしてわからないのは、その優秀な人材がなぜ使い捨ての木偶人形のように、報告書にあったような「命を奪う武器」を握らされていたのか、その背景だ。


 もしも甘言に踊らされ、罠に嵌められてこのような身の上になったのなら、まだ事態は明るいと言っていいだろう。彼女はともに復讐を果たさんと協力してくれるかもしれない。

 それならば話は早い。目的は達せられる。

 もしくは騙された、捨て駒にされた、もはやこれまでだと自分の身の上に悲観して命を絶つかもしれない。

 だとしても合理性は取り戻される。問題はない。

 さらにもしくは、任務に失敗した自分が囚われていることから曲解し、秘密を守るために命を絶つかもしれない。

 それでもまた合理性は取り戻される。歓迎すらする事態だ。

 最も危険なのは、調査書にあるような屈強な精神を持った人間が『計画が引き起こす事態や手を染めるだろう悪事も含め、すべて承知の上で命を捨てて目的にむけて邁進した』結果として、こうなっていた場合だ。

 その場合、彼女は元の目的を果たさんとすべく、敵対行動に出る確率が高い。


 嫌な予感ほど、当たるものだ。


 ジョルジュは自身の悲観主義に思いを馳せた。そして、困惑した表情で周囲を見回している彼女と目を合わせる。


 彼女は、たかが文官では太刀打ちしようがない手負いの猛獣だ。

 暴れれば、こちらの命が危うい。この部屋からは逃げられないとしても、同じ部屋にいる自分は安全ではない。

 むしろ殺されるか、人質になる可能性が高い。そして、人質になって多少命長らえたとて、人質になったら切り捨てろと吐き捨てた自分の言葉どおりに、埋葬機関は自分ごと彼女を殺すだろう。


 恐怖はある。心臓は痛いほどに鼓動しているのにもかかわらず、体は冷え切って、背中には脂汗が滲んでいる。

 しかし、ジョルジュは交渉というものは同じテーブルについた者同士がするものだと信じている。

 命のやり取りを日常にする連中に気圧されないためには、一介の文官だからこそ寸鉄帯びずに身を晒し、同じテーブルについてみせる気迫が重要だ。

 自分の武器はこの気迫と、頭脳だけなのだから。


 じっとりと背中に汗を滲ませながら、毅然とした態度で彼は口を開いた。


「目が覚めましたか、イレーネ=マーズデン殿。私は冒険者ギルド会計課課長、ジョルジュ=カタラクトと申します。目覚めたばかりで恐縮ですが。お伝えしたいことと、お話したいことがあります」


 彼女は冷静な兵士として、すぐさまに自身が寸鉄帯びない無手だと現状把握し、腰だめに一歩下がってベッドに背後を預け、こちらを伺っている。


「まず、貴方が参加した軍の計画に、我々冒険者ギルドが介入しました。その結果、貴方は我々と交戦の上で敗れて捕縛されました。しかし、現在は保護に切り替わっています」


 端的な事実をまず、置く。


「我々が貴方をここに保護している理由は二つ。一つ、貴方の戦力を見込んで我々の側についてもらいたいため。二つ、暗黒剣の製造を含む軍の計画に対抗するべく冒険者ギルドに協力していただきたいため」


 彼女は自身の右腕を撫でる動作をして、まっすぐとこちらを見ている。

 彼女の目には疑念と、困惑が入り混じっている。


「少なくとも、私は貴方に対し、対等でなくこの2つの提案を突きつけています。この部屋の防衛装置は、貴方が暴れれば貴方を直ちに鎮圧するでしょう。」


 ジョルジュは単刀直入に嘘偽り無く事実を叩きつける。


「私の知りうる情報では、貴方はあの剣を握った時点で命を落とし生還するはずがなかった。しかし貴方は生きている。貴方はあちらの計画の上でのエラーだ」


 ジョルジュの手に悪癖が出る。指をバキバキと鳴らしながら、瞑目して続ける。


「エラーが戻ってきたところで計画に乱れが生じるのみ。貴方が戻るべき場所はもうないと私は考えます。故に、提案を受け入れることを勧めます」


 彼女は左手で右手の傷口をなでながら立ち上がった。

 そして、否をはっきりと述べた。


「死を覚悟して志願し、おめおめ生き残って囚われた上に、間者のように働けというのか。断る。生き恥そのものだ」

「そうですか」


 彼女はひらりと跳んで窓辺に置いてある小机にあったペンを取り、逆手に構える。


「おそらく、貴方はそのペン一本で私を殺せるでしょうな。その気になれば徒手でも可能だ」


 当然のことというようにジョルジュは述べた。


「しかし、私を殺せば貴方はここから出ることもできずに、この部屋に配置されたゴーレムに嬲り殺しにされるか、貴方を下した我々の部隊に鎮圧されて殺されるでしょう。だが私は助からないでしょうな。私を人質にしたとて、私ごと叩き斬られるのが関の山です」


 ジョルジュは懐を探って、細巻きの煙草を取り出してみせる。


「吸っても?」

「冒険者ギルドがなぜ軍に対抗する。何をするつもりだ貴様らは?」

「吸っても構いませんか?」

「答えろ」

「返事がないので勝手に一服させていただきます。今のうちに一服しておきたいのですよ。私のような文官では一捻りでしょうからね」


 銀細工の火付けを繰って、煙草に火を付けたジョルジュはすぅ、と一服を大きく吸い込んでから、ゆっくりと吐き出した。


「はっきり申し上げて、私はこの交渉には反対です。貴方を軍に突き返し然るべき処理をさせるべきだと思っています」

「なんだと──」

「しかし、私の上司はそれをしないつもりのようだ。しかし、貴方の能力だけを見て重要だと判断したわけでもない。なぜなら本来の貴方はどこにでもいるただの優秀な兵士にすぎないからだ」

「それで交渉しているつもりか。何が言いたい」

「貴方はエラーです。計画のイレギュラーだ。しかしだからこそ、唯一の価値がある。その価値を見いだすことができるのは我々であろうということです。貴方が初志貫徹するつもりならば我々に協力すべきです」

「私がこの計画にどんな思いで参加したか、そんなものわかりもせずにエラー呼ばわりして、あまつさえ協力しろと、貴様は──貴様は、人間を舐めているのか」


 猛獣のように八重歯を剥き出して怒りをあらわにする彼女に対して、ジョルジュは冷静そのものの表情のままで返事をする。


「そのようなことは私は知りません。理解も想像もできない」

「なっ──」 

「それで、貴方が命を捧げた目的は、貴方の感情如きで進展を邪魔されていいようなものなのですか。貴方の命は、その程度のクズのような価値しかないものだったということですか。目的を忘れて計画に固執するのならば、この話を断りなさい」


 彼女、イレーネの手の中でペンがばきりと音を立てて砕かれた。

 怒りに任せて砕いたのではなく、ペン先よりも鋭利な切っ先を得るためなのは、指先で砕いた柄の尖端を確認している所作からわかる。

 

 イレーネは視線を窓から外に向け、素早く逃走経路を探るために走らせた。

 そこで中庭からこちらを真っ直ぐ見据えている視線に気づく。

 視線を向けているのは四十前かそこらのくたびれた風体の男だが、その爛々とした瞳でわかる。

 あれは、敵意だ。こちらの動き次第では討つという目だ。


 窓の外を見て動きを止めたイレーネが砕いたペンを握り込んだ。

 ここだ、とジョルジュの勘が告げている。


「この計画は零れ落ちていく同胞の命に報いるための計画と聞いています。方法はともかく崇高な意志がそこにはある。国家安寧という使命を果たさんとする意志だ。私もまた、使命のためにあなたの前にいます。命を賭けて」


 ジョルジュの言葉から滲み出る気迫を認めたのか、逃走を諦めたのか、イレーネは続きを促すように視線を向ける。


「だからこそ私は言える。あなたは生き恥を晒そうとも、使命を果たすべきです」


 イレーネの瞳を見据えるジョルジュは、計算尺で机を打ち付けるように言い放つ。


「もう一度問いたい。貴方が命を捧げた目的は貴方の感情如きで進展を邪魔されてよいものか。お答えいただけますか」

「──……否定する」


 イレーネは苦々しく呟き、ペンを下ろして近場の机に置いた。そしてベッドに腰掛け。瞑目する。

 対してジョルジュは、火が既に消えた煙草を灰皿に置こうとし、握り込んで潰していたことに気づいてそれを手から払い落とした。


「ご理解いただけたようで何よりです」

「ハァ……どうしてそこまで命を晒して交渉などをするのですか。あなたの言う交渉がどうあれ、貴方が命を晒す必要はないでしょう。貴方の言う通り、徒手でも殺せるのですよ。言葉通りに」

「礼儀です。それに、気迫のない者の言葉など何者にも届くわけがありません」


 それに同意するように、イレーネは頷いた。


「それでは、まずこちらの衣服をどうぞ」


 そう言って、ジョルジュは傍らに置いていた鞄をテーブルに置き、開いて中身を見せる。女性ものの下着や衣服だ。


「病人服一枚では交渉と言われても気が入らないでしょう。私も気が散ります」


 そこでイレーネは自分の格好に気づく。

 下着もつけていない薄手の病人服だけでは心もとないどころか、はしたないというものだ。顔を真っ赤にする彼女に、鉄面皮のジョルジュが微笑む。


「それでは、私はしばし部屋の外に出ています。着替えが済みましたらドアをノックしてください」

「───ッ! ──わかった。」


 コンコンと控えめなノックを聞き、私室につながるギルドマスター室内のドア前で彫像のように突っ立ったまま思惟していた会計課課長ジョルジュ=カタラクトはドアを開いた。


「失敬。衣服をありがとう──ございます」

「お気になさらず。私の娘のものですが」

「え?」

「娘のものです。──少し小さいようですね。新しいものを用意します」

「いえ、それはその気にしてはいませんが」


 スタスタと彼女の横を通り過ぎたジョルジュは、さっさとテーブルにつくと書類入れを机に置き、インク壺とペンを用意し、背筋を伸ばして彫像のように背筋を伸ばして動きを止める。

 突拍子もなく告げられた衣服の出どころにイレーネは固まっていたが、気を取り直してテーブルの対面に立つ。


「どうぞ。お掛けになってください。──交渉を始めましょう」


 ジョルジュはいくつかの書類を取り出して机に広げた後に、イレーネにも渡す。

 テーブルについたイレーネは書類に目を落とすが、書類のタイトルを見て目を白黒させる。


「まず給金と条件から」

「あの」

「はい」

「いや、先程まで使命とかそういう話だったでしょう。条件と給金って──」

「無給は困ります」

「いえ、そんなことは言ってませんが」

「少ないと」

「待って。ちょっと、そういう話じゃない。使命とかそういう──」


 ジョルジュは片眼鏡を取り出してカチリと掛けると、鋭い眼光を向ける。


「予算は限られていますので、交渉は厳しくなりますよ」

「いやそんなこと言ってない」

「こちらの書類に提示可能な給金と条件の一覧を用意していますが私としてはこのラインを上回る点については譲歩いたしかねるところで──」


 言葉が通じるけど話が通じない! なんなの!? どういう状況なの!? わからない!! と心の中で叫びながら天を仰ぐイレーネ。


 そんな混乱の最中にあるイレーネと、立板に水どころかバケツを引っくり返したような数字と条件の羅列をぶちまけるジョルジュがいるギルドマスター私室に、コンコン、というノックの音が響き渡る。


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