2章2話 調査指令:人質救出依頼における虚偽報告
◆◇◇Ⅱ◇◇◆
会計課。
そこは冒険者ギルドにおいて、金銭に関わる業務一切を取り仕切る番人が詰めている区画だ。
彼らの本拠地たる会計室は大量の金貨銀貨銅貨が取り扱われるため、良からぬものの侵入を防ぐ目的で格子で囲われている。
その魔法銀製の格子の奥では、銅貨はまだしも普段は大事にされているであろう金貨すら小石かなにかのように扱われている。
初めての稼ぎで手に入れた金貨を大事に胸に抱いた経験のある人間なら、その扱われ方には少なからずショックを受けるだろう。
特に真贋鑑定係などは金貨を槌で叩くという稀有な体験を毎日朝から晩までやっている。
そういう風変わりな職場のすぐ隣には、一般的な役人らしい計算や書き物をしている係もいる。
だが、こちらは仕事ではなく様子が風変わりだ。
なにしろ普通の役人は机が削れるまで計算尺叩きつけたりはしない。
毎日大量にやってくるあらゆる勘定を捌いて捌いて捌きまくるうちに何かが壊れていくらしい。
その牢獄の一番奥に、モロッグとオスティンが怯える冷徹の男、ジョルジュは毎日毎日鎮座している。
ジョルジュ=カタラクトは埋葬機関の存在を知る数少ないギルド職員だ。
石化した水鳥のように背筋を伸ばし、無表情のまま冷徹に職務を遂行する姿は官吏文官とはかくあるべしという模範そのもの。
そして冷徹な職務遂行態度は、埋葬機関の支出に対する指摘事項にも及ぶ。
埋葬機関は失敗が許されない任務の性質上、最上級に近い資材を運用している。
回復薬や呪符が低品質で作戦行動に支障をきたすなど、もってのほかだからだ。
そして、その運用について彼らは「任務成功のため」を盾にすればほぼ何の制約も持たない。
しかしだからといって予算が無尽蔵にあるわけではないのだ。
その番人たる存在が、会計課課長ジョルジュ=カタラクトなのだ。
今回の恐怖の手紙がやってきた理由は明白だ。
最上の回復薬を市民に対して手掴みでごろごろと渡せば、目を瞠るほどの金額が吹き飛ぶ。
つまり、前回の任務でモロッグとオスティンが吹き飛ばした金貨の山について、番人は大層お怒りなのだ。
恐怖との遭遇は避けられないとしても、順番くらいはまだ選ぶ余地がある。
モロッグはいま会いたくないジョルジュがいる会計課を後回しにして、商務課へと脚を運んだ。
商務課店舗は今日も冒険者たちで賑わっている。
ぶらぶらとした足取りで店舗の方に歩いていくと、計算尺を片手に冒険者と話し込んでいた派手な格好の職員がモロッグに気づき、片手を挙げた。
彼は冒険者との話をまとめにかかり、一分もしないうちに話をまとめると握手を交わして冒険者を見送る。
「毎度どうも!ではまたお越しください! ──よォモロッグ。お前がくると売上が五分、いや一割下がるから、売上の一割分なにか買っていけ?」
派手な格好の襟元をパッパと正して、良く日焼けしているがわりと整った顔の職員がモロッグに計算尺を突き出して宣う。
モロッグは皮肉っぽく笑みを返してから片手をひらひらと振りながら答える。
「ほう、いくらだ?」
「とりあえず財布の中身全部で許してやるよォ。飛んでみろォ」
そこにぴょこっと顔を出したのは売り子が得意な職員。
小柄で愛嬌のある顔立ちと、あっけらかんとした物言いが冒険者達には大ウケの人気者だ。
しかし、ただの人気者ではない。あっけらかんとした雰囲気に飲まれて楽しく買い物をしてみれば財布の中身がごっそり……というのはもはや冒険者あるあるになりつつある。
そんなやり手の彼女の手にはマンドレイク使用! の売り文句が書かれた強壮剤や、綴りになった着火術や灯火術の呪符がずらりと握られている。
「高くて軽くて、ウチの手離れがイイやつは、呪符とポーションッス。モロッグさんのポケットにぎっしり詰めとくッスよ。モロッグさんは調査課じゃないから強壮剤の天引きも効くッス。毟れるところから毟るのが一番ッス」
「やめろやめろ。呪符を詰めようとするな」
商務課の手掛ける”商売”はいくつも種類があるが、契約を交わした冒険者から呪符やポーションを買い取り、店舗で販売する商売も手掛けている。
剣や魔法ほど代表的ではなくとも、呪符やポーションは冒険者にとって馴染みのある道具で、これらを駆使して多くの冒険者は依頼を遂行している。
そして付与術や錬金術に覚えがある冒険者は作る側にも回る。
しかしそれを販売するとなると、冒険とはまた違うテクニックが要求されることになる。そこを仲立ちするのが彼ら商務課だ。
冒険者ギルドの成り立ちを紐解けば由緒正しき商売であり、彼らもこれこそ我らが本分という気持ちで取り組んでいるのだそうだ。
また、呪符やポーションは冒険者のみならず一般人でも使える品だ。ケガや病気、疲労などの回復。虫除け。果ては料理の下ごしらえなど。
そのため売り込むタイミング次第ではどんどん売れる。商魂たくましい彼ら彼女らは事ある毎にそれらを売り込む機会を狙っているというわけだ。
しかし、モロッグの表の職員生活ではただの紙切れと妙な味のする液体だ。まさに無用の長物である。
「いらんぞ。いらん。買わないからな。それより書類だ。ほら。これ」
「リリアーナ嬢からのお手紙か」
モロッグが書類を手渡すと、商務課の二人は意気込んでそれを開く。
そして二人して覗き込んでいたが、しばししてから落胆の声が上がった。
「モロッグが運んできたからだ。リリアーナ嬢に運んで貰えばまだ別の返事だったかもしれないのに!」
「リリーにぃ?主任。もっと手厳しくボロクソにダメだって言われるッスよ」
「それもそうか。ありがとうモロッグ! じゃあ何を買う?」
「買わんぞ? じゃあまたな」
商務課の二人に手を振ると、二人は軽く手を挙げて応え、またチャキチャキと商売に励みだす。
モロッグは書類束を抱え直して、今度は受付課の方に足を向ける。
ギルド会館の顔とも言える受付課は今日も大変に忙しい。
受付前にある長蛇の列だけでなく、その後ろにいるロビーの客の殆どが彼女たちにとっての客なのだからさもありなんだ。
ロビーを横断して、わらわらと立ち並ぶ人々の隙間を縫って歩いていき、受付課の隅に移動する。
受付課の隅の方にある椅子に勝手に腰掛ける。
手が空いた者が話しかけてくるまで待とう、という実に消極的な姿勢だ。
そしてモロッグは、ごろつきとしては合格だが職員としては失格な態度で、頬杖をついて受付カウンターを眺め始めた。
受付嬢相手に不要な自慢話を延々と続けて折を見て飲みに行かないかと誘う冒険者は、視線に含みのある男になんとなく気後れし始めて話を切り上げる。
受付嬢など世間知らずの小娘よ、と報酬額をケチるためにあれこれと並べ立てる依頼者は、小娘の後ろに現れた妙に威圧感のある男に気づいて聞き分けがよくなる。
かくして、ようやく手のあいた受付嬢たちが片付いた案件の書類を手にして振り向いたところで、モロッグが座っていたことに気づく。
「なんだモロッグさんかあ。急に聞き分け良くなったから何かと思いましたよ」
華やかな女性の多い受付課の中でも、おっとりとした雰囲気で人気の彼女は豊かな胸元に書類を抱え、にこにこと微笑んでモロッグの方にやってくる。
「あーあ。ヤダヤダ。親方かモロッグさんがいるとこうなのよね。ホント男って。男ってねえ」
こちらは小柄で線が細く、困り顔に見えるタレ目が特徴な大人しそうな女性職員だが、見た目で判断されることにうんざりしすぎたせいで、今ではこの毒舌だ。
「ナンパする場所くらい弁えてくださいって思いません? そうでないならせめてスマートにしていただけたら……。そうしたら、ああ邪魔だなぁ、なんて思わなくて済むのに。」
「見ました? あの態度。お嬢ちゃんは知らないだろうけどねェ~って、ええ知りませんとも。それがなんか関係あるんですぅ? あってたまるかあのク──」
「お疲れさん。配達だ」
不穏な方向に進み始める受付嬢たちの会話を遮って、モロッグは逆鱗に触れないように持っていた刻印済書類を差し出す。
すると受付嬢たちもすかさず他のところから書類の束を持ってきて、モロッグの前に積み上げる。
「持ってきたときより増えやがった。ハァ。ところで、俺がここに日がな一日座って行儀の悪い態度をしていればきっと役に立てるんじゃないかと思うんだ?」
「それはダメ。じゃあ、あとこっちの山も。全部総務課行きです。ここの山が魔法刻印依頼の書類で、こっちは──」
「ハハハ。大人気」
「リリアーナさんによろしくお願いしますね」
「リリアーナさんを困らせちゃダメですからね」
「ハユハ課長を見習ってくださいね。むしろハユハ課長連れてきてください。座ってるだけでどんどん窓口が捌けるんですよ」
背筋を伸ばして座り、石像のように客を眺め続けるハユハを思い浮かべる。
上背のある無骨な筋肉質の男に、何を考えているのかわからない何とも言えない無表情で見つめられながら長話をしたがる人間は稀有だろう。
確かに効果がありそうだ。
「モロッグさんは親方と同じ方向で黙らせるけど、ハユハ課長は圧がね!」
「あ、わかるそれ! 圧がね!」
「親方と同じカテゴリーはちょっと嫌だなァ……」
若い女子ってのは容赦ないなと思いながら立ち上がり、書類を抱える。
そこで、リリアーナの話では親方はわりとジェントルマンらしいということを思い出した。
親方だってジェントルマンなのだから、自分もジェントルマンだろうという無駄な自己弁護をするべく、付け加える。
「親方はああ見えて、お茶とお茶菓子でもてなしてくれるジェントルマンなんだぞ? 同じカテゴリーなら俺も──」
「ホントですかー!! やだー親方かわいいーー!!」
「なにそれ親方かわくないですかーーー!!!」
「──かわいい? おっと、じゃあそういうことで」
きゃいきゃいと盛り上がる彼女たちの後ろから、受付課のまとめ役であるリリアーナの同期がやってくるのが見える。
受付課のまとめ役はリリアーナ同様、ベテランの域に達した仕事の鬼だ。捕まればただでは済まないにちがいないと踏んで、そそくさと挨拶をしてその場を立ち去る。
かくして、避けていた会計課に向かわねばならなくなった。
会計課の魔法銀格子エリアに脚を踏み入れ、周辺を見回す。だが、誰もが書類や鑑定待ちの袋などに埋もれており声をかけてくる様子もない。いつもどおりだ。
別に彼らはモロッグを無視したり邪険にしているのではなく、ただ単に積み上げられた仕事に忙殺されているだけだ。
彼らの場合は他課からの連絡を集める棚があるため、放り込んでおけば話は済む。
あとは、懸念のジョルジュに見つからなければいいだけである。
足音を極力小さくして、滑るように会計室を進んでいって棚に書類束をひょいひょいと放り込んでいく。
真後ろでは計算尺で机を叩き続けている女性職員が、小声でブツブツブツブツと何やら計算しているのが聞こえる。
モロッグは彼女に、頭で計算しているなら何のために計算尺を持ってるんだ? と聞いたことがある。
彼女の返事は明快で「計算尺を持っていれば計算が早くなる」とのことだった。
書類を入れて踵を返そうとした瞬間、フッと計算尺の音が止んだ。
何事かと振り返ると、計算尺で机を叩く魔物がこちらをぼうっと見ている。
思わずのけぞったモロッグに、件の女性職員は気怠げに声をかけてくる。
「ジョルジュ課長ならギルドマスター室。そんなに警戒しなくていい」
「いや、俺はむしろそのブッ叩く音が止んだから警戒したんだが」
会計課の職員は計算尺を眺めてヒュンヒュンと何度か素振りする。
「最近の計算尺は折れやすいから、時々叩くのをやめるようにした」
「そもそも叩くな」
会話の最後まで計算尺の素振りをやめない彼女にモロッグは若干の恐怖を覚えた。
しかし、彼女より恐ろしい会計課の番人がいないことがわかり、足取り軽くモロッグは会計室から出るべく歩き出す。
リリアーナに渡された書類はこれで全部で、あとは総務課に持ち帰る書類だけだ。
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