2章1話 調査指令:人質救出依頼における虚偽報告

 王都の南。

 王国最大の港町にある大型倉庫が集まった区画。

 その港湾倉庫の一つで雷鳴のような破壊音が響き渡った。

 天井が砕かれ、石畳が砕かれ、弾け飛ぶ砂礫が周囲の石畳を打つ。

 もうもうと立ち込める土煙の中心。

 そこに、宵闇の甲冑が立っていた。


 その場にいた全員が突如として現れた宵闇の甲冑に目を瞠る。


 冒険者くずれの無頼の輩が数名と、フードを目深に被った人影。

 想像するのが容易いほどにありふれた闇取引の現場は、何者にも邪魔されず秘密裏に取引を終えるはずだった。


 剣を抜いた者が数人。

 逃げるべく腰が引けた者が数人。

 ただ固まっているものが数人。

 誰もが呼吸を忘れて、その甲冑姿の騎士を見ていた。


 死の気配を放つ鎧兜に誰もが目を離せなかった。


 それらに向かって、宵闇の甲冑が腕をもたげて指を向けた。

 その指で首の数をひとつひとつ数え、そして最後は全員をまとめて指し示した。

 兜の奥から男の声が響く。


「お前たちはやってはならないことをした」


 そして宵闇の甲冑は剣槍を持ち上げて、その場に掲げる。

 圧倒的質量の金属塊がその重量でうねるのか風を巻きこんだのか、獰猛な唸り声を響かせて周囲に存在を誇示した。


「お前たちはやってはならないことをやり、得るべきでないものを得た」


 巨大な剣槍が頭上に振り上げられて、ゆっくりと甲冑の肩に担がれ、鐘の音のような音を鳴らす。

 それは、ここで終わるのだという事実を淡々と告げる破壊の宣告だ。


「選んだ道の終わりを受け入れろ」


 ッバガァン!!!

 という破壊音が鳴り響く。

 いち早く剣を抜いていた数人の身体が破砕音と共に舞い上がる。

 直ぐ後ろにいた冒険者の男の顔には血飛沫がぱたたと降り注いだ。


 血飛沫を浴びた冒険者は、目を見開いたまま荒く喘ぐように呼吸しながら後退し、腰に佩いた剣に手を伸ばす。

 しかしその剣を抜ききらないうちに人体を叩き斬る破壊音が続けざまにもう二発。


 冒険者の視界の端で、腰が引けたまま動けずにいた仲間の数人が斬り飛ばされて肉塊になって転がった。またたく間の出来事だった。

 冒険者は、動け、動け、動け、と呟いて剣を抜こうとするが焦る腕では剣は抜き放てない。

 隣に立っていた首領が身を翻して逃げ出し、置いていかれたことにすら気付けないままの彼の眼前に、果たして剣槍が迫る。


 それは攻撃ではなく、誅伐でもなく、破壊だった。

 冒険者が見た最後の光景は鋼色に塗りつぶされていた。



 冒険者らの首領は、固まって動けないまま叩き斬られる仲間には目もくれず、荒馬のように倉庫を駆けていた。

 抜き払った愛剣で、行く手にぶら下がる物を切り裂き、駆ける。

 貨物が山積する港湾倉庫を疾走しつつ、首領は闖入者を迎え撃つ方法を考える。


 冒険によって鍛えあげ、もはや自らの売りにすらなったこの俊足には自信がある。

 追いついてくる前に距離をとり、こちらの有利なところで急襲すればいい、と彼は踏んでいた。

 木箱を踏みつけて跳び、足元の荷を蹴り飛ばす。

 そして荷物を足場にひらりと軽業師のように跳び、華麗に着地して再び駆ける。


 どうせヤツもエンチャントした鎧にいい気になっているに違いない、と沸騰する血潮と早鐘のような鼓動の中で考える。


 その程度のことで舞い上がった正義気取り、これまで何度も倒してきた。

 どいつもこいつも、大したことはなかった。

 特にああいう輩、鎧に安心している輩は速度が疎かになっている。

 あんなものは、恐ろしげな剣の迫力にものを言わせたコケオドシにすぎない。


 そうに決まっている。

 そうやって調子に乗っているやつこそ、簡単に殺せる。


 彼は身体強化魔法を次々に詠唱し、呪符を抜き払って力を解放し、全身を駆け巡る力の奔流を身体に染み渡らせながら駆ける。

 身体はたちまちに力に満ちて、膨れ上がった体躯が地面を蹴る音までも、先ほどよりも明らかに重く響くものになっている。

 剣を握る手に力を込めれば、何者でも両断できそうな力が漲るほどだ。

 全身強化による昂揚を殺意に変換しながら、機をうかがうために男は駆けていく。


 俊足を活かして戦うのにお誂え向きの、ぽっかりと荷物のない区画に彼が駆け込んだ時、果たして宵闇の甲冑は壁を砕いてその場に現れる。


 石畳をゴヅッ、ゴヅッ、と踏み鳴らして歩く甲冑。

 対して冒険者は地面を鞭で打つような鋭い足音を響かせて突進する。

 眼の前で一瞬の停止。

 すぐさま真横への跳躍。

 さらに後ろ、そして前。

 死角から死角へと跳び、甲冑の騎士を貫くべく剣に力を籠める。


(追ってこれまい! この速さは魔物ですら追い縋れない!!)


 石畳を蹴り、次々に刺突を放って鎧の隙間を狙う。

 甲冑の騎士はそれを身じろぎして防ぐのみで反撃の手が来ない。


(力任せの木偶の坊に俺が捕まえられるものかよッ!!)


 分身とすら見紛う高速移動で周囲を旋回し、人間の視覚の弱点である残像を操る。

 残像、残像、また残像。

 跳躍と瞬歩の隙間から命を狙う刺突。

 名だたる魔物ですら射殺してきた致命の刺突が次々に繰り出される。


 (幻影剣のジャナフを舐め腐った貴様はここで血反吐を撒き散らして死ねッッ)


 甲冑を貫けずとも、次々に繰り出される刺突は徐々に甲冑の動きを狭める。

 昂揚した頭の中で高笑う。

 対応できるのも、もうあと僅かに違いないと、ジャナフは自分の経験から相手を値踏みする。


(必殺の一撃で抉り殺されるその瞬間まで、恐怖するのは貴様の方だッ!!)

 

 甲冑の騎士はもはや殆ど動きを止め、亀のように縮こまって刺突を防ぐのみだ。


(──死ねッ!!雑魚がッ!!)


 唸りをあげるジャナフの剣が、甲冑の脇から心臓目掛けて鋭く突き込まれた瞬間。

 ジャナフの眼の前に甲冑の篭手が現れ、唸りを上げて拳を叩き込む。

 

 衝撃で視線がかき混ぜられるように歪み、捻じれ、揺れる。


 宙を舞う感覚の中、咄嗟に拳を防いだ愛剣が手の中で砕けたのが分かった。

 その体は地面に転がりながら跳ね、激突して木箱を砕き、干し草に絡まってようやく止まる。

 叩き込まれた拳によって砕かれた歯と顎、迸る血、そして脳を焼く激痛が命の危機を最大限に知らせている。


 ゴツッ……ゴツッ……と床を踏みしめて甲冑が迫る。

 逃げロ。逃げロッッッ!! と全身が警報を鳴らす。

 今すぐ逃げなければ死ぬ。

 このままでは殺される。

 死ぬ!! このままでは死ぬ!!

 脚に力を入れようとしてもどこが地面なのかすらわからず、闇雲に突き出す脚が空を蹴る。

 パニックを起こしながら藻掻くように手足をばたつかせても、歩いてくる死からは遠ざかれない。

 このままでは殺されるとわかっていても、何もかもが空回りして動けない。


「待てっ!! 待ッ」


 眼の前には鋼鉄。

 それは、ゆっくりと振り下ろされてくるように見えた。

 加速する思考の中で、宵闇の甲冑の奥に、瞳が見えるのに気付く。

 爛々と光る瞳に慈悲が宿っているのに気づいた瞬間、幻影剣のジャナフは二つの物言わぬ肉塊になって地面に転がった。


◆◇◇Ⅰ◇◇◆


 冒険者ギルドの裏手は、都市を縫うように流れている運河に面している。

 それは冒険者ギルド自体に荷を運び込むためであり、荷を運び出すためでもある。

 大型魔物の遺骸等は水運を使って運び込まれることもしばしばある。


 都市を流れる運河とはいえ、ドブ川ではない。

 生活排水は整備された下水道に流れるようになっており、水質は上々だ。

 上下水道の整備は先代国王の治世だったか。

 澄んだ水。陽光を照り返す水面。行き交う小舟。

 実にのどかな光景だ。

 そんな風光明媚な都市風景の中、モロッグとオスティンの二人は今日も今日とて、日課スケジュールのサボりを敢行して川を眺めていた。


「鋼鉄ってさぁ」


 オスティンがふと思いついたようにそう言ってから、鉱石を取り出した。

 鉄鉱石だ。赤い斑紋が見えるその石は、鉱石として見れば上質、材料として見れば十把一絡げの一個、鈍器として見れば一物だ。


「鉄鉱石か。それがどうかしたか? というか、どこにしまってたんだ」

「鋼鉄等級はギルドの稼ぎ頭だろ。知ってるか? 連中の中には赤銅に上がらないようにしてる奴らがいるらしい」

「昔から一定数いたな。鉄錆。赤銅は報酬算定で減算が増える分岐点だからな」

「腕自慢の農家や猟師、本業がある連中が留まるのはよくある話だったが、ここ最近は専業冒険者で増えてる」


 モロッグは煙草を取り出して火を付け、ゆっくり三服する間に考える。

 専業冒険者なら着実に積み上げ、より良い条件の依頼を受け、高い等級を目指すことが標準的な暮らし向きだ。

 その繰り返しの中で鍛錬と研鑽も必要な分こなし、名声と実力に見合う人脈をつくることで、より良い機会を狙っていく。

 そして運に恵まれれば、栄達への道も開かれる。

 金級以上の世界や、招かれて行くことになる世界とはそういうものだ。


「専業がそんなことした所で損しかなさそうに思えるが、使い道があるのか」

「ない」

「……ないならなんでそんな話しだしたんだ」

「正確には、なさそう」


 モロッグが呆れたような目を向ける。

 オスティンはどこ吹く風という様子で鉄鉱石を日に翳したり、重さを確かめるように転がしたりしながら話を続ける。


「ギルド側から言えば、全体の稼ぎが多くても赤銅より下は十把一絡げの有象無象だ。個人的な付き合いでもなきゃ、その等級だからといって関わることも注目することもない。お前、気鋭の鋼鉄等級とかベテランの鋼鉄等級とか名前言えるか」

「これで俺がずらずらと並べだしたらどうする?」

「わあ、きみってそういうヒト種なんだねーって思いながら、言い終わるまで見守って、それはそれとして、したかった話を続ける」

「会話してるふりして演説するのはやめろ」

「ってことは、十把一絡げの中に隠れたいならうってつけだな。じゃあ王国府の目を掻い潜りたいやつがそこに溜まるって考えはできないか?」

「潔く無視しやがったな──」


 モロッグは言葉を切って、額に手を当てて慎重に言葉を並べていく。


「むしろ注目を集めるだけじゃないのか。鉄錆なんて言葉があるんだから、そういう括りで見られてるってことだ。調査課だってだてに調査を本業にしてるわけじゃないんだから、そういう括りがある妙な動きの奴らは張ってるだろ」

「魔物はさァ」


 オスティンが懐から瓶を取り出して、今日の収穫物を眺めだした。

 通称首狩りウサギと呼ばれる、蹴爪のついた凶暴なウサギの内臓のどれだと説明しながら、オスティンの話は脱線していく。

 この種のウサギは道しるべのように糞をして食糞する普通のウサギとは異なり、同じ場所に糞をするのだと言う。

 糞は土壌にとっての栄養と魔力に富み、糞場所は草木が良く育つのだと説明をした上で、話を続ける。


「魔物は時々、長い時間を掛けて自分たちにとって有利な環境を作ったりするんだ。糞をする場所を決めて土に栄養と魔力を吸わせてそこを次の狩り場にしたりな」

「……この状況を時間を掛けて作って、有利に立とうとした人間がいると?」

「さあ。ヒト種の考えることはよくわかんねえ。ただ……。魔物と動物の違いは魔力を使って何かをやるか、やらないかってことだ。ヒト種はその意味では魔物だ」

「そういう意味じゃなくても人間は魔物だと俺は思うが」

「ああ、それは俺も。その考えには賛成するよ」 


 そこで言葉を切って、パイプを取り出して煙草の葉を詰めだしたオスティンに、モロッグは眉根を寄せて怪訝な顔をしていたが、声を潜めながら訊ねる。


「……それで、なにかそういう類の動きがあるのか?」

「いや?知らないな」


 二回目の肩透かしに、モロッグは本気で呆れながらオスティンを見る。

 オスティンは眉毛を片方上げて口の端をクイっと上げたままモロッグを指さして、小突きたくなる笑顔でこちらを見ている。


「なんかそういう話してると、なにか知ってるぜって感じがして煙草がうまい」

「そうか。あとで煙草奢れよ。俺は忙しいんだ」

「俺たちが忙しいなんて言ったら、リリアーナ嬢に何されるかわかんねえぞ」

「ええ。そうね。まずは本業をやるようにお願いをして、それから別のお仕事をお願いしようかしら」


 二人は声のした方に振り向く。

 幽霊を見るような顔で二人の安寧の地に踏み込んできた仕事の権化を見つめ、その仕事の権化がドス黒いオーラを漂わせていることに気づいて恐怖を露わにする。


「小芝居してないで、仕事してくださいお二人共!! ──はぁ……オスティン宛に受付課から言伝を預かってきたの。『今すぐ、先週の刻印依頼分を持ってこないと、お前の捕縛依頼を掲示する。生死問わずで』だそうです。それから、二人宛てにそれぞれ会計課のジョルジュさんから経費報告についてお手紙」


 二人は手渡された恐怖の手紙を受け取り、今度は本当に恐る恐るといった様子で顔を上げてリリアーナを見る。

 リリアーナは二人のサボれる野郎共に美しい笑顔を向けて、話を続ける。


「早く開かないと、その封筒、この間みたいに『まだ開けないのか。早く読め。今すぐ読まないとこの場で燃えて自害する』って怒鳴り散らして挙句の果てに火を吹くんじゃないかしら」

 リリアーナに指摘されるまでもなく、いつだったか何通も何通も放置し続けたときに起きた惨劇を思い出した二人は顔を青くしている。

「それに、ちょうどよく送り主のいるところに持っていきたい書類があるの。とってもいいタイミング。私が今持っているこれよ。遠慮なくお持ちになって?」

「わざわざありがとう。遠慮するよ。俺、行かなくちゃ。ラボに。じゃ」

「そう。じゃあ、モロッグ閣下にお願いしていいかしら」


 オスティンはモロッグを見捨てて風のごとく去っていき、モロッグは逃げ遅れてリリアーナに捕まり、書類をどさどさと渡される。

 積み重なる書類のバランスを取るためモロッグがあたふたとするのを、全く意に介さない様子でぽんぽんと書類を渡したリリアーナは、書類の山から開放された肩を優雅に回してから髪を流した。


「上の帳簿を会計課に返してくださる? その下にある回答類は商務課宛です。それで、こっちの山は受付課への刻印済書類。オスティンは今から魔法師室の前に張り込んでる受付課に捕まると思うから、申し訳ないけれど代わりにお願いね」

「はい」

「ハイは一回……一回ね? 失礼しまして? 私はこれから親方と話に行ってきます」

「親方は怖いぞォ。泣くなよお嬢ちゃん」

「怖い? いつもお茶とお菓子を勧められるんだけど、断ってしまうことが多いのにむしろ労ってくださるのよ。とっても優しいわ。ヨソの部署よりよっぽど紳士的よ。お仕事も真面目だし、素晴らしい方だと思ってるわ」

 

 親方が恐ろしげな鉈の代わりに茶の入ったカップとポットを持ち、親指の爪ほどしかない茶菓子を勧めてうやうやしくサーブする様子を思い浮かべるが、それに失敗したモロッグは書類を抱え直した。

 リリアーナがよろしくね、という風に手を振って去っていくのを見送ってモロッグも会計課へと向かう。


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