第5章84話:精霊

精霊岩の岩場。


ここに【海の精霊】が住んでいる。


精霊が住む、といっても、人間のように建物の中に居住しているわけではない。


どんなふうに住んでいるのかは、人にはわからない。


なぜなら精霊は、よほどのことがないかぎり、人の前に姿をあらわさないからだ。


「中心部まで船を移動させてくれ」


と俺は頼んだ。


「わかりました」


とリンが応じる。


リンは、俺たちを乗せた船を、一番中央に位置する精霊岩の至近距離しきんきょりまで移動させた。


他の岩と違って、中央にある精霊岩はたいらである。


しかも半径5メートルほどの幅があって大きく、上陸することも可能だ。


……もちろん、上陸するなんて無礼なマネはしないが。


この精霊岩のうえにそなものを乗せるのが、通例である。


俺も先例にならい、用意してきたものをアイテムバッグから取り出した。


ホタテのバター醤油しょうゆきだ。


12個ほどこしらえて皿の上に乗せてある。


あとはお酒も一緒に添えておく。


海の精霊は、海鮮料理かいせんりょうりが好物であり、酒好さけずきでもあるらしいので、このチョイスである。


気に入ってくれるといいのだが……


「よし」


俺は船べりから身を乗り出して、なんとか皿を精霊岩のうえに乗せた。


あとは祈るだけだ。


屋形船やかたぶねのテーブルに座った俺は、じっと両手のひらを組んで、祈りのポーズを取る。


そして精霊へ感謝の祈りをささげた。


同時に、今後のキルティナ商会の安寧あんねいを願う。


……うん。


これでいいだろう。


もうここに用はない。


俺は言った。


「さあ、帰るか」


リンに頼んで、停めた船を発進させる。


精霊岩から少しずつ離れていく船。


しかし、そのときだった。



『待つがよい』



と声がした。


まるで心に直接語りかけてくるような声だった。


俺は直感的に、それがリンやテュカベリルのものではなく。


精霊の声であると理解した。


リンにも聞こえたらしく、慌てて船を停止させる。


周囲に視線をめぐらせる。


しかし精霊の姿は見当たらない。


やはり目には見えない存在のようだ。


直後、ふたたび声が響いてくる。


『はじめに申しておくが、私は精霊だ。お前たち人間が、海の精霊と呼んでいる存在だ』


……やっぱり精霊だった!


すごい。


精霊と会話するなんて、初めてのことだ。


俺は興奮に包まれる。


『今回の貢物みつぎものは、実に美味い料理だった。確認するが、これを作った者は誰だ?』


精霊が質問してくる。


そのとき俺は気づいた。


「……!!」


精霊岩に乗せた皿。


ホタテのバター醤油焼きが、全てなくなっている。


おそらく、精霊が食べたのだろう。


添えたお酒のびんもカラになっているようだった。

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