第8話 やだー、人間辞めちゃってるじゃないですかー

 夜になり、昴は円香局長の許可を貰って神奈川県警察の手を借りて川崎の工業地帯の捜索を開始した。


 異世界管理局の局員として参加するのは、昴とユキに加えて今夜はスケジュールが空いていた風華である。


 風華は村雨流格闘術を習っており、その実力は師範代レベルであるから近接戦闘なら十分に戦力として呼べるので、昴にとっては心強い援軍だ。


 彼女が参加したのは、同業者が悪者の私利私欲で酷い目に遭わされていると知り、ただじっとしていられないからだった。


 局用車で工業地帯を捜索している時、車内に当然だが風華も乗っているから自由に喋れないユキは不機嫌そうにしている。


「昴、ユキちゃんって連れて来て良かったの? 危険じゃない?」


「これでも異世界管理局の局員見習いなんだ。ユキの服を見てみな。局長が承認した証としてバッジが付いてるだろ?」


「うわっ、本当だ。この子って異能持ち?」


「さあな。でも、局長が見習いとして俺と共に行動しろって決めたからなぁ」


 そのように昴が言えば、風華はこれ以上ユキを連れていくのは危険と言ったりしなかった。


 円香はちっこくてコスプレ好きだが、頭は切れるしその判断が間違っていることは滅多にない。


 したがって、円香がユキを同行させるべきと判断しならば、風華がそれ以上何か言うことはないのである。


 ユキは自分が同行するお墨付きを得ていると言われ、風華を鼻で笑った。


「ユキちゃんが私のことを鼻で笑った。酷くない?」


「そんなこと言われたってさ、ユキはハスキーだからユキが鼻で笑ったのかどうかなんてわからないだろ」


 (絶対鼻で笑っただろうな。ユキは風華のことを警戒してるし)


 昴の言葉にした内容と心に思っている内容は違った。


 お姫様疑惑が濃厚なユキの正体は、今のところ昴と円香にも正確なところはわかっていないし他に漏らさないようにと言われている。


 だからこそ、昴はそれを逆手に取ってユキが風華を馬鹿にしていると考えたのだ。


「ワフゥ」


「ねえ、絶対私のことを馬鹿にしてるよこの子。なんで?」


「俺に言われても困るっての。ユキ、今夜の捜索では風華は貴重な戦力なんだ。仲間にそんな態度をしてはいけません」


「クゥ~ン…」


 昴に真面目なトーンで注意され、ユキは渋々わかったと言いたげに鳴いた。


 その時、風華は連なる工場の中に気になる物を見つけた。


「昴、ちょっと停めて。2時の方向を見てほしいの」


「わかった」


 脇見運転は危険だから、一度局用車を停めて昴は風華の指差した方向を見た。


 その工場は他の工場と比べて活動がおとなしく、工場の出入口付近をライトで照らすと雑な運転のタイヤ痕が見つかった。


 (雑な運転をした茨木組の下っ端が工場の前に車を停めたって可能性はあるか)


 少しでも気になったら調べておくべきなので、昴達はこの工場の中に入ってみることにした。


 風華に言われて入った工場の中は、入った瞬間にユキが昴の脚に顔を埋めるような臭いがしたらしい。


「クゥ~ン…」


「ユキの鼻にはキツい何かがあるっぽいな」


「当たりってことかしらね? 慎重に進みましょう」


「ユキ、我慢して付いて来てくれ」


「ワフ」


 局用車の中で待っていてくれと言うにはこの辺りは危険な可能性が高いから、昴はユキにとって辛いだろうと思っても同行してもらうしかなかった。


 ユキが感じ取った嫌な臭いは、昴と風華も進んで行く内に嗅ぎ取れるようになった。


 (この独特の鉄臭い感じ、血の臭いなのか?)


 嫌な予感が頭に浮かびつつ、昴達はなるべく物音を立てずに奥に進んで行く。


 少しして工場の奥から、目が虚ろな茨木組構成員が2人現れた。


 それが茨木組構成員だとわかったのは、尋問中に狙撃された男と全く同じ服装をしていたからである。


「「あー」」


「無気力か?」


「そんなことはどうだって良いわ。昴は援護をお願い」


 攻撃手段が近接戦闘だから、前方の2人が銃を抜き出す前に風華は接近し、2人の胸に順番に正拳突きを放つ。


「せい! はっ!」


 正拳突きを喰らったことで2人は後ろに転がるように倒れたが、風華の眉間には皺が寄っていた。


「昴、ゴブリンエリートが授ける無敵の策ってのは人倫にもとるものみたいよ」


「と言うと?」


「人体改造ね。それも危険な薬品によるドーピングだわ。こっちに来て。この2人の首筋に注射した痕がある」


「…マジか。でも、バイアスかかってるんだろうけどさ、ゴブリンにドーピング薬の知識なんてあるのか?」


「それは…」


 昴の疑問に風華は答えることができなかった。


 何故なら、風華も自称エリートだとしてもゴブリンが人間に効くドーピング薬なんて作れるとは思えなかったからだ。


「グルルルル」


 ユキが唸った直後、倒れた2人の茨木組構成員の体が暗緑色に変色し、目が赤く光って体の形が変わり動き始めた。


「そのまま倒れててくれ」


 変身と呼ぶべき行動をし始めた2人に対し、昴は両腕から蔓を伸ばしてグルグル巻きにした。


 手足を縛られた状態では起き上がることができず、2人の構成員は人間から完全なゴブリンになってしまった。


 (ゴブリンに変身する薬を茨木組に投与した? そんな薬が量産されて悪用されたら大変なことになるぞ)


 返信の一部始終はスマホで録画していたから、後で円香局長に報告する時もこの事態を説明しやすい。


 咄嗟の機転で撮影した昴は構成員達の変身に驚いているものの、報告のことを考えるだけの冷静さは保てていた。


 そのすぐ後に、黒いスーツを着て目を赤くしたゴブリン達が通路の奥からぞろぞろとやって来た。


「やだー、人間辞めちゃってるじゃないですかー」


「昴、そんなこと言ってる場合じゃないわよ。警察の応援を呼んだけど、ここに来るまでまだ少し時間はかかると思う。こいつらの時間稼ぎに付き合ってたら、ゴブリンエリートに逃げられるわ。さっさと抜けられるよう手伝って」


「了解」


 思わずしてしまったリアクションから気を引き締め、昴は接近するゴブリン構成員達に向けて両腕から蔓を伸ばす。


 先頭のゴブリン構成員をその場に転がせば、後ろにいた構成員達はジャンプしたり横に避けたりすることもなくそのまま転んだ。


 (ゴブリン化は思考力が著しく低下するっぽいな)


 普通の人間ならば目の前の障害物を避けるぐらいするのだが、ゴブリン化した構成員達にそんなことを考える頭はないらしく、転んだ後は自分を転ばせたゴブリン構成員を攻撃していた。


 念のため、蔓で全員縛ってから昴達は通路の奥に進んだ。


 通路のライトの色が変わり、これまでは一般的な蛍光灯だったのが紫色のライトに変わった。


 それだけでも怪しさがぐーんと増したが、通路の両脇に並ぶ人が1人すっぽりと入りそうな容器を見て昴達は警戒度を上げた。


 手前の方はカプセルが地下に収納されており、襲って来たゴブリン構成員の数と一致していた。


 しかも、容器の蓋には管と注射針も付いており、構成員の首筋にあった注射の痕はこれであることがわかった。


「ゴブリン構成員はこの容器の中で調整されてたっぽいな」


「不気味ね」


「クゥ~ン…」


 ユキは力なく鳴き、尻尾を股下にしまい込んでいた。


 昴の脚に顔をぐりぐりと押し付けている辺り、ゴブリン構成員誕生の現場を知って怖がっているようだ。


 証拠写真を撮りながら進み、奥の方に行くとまだ人間の構成員が入っている容器が2つ残っていた。


 それらの容器は昴達が一定のラインを越えたことで蓋が空き、中にいた虚ろな目をしている構成員が外に出た瞬間に地下に格納された。


「2人だけなら倒せる!」


 風華が素早く接近し、正拳突きで2人を後ろに転がした。


 そのタイミングを狙って昴が蔓を伸ばして拘束し、時間経過と共に縛られた状態で構成員がゴブリン化した。


「ゴブリン化させた方が元よりも弱くないか?」


「拳銃を使わないし動きも大雑把になってるけど、肉体の強度は人間だった頃よりも調整された方が上がってるね。ぶっ飛ばすつもりで殴ったのに後ろに転ぶ程度で済んでるとか、少しショックだもの」


 (大の大人をぶっ飛ばすつもりで殴ってたのか。風華に対する発言は気を付けよう)


 近接戦闘では風華に敵わないから、昴は風華に対して変な発言はしないようにしようと気を引き締めた。


 それはさておき、昴達は最後の容器から出て来た構成員も行動不能にしたため、少し先に見える通路のドアに向かった。

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