10.哀しみと怒り


「はぁはぁはぁ、、」


 追いかけてくる魔物達からなんとか逃げ切り、蓮永達は束の間の休憩をしていた。


「マジ意味わかんねーっ!!なんなんだよっ!!あの魔物の数!!」


「あまりにも多すぎる……。」


 蓮永達を追いかけていた魔物の数は、もはや十数のレベルを超えて、数十……下手をすれば三桁に到達してもおかしくないほどだ。


 まるで、蓮永を逃すまいと森自身が魔物を仕向けていると本気で思え、すぐにそんなバカバカしいことがあるはずないと、首を振る。


「やべーな……俺が止めれる時間はあと1秒が限界、しかも使えば動けなくなってメシアの足手纏い……」


「蓮永、いざという時は私を囮にして逃げて。」


「なにバカなこと……。」


 どうやらこの自体はメシアにも想定外らしく、体を震わせ、険しい目で辺りを睨み付けていた。

 いつもは不安や焦りなど、微塵も見せないメシア……そんなメシアでさえ、今は険しい顔で焦り、体を震わせ恐怖している。

 その事実だけで、蓮永の不安や恐怖心を煽らせるには充分だった。


「チッ……くそっ、、」


 焦り、恐怖、不安、なにもできない苛立ち、全てを混えた汗が溢れ出て、蓮永の頬を流れる。


 そして、無慈悲にも、、


「蓮永っ!!逃げてっ!!来てる!!」


「ーーっ!!」


 大勢の魔物の地を踏む音は、確実に蓮永達の元へ近づいていて……


「なんなんだよっ!!」


「走ってっ!!早くっ!!出口まで逃げ切ればっ!!」


 メシアも蓮永も、近づいてくる魔物達から全力で走って逃げた。


 それでも、そこらの子供が全力で走って逃げたところで、大勢の魔物から逃げ切ることはできない。


「メシア、ここ真っ直ぐ行けばいいんだよなっ?」


「うん。そう!!ここを真っ直ぐ行けば出口にっ!!」


 蓮永達は一直線に真っ直ぐゴールに向けて走っている。

 もし、複雑な道ならメシアに聞きながらでないと、進めなかっただろう。しかし、単純な真っ直ぐな道なら、蓮永一人でも進むことはできる。


「もったいねーけど、やらないと死ぬっ。」


 意を決して、蓮永は己の魂に呼びかけた。


 《時を止めろ》と。


 瞬間、世界は止まる。

 地を踏む魔物達も、音も、何もかも……


 その止まった世界で、蓮永はメシアの腹に腕を回し、抱き上げると、思いっきり踏み込んで空に舞い上がった。


 物理法則の外にいる蓮永は、この世界を自由に移動することができる。


「必ず、逃げ切ってやらァ!!」


 残された1秒が経過するまで、あと0.8秒。


 空を飛び、一直線にゴールに向かって駆けた。


 物理法則を完全に無視した蓮永の力は凄まじいものであり、一瞬で追ってくる大勢の魔物からかけ離れていく。


 残りの止められる時間はあと、0.4秒……


 《なるべくギリギリまでっ、進み続けるっ!!》


 残りの時間が0.2秒に差し掛かった頃、空から地上へ降下しながらゴールへ直行し、、ついに時間が動き出す。


 時間が動き出し、物理は蓮永へ再び制限を与えた。


 急に能力の強制解除が起こり、完全に地面へ降下しきれなかった蓮永達は凄まじい勢いで地面に落下していく。


「蓮永、ありがとう。」


 蓮永の腕の中で、メシアが腕を伸ばし風の魔法を放つと、その風は勢いを殺し、クッションとなって蓮永達を包み込んだ。


「これで、魔物共から離れられた……けど、もう体力使い切って動けねー。から、泉の水を」


「いいわ。残り二つしかないから、これであと一つ。」


 そう言って、メシアが泉の水を差し出すと、蓮永はそれを一気に喉へ流し込む。


「よし、回復。てか、最初っからこうやってれば早く出口についたんじゃね?」


 先程のように、蓮永がメシアを連れ豪速で森を駆け抜けていればあるいはすぐに到着していたかもしれない。


 しかし、、


「でも、残る泉の水はあと一つ……貴方の体力を無闇に消費するのは愚策よ。」


「だよなぁ」


 残された蓮永を回復するための必須アイテムは残り一つ。なにが起こるかわからないこの状況で無駄に使うのはいい策とはいえない。


「でも、これであの魔物共からはだいぶ離れられたし、走っていけばなんとか追いつかれる前に到着できる……か?」


 いくら超スピードで移動したとはいえ、1秒だけだ。蓮永自身もその1秒でどれだけゴールまでの距離を縮まられたかはわかっていない。


「大丈夫よ。貴方のおかげで、魔物達の追跡範囲から逃れられたみたい。もう追ってきてないわ。」


 メシアは風の魔法の魔法陣を展開させ、風による探知……風探知を行い、位置と追ってきている魔物を探知していた。

 風探知は泉を見つけた時に使われ、その精度は蓮永も知っている。おまけに、メシアが心底安心したような顔をしているのだから、間違いはないだろう。


「時間止めてたから、魔物達からすれば瞬間移動したってことになるのか……だから追跡範囲から逃れた……?まぁいずれにせよ、なんとかなった……。」


「でも油断はできないわ。先を急ぎましょう。」


「そうだな。」


 魔物達の追跡から逃れたとはいえ、まだなにが起こるかわからない。そのため、なんとしてでもこの森からすぐに脱するのが賢明な判断と言える。


 蓮永達は走って、森の出口へ向かった。


「2秒……2秒だけでもあのスピードならすぐにっ」


 回復したため、残された止められる時間は4秒。その半分の2秒だけでも、蓮永の超スピードならば出口までの距離をだいぶ縮められる。


「メシア、使うぞ。2秒だけ。」


「いいわ。」


 走るメシアの腹に腕を巻くと、蓮永はアニマを発動させ時を止めた。


 止まった世界の中を、蓮永はメシアを抱え一直線に超スピードで移動していく。


 どれくらいのスピードなのか、もはや本人でさえもわかっていないが、木々をあっという間に駆け抜けていくその姿は、止まった世界に唯一吹く一風のようだった。


 2秒が経過……それと同時に、蓮永はアニマを解除し、時は動き出す。


 蓮永は物理に制限される世界にいきなり放り出されるが、その勢いをうまくコントロールし、先程とは違い綺麗に着地した。


「はぁはぁ、どうだ。」


「本当にすごいわ。もうこんなところまで……出口はもう近い。」


 蓮永の腕の中から出てきたメシアは驚きながら、辺りを見渡している。


 ようやく、この忌まわしい森ともおさらばできる。メシアが言うには出口は近いようだ。


「へへっ、もう少しだっ!!」


「ええ、そうね。」


 あと少しで森から出れるという事実は、蓮永遠のやる気を増幅させる。


 蓮永は流れる汗を振り落としながら、全力で走った。

 もう体力的にも走るのは少しキツイ……はずなのだが、少しだけ笑顔さえ見える。

 メシアも安心した顔で、表情を緩ませながら走っていた。


「あと少し……あと、少しっ!!」


 ゴールは目前に……


 その瞬間、凄まじい轟音が辺りに鳴り響いた。地面が揺れ動き、木々があっという間に切断され吹っ飛んでくる。


「なっなんだ!?」


「これ……これは……まさか……!!」


 もの凄い速さで何かが近づいてくる。木などの障害物を全て排除し、確実に蓮永達を狙って何かが来る。


 メシアの風探知は確実だと、思っていた。

 しかし『それ』は、残酷にも現れる。メシアの想像をも超えて、蓮永を確実に抹殺するために……


「なっ……なんだ……あれ……」


「は………は……なんで……ありえない……なんで貴方が……ここに……。」


 蓮永達の前に現れた『それ』の姿は、まさに『死』を体現したような姿であり、見ているだけで生きるという意志さえ失われてしまう。


 その姿は『舌』以外は全て刃のような鋭利な骨であり、長い尻尾、六本の腕、虫のようにもトカゲのようにも見える不気味な容姿だ。

 頭蓋部分は、鋭い牙が生えそろい、ザラザラな肉感ある舌が不自然に伸び、眼球はないが、ドス黒い炎が灯っている。



「やばい……あんなの……どうやって相手にすんだよ。触っただけであんなの……」


 触れただけで切断されてしまう刃のような骨……全てがそんな骨で構成され、とてもじゃないが戦っても勝てる気がしない。


 それは、メシアも同じであり、


「蓮永……逃げて……私を置いて、今すぐ真っ直ぐ走ってっ!!」


 絶望に染まった顔で、風魔法を発動させながら叫ぶ。


「は……?やだ……そんなの……。」


 認めたくないが、そのメシアの顔は絶対に勝てないと告げていた。


 とても頼りになるほど強かったメシアでさえ、絶望に打ちひしがれた顔……自分を囮にして逃げろと言っている。


 本能が逃げろとしつこく蓮永に訴えかけ、本心ではそうしたい気持ちもやまやまだった。

 しかし、、


「いやだ……メシアを置いて……いけるかっ……。」


「早くっ、行きなさいっ!!」


 メシアが風魔法をその怪物に放つが、まるで効いていない。


「くそっ」


 蓮永は、強引にメシアの手を引っ張り走るが、その化け物は大きく飛躍し、蓮永達の前へ立ち塞がった。


 森から出口に向かうには、この化け物を通り抜けるしかない。ないが、少しでも近づけば、命は無い気がする。


 その化け物は、長い鋭利な尻尾をうねうねと自在に動かし、二人の命を刈り取ろうとずっと構えていた。


「こんなのっ」


「あれは、魔物の起源……始まりの魔物。この世界の最強の七体の魔物の一つ、憤怒イラ。」


「イラ……?」


「その体には物理攻撃も魔法攻撃も通さない……無敵の存在よ。」


 七つの最強の魔物……大罪の名を冠する憤怒イラの真っ黒い炎の眼からは、その名に相応しいほどの怒りと憎悪が滲み出ていた。


「なんでだよ……。俺がおめーらになんかしたかよ……。くそっ、なんなんだよっ!!てめーらはっ!!」


 どこに行っても命を狙い、身に覚えのない怒りをぶつけてくる、理不尽な怪物に蓮永もまた怒りを感じ、憤怒する。

 そんな蓮永の憤怒も全く意味がない。

 なぜなら、目の前の怪物……イラは人ではどうこうできない怪物だからだ。

 蓮永の力でも、メシアの力でも、どうにもできないと、最初からわかっている。だが、、


「はっはは……。おまえ、物理も魔法も効かねーんだって?じゃあ、物理を無視した攻撃ならどうよ?」


「ーーっ!!」


 蓮永の言葉の意味にいち早く気づいたメシアは血相を変え、

 

「蓮永っ!!ダメっ戦っちゃダメっ!!」


 そう叫ぶが、蓮永は止まらない。


「潰してやるよっ!!無敵なんざァァ」


 イラも含め全ての世界の時を止め、蓮永は思いっきり飛ぶと、一瞬でイラの顔面まで到達し、今までの理不尽への怒りを存分に込め、精一杯ぶん殴った。


 これで1秒が経過……残された時間はあと1秒。


 残りの0.4秒ほどで着地し、アニマを解除し、時は動き始める。


 すぐに、蓮永がイラを見ると、蓮永が殴った部分に少しヒビが入っていていた。


「やっぱり、攻撃は通るっ……!!」


 物理法則を無視した蓮永の力は、無敵をも凌駕し……


「はっ……?なんで……意味わかんねぇよ……」


 一瞬で、入ったヒビは元に戻り、完全に再生されていく。


 物理攻撃も魔法攻撃も通さない無敵の体。たとえ、攻撃が入ったとしても一瞬で回復する再生力。

 もはや蓮永の倒すという望みは完全に絶たれた。


 その目にはもう生きる意志も宿らず、絶望が蓮永の体を一瞬で飲み込んでいく。


 呆然とそこに立ち尽くす蓮永の命を刈り取ろうと、イラはその長い尻尾を蓮永へ伸ばした。


「蓮永っ!!」


 メシアが特段でかい風魔法を繰り出し、蓮永をガードさせたことにより、尻尾の勢いを弱めることはできたが、無力化はできない。


「はっ!!」


 ようやく、自分の命が危うい状況だということに気づいた蓮永は、とっさにメシアからもらったナイフで防御した。


 危機一髪で、鋭利な尻尾による攻撃をナイフとメシアの風魔法で受け止めることはできたが、それでも完全に防ぎきることはできない。

 蓮永のまだ小さい体は軽々吹っ飛ばされ、近くにあった木へ体を思い切り打ち付けられてしまう。


「がはっ、、あがっ」


 その衝撃に耐え切れるはずもなく、吐血をしている。


「蓮永っ!!私が……なんとかっ……」


 蓮永の命を助けるためにはメシアがこの状況をなんとかするしか無い。しかし、見上げると、絶対に敵うはずもない骨の怪物。


「触れられれば、なんとか」


 メシアが捨て身で近づくと、メシアが伸ばす手に警戒したイラは素早く遠くへ距離をとった。


「やっぱり、高い知能を持ってる。それにこの俊敏な動き……。触れることすら……」


「メシ……ア……やめろ……逃げろ。元々コイツはたぶん俺を狙ってきた……俺を置いてけば、おまえはたぶん助かる。」


 メシアも初めてのこの状況、おそらく蓮永と共にいることが原因だろう。ならば、もしかすると、蓮永から離れれば、助かるかもしれない。


「貴方が逃げなかったように、私も逃げないわ。貴方は必ず私が助ける。」


「どう……して……。」


 自分のせいで、命が消える。

 自分の前で、また命がなくなる。

 前の世界でも親を亡くし、知っている気持ちだ。自分の無力感に、悔しさと怒りが込み上げ、涙が流れ出す。


「触れさえすれば、まだ……どうやる?」


 とにかく風魔法を打ち込み、イラの動きを止めようとするがまるで効かず、意味がない。


 魔法すら効かないその体には何をしても意味がないのだ。


「メシア……離れろっ!!そこからっ!!」


 蓮永が叫び、その叫び声でメシアはようやく気づく。

 背後にすでにイラの鋭利な尻尾が伸びていることを……


「ぁぁ……」


 もはや、間に合わない。魔法を発動する時間も、そこから逃げる時間もない。もう、メシアは助からない。


「あぁ、これで……。」


 メシアは己の死を理解し、ゆっくりと目を閉じた。

 しかし、、


「こうなったのは、俺と一緒にいたから……俺のせいで死なれるのはごめんだ。」


 そこにはもはや体に力が入りきっていない蓮永の姿があった。この刹那のうちにここまで移動できるのは……


「なんで……?」


 蓮永は最後の力を振り絞り、一瞬だけ時を止めてここまで近づいたのだ。

 残っていた止められる時間は0.6秒。


 ここまで近づくのにやっとの時間であり、アニマは強制解除され、蓮永の体に力はもう残っていない。


 それでも最期まで力を振り絞り、、


「ありがとうな」


 メシアの体を横から突き飛ばした。


 その瞬間、迫っていた尻尾はメシアの代わりに蓮永を真っ二つに両断する。


「……えっ?」


 暖かな蓮永の血液が辺りに飛び散り、メシアの顔を赤く染め上げた。


 皮膚も臓器も肉も、全て綺麗に切断され、地面を血で染め上げながら、蓮永の意識は、メシアに絶望を残し消えていく。


「ぁ……あぁ……いや……いやぁ……いやよ。そんなの…。」


 顔に降りかかった蓮永の血液が額から頬にかけて流れ落ち、頬から、メシアの下に偶然咲いていた花へと流れ落ちた。


 その白い花は、流れ落ちた蓮永の血液で赤く染まる。

 まるで、メシアの哀しみを表しているかのように……


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