第5話 西へ

 かつては立派な城門だったのだろう、それを抜けて、カヴォロスは廃城を振り返る。

 やはり。カヴォロスの胸に郷愁のような想いが飛来する。大部分が崩れ無残な状態となっているが、これはかつての魔王城。どれほどの時間が経過しているのかはわからなかったが、間違いない。


 東の方を見やる。轟音とともに、彼方から迫り来る鬼たちの姿が見えた。魔王城より東は、果てのない山脈が連なっている、世界の果てとも呼ばれる難所だ。奴らはそこを乗り越えて来たというのか。


結花ゆか、急ぐぞ。しっかり掴まってろ」

「は、はいっ! きゃっ……!」


 結花が返事をしたと同時に、カヴォロスは彼女を抱えて駆け出した。北や南にも世界の果ての山々は延びている。越えて行けば魔族の里があるはずだが、魔王城のこの有様を見るにどうなっているかはわからない。なにより、結花を抱えての山越えは相当難しいだろう。


 よってカヴォロスは西へと走った。西にある王国とは即ち、魔王軍と戦いを続けてきたアルド王国である。辰真たつまの言った通りの方角へ逃げなければならないのはまことに業腹であったが、それ以上にまさかこの四魔神将よんましんしょうカヴォロスが、城を捨てて西へと落ち延びなければならないとは。


 カヴォロスとしての矜持は完全に引き裂かれていた。同時にこの風体で人里へ入ることへの不安もある。考えれば考えるほど厄介な状況のように思えてきたが、それでも足を止めるわけにはいかない。


 カヴォロスは進む先に見えてきていた森の中へと飛び込んだ。魔王城とアルド王国を隔てるように存在するこの樹海は、慣れない者が抜けるには早くても二日は掛かると言われる、天然の防壁だった。無論、隅々まで知り尽くしているカヴォロスには一日も必要ないのだが。


 ある程度奥まで進むと、鬼どもの気配が遠ざかっていくのを感じた。正確には、奴らは魔王城で足を止めているのだろう。


「よし、もう大丈夫みたいだな」


 と、カヴォロスは結花を地面に降ろしてやる。


「あ、ありがとう……ございます」

「いや、別に敬語じゃなくていいんだけどさ」


 礼を言いながらも不安げな表情で見上げてくる結花を前に、カヴォロスとしても竜成たつなりとしてもどう説明したものかと頭を掻く。


「……取り敢えず、ここには日本にいない虫やら植物も多いからな。そういうのに狙われないように加護を掛けとくよ。俺はあまり術の類は得意じゃないから、気休めにしかならないかもしれないけど……」


 と、カヴォロスは魔力を起動させる。この世界では、生物の持つ超常的な力の源を総じて魔力と呼んでいる。これを用いて引き起こした超常現象が、魔術だ。厳密な学問に於いては、魔法・魔術・魔力と分類されるそうだが、力自体が魔力・それを使うのが魔術という認識が一般的である。


 ともかく、カヴォロスは掌に意識を集中し、魔術を行使する。対象の身体を魔力で包み、害のある虫などを寄せ付けなくするという、初歩的な魔術であるのだが、カヴォロスはどうしてもこういった精密な魔力操作が苦手だった。


 それでもなんとか、魔術として形にする事はできた。結花を対象に、魔術は効果を発揮する――筈だったのだが。


「きゃっ!」


 淡く銀色に輝く魔力の膜が、結花の身体を包もうとした時だ。突然、それは泡のように弾けて消えてしまった。破裂音に声を上げる結花と、それを見て目を見開くカヴォロス。魔術行使を失敗した訳ではない。結花の中から確かな抵抗を感じた。結花の魔力がカヴォロスの魔力と反発し、結果、拒絶されたのだ。


「大丈夫か、結花」

「は、はい……」


 結花は何が起こったのか分からない、といった調子である。自分の中にある魔力に無自覚なのが見て取れる。


 初歩的な魔術とは言え、カヴォロスの魔力は強大である。跳ね除けるにはそれ相応に強い魔力でなければならないが、なるほど。ここまで見事に、しかも一瞬で拒絶できる魔力となるとそういうことか。


 勇者。聖剣リュミエール・リーンフォースによってこの世界に召喚された、勇者の魔力だからこそ為せる業だった。


「あの……。それで、あなたは……竜成君、なの?」


 なおも不安げにこちらを見上げてくる彼女に、カヴォロスは頷いて見せる。


「信じられないかもしれないけど、俺は間違いなく宮木みやぎ竜成だよ。今のこの身体は四魔神将カヴォロスって言って、俺の前世なんだ」

「そっか……。なら、よかっ……た……」

「結花!?」


 ふっと、結花の身体が倒れていく。カヴォロスはそれを慌てて支えると、彼女の状態を確認する。

 結花は柔らかい寝息を立てていた。どうやら、緊張の糸が切れて眠りに就いたらしい。カヴォロスは息を吐き、彼女の頭を撫でようとする。


「――何をしているのです?」


 木々の奥から鋭く声をかけられたのは、その瞬間だった。

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