【05】

惑星ネッツピアは、霧に覆われた星だった。

地表に水系は存在せず、地中から湧き出す蒸気が惑星表面全体を覆っている。

その蒸気中に含まれる様々な成分を糧にして、惑星上の生物は生命を維持しているのだ。


ネッツピアは、多様な植物相に恵まれていたが、確認されている限りでは、動物は二種類しか存在していなかった。

そのうちのヨランゲタリと名付けられた種は、体表面から不規則に生える11肢を持つ球形の大型動物で、惑星上の植物を摂取して暮らす、穏やかな生き物だった。

体躯は幼体でも3トコーネ(1トコーネ=1.63メートル)を超え、10トコーネを超える大型の個体も確認されていた。


一方、ヨンクムドリと呼ばれるものは、平均して1ヌルトコーネ(=3.28ミリメートル)程度の大きさしかない小型動物で、無肢楕球形の体躯を持っていた。

ヨンクムドリは数万から数十万単位の個体が集まってコロニーを形成しているようだった。その生態は不明な点が多かったのだが、蒸気中の成分から栄養を摂取していることが、これまでの調査で判明していた。


いずれの動物も知能は非常に低く、性格は至って臆病で、攻撃性も殆どないというAIの分析結果が出ている。

ルクテロはAIに蓄積された、ネッツピア上の生物データを再度確認していた。艦橋に設けられた執務室からは、淡黄色に輝く惑星ネッツピア全体を見渡すことが出来る。


最終リープ航行を終えて、戦艦チルトクローテをネッツピア軌道上に置いたのは、5サバル(1サバル=1.31時間)前だった。

到着直後から惑星上の植民基地に対して、20レサバル(1レサバル=0.48分)以上に渡って通信を試みたが、基地からの応答はこれまで一切なかった。

そのことは植民基地において、当初の想定以上の事態が発生していることを、如実に物語っていた。


事態の緊急性を感じたルクテロは、チルトクローテの惑星着陸に先立って、先遣隊を派遣することを即座に決断する。そしてその指揮官として、8等級指揮官(コジェ星外軍の位階構成は1等級から16等級まで、指揮官は10等級以上)であるソパムを、彼女の執務室に呼び出した。


ソパムは一般層の軍人で、1.5ゴドル前から、ルクテロの麾下に所属していた。

彼の持つ8等級の位階は一般層の中では3番目に高い地位だった。

AIから、その小規模部隊の指揮能力を高く評価されているだけではなく、個体としての戦闘能力も、数多いる彼女の麾下の中で、トップクラスに数えられていた。

軍歴も長く、星外での活動経験も豊富だったので、本来であれば一般層で最上級の、6等級に昇格していてもおかしくはなかったのだが、何故か本人が昇格を拒み続けていた。


ルクテロはそのことを不審に思わなくもなかった。

しかしコジェでは、AIが測定する能力値と適性に問題がなければ、どの職業を選択するかは完全に個人の自由という原則があったため、彼女がその点についてソパムに問い質すことはなかった。


暫くすると執務室のインターフォンが鳴り、続いてソパムが入室を求める声がした。ルクテロが執務室のドアを開放すると、

「ソパム8等級指揮官、入室します」

と、ソパムがコジェ軍の正式礼に則って申告し、ルクテロの前まで進んで直立する。


彼はコジェム成人男性個体の平均値を、大きく上回る体躯を有しているので、まだ成人年齢に達していないルクテロは、ソパムを見上げながら指令を出さなければならない。因みに、コジェムにおける成人年齢は、個体の成長が停止する年齢の平均値として規定されており、各個体の能力とは別の規格であった。


「ソパム指揮官、直立姿勢を解除してよろしい」

ルクテロはそう言った後、部下が通常姿勢に戻ったことを確認し、指令を出した。

「これより、1サバル後に麾下の2隊を率いて、ネッツピアの偵察任務に就きなさい」

「承知しました。偵察範囲の指示をお願いします」

ソパムの端的な問いに、ルクテロは答える。

「範囲は植民基幹基地を中心に、半径3コーネ(1コーネ=0.91キロメートル)とします。現在こちらからの通信に対して、基地からは一切の応答がない状況です。様々な不確定要素が考えられますので、部隊は冷静に行動しなさい」


「不確定要素とは具体的にどのようなものでしょうか」

「一つは大規模自然災害です。その場合は、状況に応じて生存者の救助または撤退を選択しなさい。次に、異星人による侵略です。もしそのような状況を確認した場合は、戦闘を避け、即時撤退しなさい。撤退時には味方の損害を最小限にする対応を採りなさい。そして可能性は非常に低いと考えますが、病原性微生物による疫病の蔓延です。それに備えて部隊は最上級の防護装備を着用しなさい」


ルクテロが「疫病の蔓延」の可能性が、「非常に低い」と断定したことには理由があった。

かつてコジェでは、近代社会の創成後間もなく、ある病原性微生物によるパンデミックを経験したのだ。

その結果、大きな人的被害を受け、社会基盤が揺らぐ程の事態に陥ったのだった。


その経験に基づき、コジェムは<ミソ>という微生物による、生体防御機構を創成したのだった。

<ミソ>は人為的に作られた微生物で、コジェムの体構成物質との高い親和性を付与されていた。

また<ミソ>からは、変異原性が完全に除去されていたので、突然変異によってコジェムに危害を及ぼす可能性がないことが、AIによって確認されていた。


そして<ミソ>の最大の特徴は、他の微生物に対する絶対的優位性であった。

<ミソ>は自身のテリトリーを侵犯する他の微生物に対して、圧倒的な捕食力を持って制圧する能力を付与されていたのだ。

その結果、コジェムは<ミソ>との共生によって、他の微生物に対する、完璧と言える防御機構を獲得することが出来たのだ。

この機構は、ネッツピアに存在する微小生物にも有効であることが、植民前の調査段階で確認されていた。


「ネッツピアの原生生物の危険性については、不確定要素に含まれないのでしょうか?AIによって危険レベルが低いと判定されていることは承知していますが、惑星ソタの例もあります」

ソパムは、ソタ掃討戦にも参加していた。戦後、精神的異常を訴えた者の中には含まれていなかったが、彼があの悲惨な戦いによって精神的ダメージを受けていなかったとは言い切れないとルクテロは思った。


「あなたの懸念は理解できます。可能性としては非常に低いと考えますが、レベル1の装備を携行することを許可します。他に懸念事項はありますか?」

「ありません。では、1サバル後に2隊を率いて、偵察任務に出発します」

ソパムはそう言って踵を返すと、ルクテロの執務室を後にした。

その後姿を見送りながら、ルクテロは漠然とした大きな不安を感じずにはいられなかった。

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