第33話 満月の夜に

◇◇◇◆◇◇


 樹海の奥の小さな洞窟内に造ったキャンプの中で俺達は正座を強いられていた。

 ほんの少し揶揄からかっただけで奥歯を1本吹き飛ばされる程のビンタを喰らい、悔し涙を堪えながら正座をしている自分がなんとも情けない。

 俺の隣では同じく頬を腫した相棒ストラスが号泣していた。


「……すみませんでした」


 俺は地面に同化しそうな深い土下座をして顔色を伺う。

 その目の前には仁王立ちをする馬鹿上……ベ・リア様。

 報告から約4時間が経過していたので流石に怒りが収まっているだろうと、俺はタカを括っていた。

 しかしその読みは故郷で母親が造ってくれたパンケーキよりも甘かった。

 ベ・リア様にビンタをされた瞬間意識が飛び、走馬灯の中で幼い頃の優しかった母の記憶が鮮明に蘇った。

 あの頃は悩みなんて微塵も無かった、楽しい毎日と明日への期待で溢れていた。

 早く大人になりたいと思っていた自分の浅はかさが懐かしい。

 この悔し涙は、あの頃に感じていた漠然とした理想と、今現在の現実との乖離から来ているのだ。

 今、俺の脳裏に浮かぶ言葉は「こんなはずじゃなかった」だ。


 ――小1時間、中身の薄い感情に任せた説教を受け少しは気が晴れたのか、彼女は洞窟に不釣り合いな豪華なイスに腰掛け向き直る。

 当然俺達は正座姿勢のままベ・リア様を仰ぎ見る。

 このテントに似使わない上級貴族が座るイスに座し、長くすらっと脚を見せつけるかのように組み替える。

 サガと言うべきか自然と視線が追ってしまう。

 本当に外見だけは良いんだよな。

 それにしても、洞窟に不釣り合いなあの豪華なイスはどこからかっぱらって来たんだろうか。

 後々、問題にならなければ良いが……。


「……で?」


 スラリと伸びた御身足をジッと見つめていると、不機嫌そうな声が正面から聞こえてきた。


「はい?」


 俺は顔を上げると見下すような冷たい視線が目に入る。

 この表情はイライラ度15パーセントって所だ。


「……どーすんだって聞いてんだよ!」


 彼女は突き刺さるような視線と蔑むような態度で俺達を詰める。

 口調の強弱で分かるが彼女は極めて落ち着いている。

 その事を見抜いた俺のイタズラ心にくすぶる小さな火種が再燃し始めた。


「えーっと……俺達、仕事に自信が持てなくなりました。真剣に辞職を考えようと思います」


 俺は正面のベ・リア様から視線を下げ、項垂れるように言葉を発した。

 視界の端に「えっ!?」という表情のストラスが薄っすらと見える。

 しかし、俺の考えを見抜いたのか「またかよ……」みたいな表情を浮かべ、がくりと肩を落とした。

 いいぞ、多分俺に呆れただけで、意味合いは違うが悲壮感があるように見えるはずだ。


「な、何でだよ突然!? んな話してねーだろうが!!」


 脳筋が動揺するのは分かり易くて良い、簡単に表情や仕草に出る。

 完全に焦っている様子で足をせわしなく2度組み替え、視線も左右に泳ぐ。

 このポンコツ具合があるから、この人の部下を辞めれないんだろうな。


「いや、俺達もう自信が無くなって……田舎にでも帰ろうかと話してるんですよ。」


 真っ赤な嘘である。

 俺は悲壮感を装い項垂れた姿勢のままボソボソと話す。

 焦りの色がより色濃く表情や態度に出始めた。


「な、何言ってんだ、馬鹿かお前は! 俺が厳しく当たるのは、お前達に期待しているからだ。……分かるな?」


 ベ・リア様は大きく溜息をつき、俺達を諭すような語り口調に変わる。

 どうやら獲物が餌にかかったようだな……しめしめ。


「いや、まぁ……そうだな。そういう生き方の方が良いかも知れないな。」


 おや?何だかいつもと反応が違う。

 最初は焦り、すぐに笑いながら流そうと話を逸らし始めるのだが……。

 何か気落ちしているような、そんな風に見える。


 いつもと違う様子に俺はストラスの方に視線を向ける。

 ストラスも若干ではあるが困惑の表情を浮かべていた。


「……どの道、この作戦が終わったらお前らも自由にしてやる。」


 俺達は自分の耳を疑った。

 自由とは、どういう意味だろう。

 クビって事か?マジで!?田舎に帰るっていう発言はベ・リア様にとって好都合だったのか!?

 急に意外な反撃を喰らった俺は逆に焦る。


「この作戦が失敗したら俺はティンダロス国から処刑命令が下る。だが、お前達には罰がいかないように話しは通しておいた。成功しても俺は国を去る予定だがな、そん時の手柄はお前ら2人で山分けすれば良い」


 ベ・リア様はそう言って笑う。

 その表情は本心から笑っているようには見えなかった。


 ……それは初耳だ。

 この作戦が失敗したら、俺達を巻き込んで国外逃亡するものだとばかり思っていた。

 ベ・リア様の言う事が本当なら自分だけに矛先を向けて、俺達を庇ったという話だ。

 そして、成功した場合でも報酬は俺達だけで山分け?冗談だろう?俺は夢でも見ているのだろうか?

 もしかして、悪戯に揶揄からかわれているのは俺達なのか!?

 ……って感じでもなさそうだ。


「……どのみち3人でする最後の仕事だ、今回だけは必ず成功させるぞ」


 寂しそうな彼女の微笑みに俺の中でクシャっと何かの感情が押しつぶされたような気がした。

 俺とストラスは顔を見合わせ無言で頷く。


「……絶対に成功させましょう! 仮に失敗したとしても俺はベ・リア様に着いて行きます!」


 気が付いたら俺は叫んでいた。

 自分でも信じられないくらい力強くだ。


「お、俺もです!!」


 ストラスも驚いた表情で俺の意見に賛同する。


「お、お前達……!」


 ベ・リア様は涙ぐみながら俺達2人を抱き寄せる。

 彼女の放漫なボディと爽やかな香りが俺達の性衝動を刺激する。

 稀にあるこの大胆とも呼べる感情表現も、部下を辞められない原因だという事を俺は改めて思い知った。

 しかし、今回は失敗が許されない。

 俺は自慢の頭脳をフル回転させて作戦を立てる。


 ストラスの集めた情報を基に俺は作戦立案をする。

 まずは、あの少年の持つ強力な武器を奪う。

 剣術は素人同然だが、あの剣は他の騎士の物よりも明らかに別格の強さだ。


 利用出来そうな人物の情報を相棒が調べ上げていた。

 名工と呼ばれるルーン技師の血縁者が村から少し離れた所に住んでいるらしい。

 その男はルーン技師として半人前以下で、現在は狩りをして生計を立てている目立たない存在らしい。

 世捨て人のような人物で、そもそも本当に弟子だったかも怪しいレベルの情報だ。

 まぁその方が好都合だし、そいつを利用してあの強力な剣を奪い取る算段だ。


 そして、ストラスが樹海の中腹で 魔法スペルによる大爆発を起こし村の自警団を誘き寄せる。

 更に村の中にオルトロスを放ち暴れさせる。

 そうすれば、御付きの騎士の何人かはオルトロスの方に向かうはずだ。

 俺は簡単に書いた周囲の地図に印と動く方向を書き込みながら説明をする。


「……戦力が分散した所で俺とベ・リア様で少年を捕縛して、この場所で合流だ」


 広げた地図を指し示し、矢印とポイントを書き込む。

 あとは弟子をどう使うか……だ。


「良い作戦だ、その弟子を焚きつける仕事は俺に任せてくれ」


 何か策があるのか、ストラスが名乗り出る。

 ベ・リア様の話を聞いてから顔付きが引き締まったように見える。

 相棒も何か想う所があるのだろう。


「頼んだぞストラス。武器を奪ったその夜が決行日だ」


 俺達が俄然やる気を出した事が嬉しかったのか、ベ・リア様は以前の自信に満ちたような表情で笑っていた。

 今までに感じた事の無い連帯感というか、初めてチームとなった感じがした。


「俺は今から弟子接触を試みます。同種族の俺なら潜入に向いてますからね。そうだろ? バラム。」


「ああ、お前が頼りだ。あの厄介な剣が無くなれば作戦成功率は各段に上がるはずだ。頼んだぞ!」


 俺達は硬く握手を交わし、作戦準備を始める。

 どんなに暴力を振るわれようが、世間一般的にブラック企業だと思われようが関係無い。

 俺は、このバイオレンス馬鹿エロ上司の下で働くのが生き甲斐なんだ。


 この先どうするかはベ・リア様が決めるだろう、俺はそれに付いて行く。

 多分、相棒もそうするはずだ。

 必ず作戦を成功させて、より良い形で自由を得よう。



◆◇◇◇◇◇



 ……眠れない。


 目を瞑って2時間……

 何度かの浅い眠りから完全に覚醒し目が覚める。

 僕は持参した寝袋から這い出し起き上がる。


 珍しくスピカの姿が見当たらない。

 夜行性のスピカは大抵視界の中で丸くなっているのだが、今日はどこかに出かけたらしい。


 部屋の窓から大きく輝く満月が見えた。

 僕が何気無く外に出ると屋根の上で夜番をしていたネイがひょっっこりと顔を覗かせた。

 どこか儚げな彼女の姿は月夜にとても映えて見えた。


「なんとなく寝れなくて」


 僕がそう言うと、彼女はヒョイヒョイと手招きをした。

 屋根に上がって来いという事だろうか。


 僕は彼女に促されるままに梯子で屋根の上に登る。

 周囲を囲う木々の葉が薄っすらと輝きを放ち、なんとも幻想的な情景に思えた。

 屋根のに登ると一部だけ平たくなったベランダに彼女の寝袋が置いてある。


「……落ち込んでる?」


 彼女は自然に僕の隣に座り、そっと肩を寄せる。

 この距離感が異性と接する時の緊張と同時に不思議な安らぎを与えてくれる。


「……うん、多分。実家の父親やセロ社長みたいにさ、お客様に対して毅然とした態度で接するって難しいなって感じたよ」


「……そう」


 彼女はそれ以上言葉をつらねる事は無かった。

 昔だったら、この沈黙に多少の不安や何か喋らないといけないような焦りを感じたものだけど、いつの間にかそういう感覚は無くなった。

 お互いの丁度良い距離感や接し方が分かるようになったからだろう。


 静寂に包まれた森の中で、僕達は並んで夜空の月を眺める。

 不意に彼女の冷たい手がベランダに置かれた僕の手に重なる。


 えっ?えっ!?


 突然の出来事に盛大に焦る。

 普段僕の手を掴んで前へと進むような力強さではなく、優しく包み込むような感じだ。

 これはどういう意味を持つのだろうか?

 そして、握り返すべきなのか?


 ここ最近、ネイの事を異性の女性として意識をしている自分がいた。

 でも彼女にとって僕は家族のような存在であって、恋人みたいな関係にはなれないと漠然と感じていた。

 それは、周囲から僕達の距離感を揶揄からかわれていた事も原因の1つだろう。

 でも、たった今気付いてしまった。

 僕は多分ずっと前からネイの事を異性として好きなんだ……と。


 月明かりに照らされた美しい銀髪がキラキラと輝き、愛おしいという気持ちが湧き上がる。

 しかし、僕の感じている気持ちと彼女の感じている気持ちが必ずしも同じとは限らない。

 考え方や年齢、これまでの人生経験……そういった彼女を構成する全てが僕と違い過ぎるからだ。


 ビクトリアならぼんやりと何を考えているのか分かるのに。

 ……って、こんな時に何でビクトリアが浮かんでくるんだ?

 彼女は今無関係だろうに!ああ、もう……


 僕の脳内で色々な事柄が渦巻いては消える。

 妙な期待と謎の高揚感、彼女を知りたいという想いと1歩踏み出した時に今の良好な関係が崩れて壊れるんじゃないかという恐怖に近い不安感がごちゃ混ぜとなっている。


 僕は息を飲み、意を決して彼女の手をそっと握り返す。

 自然と互いの指と指が交差するように握られる。

 彼女は今、何を考えているのだろうか?

 僕のように訳の分からない感情に支配されているのだろうか。

 都合の良い解釈を考えている自分がいて、それを否定し失笑する自分がいる。


「……あのっ! ネイ!」


 僕が微妙に上ずった声で名前を呼ぶと、彼女は僕の方を向き目と目で見つめ合う形になる。

 彼女の赤い瞳が宝石のように神秘的で、吸い込まれるような錯覚に陥る。

 胸の鼓動が有り得ないくらいに高鳴り、緊張が最大値まで達する。

 気付いてしまった自分の気持ちを相手に伝えたい、でもその言葉は簡単には口に出せない。


 こ、告白をするってこんなにも緊張するものなのか!?

 大丈夫だと自分に言い聞かせるけれど、失敗した時の事が脳裏にチラつき邪魔をする。

 自分で名前を呼んだくせに、いざとなったら言葉が続かない。

 好きな気持ちよりも、今の関係が壊れてしまうのが恐いと繰り返し考えてしまう。


 そのまま互いに無言で見つめ合って約1分が経過した。

 しかし、今の僕には永遠とも思える長い時間が経過しているように感じる。

 僕は意を決して沈黙の魔法スペルを掛けられたような重い口を無理矢理開いた。


「ぼ、僕はネイの事が……」


 途切れ途切れに裁断された言葉が口から洩れる。

 錯覚かも知れないし、都合の良い幻覚かも知れない。

 月明かりの中で彼女の頬がほんのり赤みを帯びている様に見えた。


 ドオオォォオォォォン!!


 その時、樹海の西で巨大な爆発が起こる。

 屋根の上からでも目視できる程の火災と煙が夜空に向けて濛々と立ち登っていた。

 ……な、なんだ!?

 村じゃないな、かなり離れた場所のように見える。


 嫌な予感がする。

 いつだって”厄災”は爆発音と共に訪れる、そんな気がする。

 集落の時もタロス国でもそうだった。


 告白を前に高鳴った僕の心臓は一気に通常の鼓動を取り戻し始めていた。

 何が起きたか分からないが、一世一代の告白を邪魔された事に少しだけ苛立ちを覚えた。

 彼女は即座に立ち上がり、その様子を確認しようと必死に目を凝らす。

 場所は断定出来ないけど、村からはかなり遠い位置だ。


 家の入口が勢い良く開く音が聞こえ、誰かが飛び出したのが見えた。


「ふ、副隊長! ラルク君が行方不明です!! それに何か爆発のような音が聞こえましたが!?」


 あの声はアネッタさんだ。

 僕の抜け殻となった寝袋を見てあせっている様子だった。


「あの、僕はここに居ます」


 僕は屋根の死角から顔を覗かせるとアネッタさんは安堵の表情を浮かべる。

 しかし、すぐに真剣な表情に戻り煙の立ち昇る樹海の方向へと視線を向ける。

 2度目の爆発が鳴り響いたと同時に、別方向から悲鳴が響いた。


「きゃぁぁぁ!?」


「うわぁぁぁ!」


「に、逃げろ!!」


 今度は村の方角から人々の悲鳴が聞こえて来た。

 何か騒ぎが起きている様子だ。


「次から次へと……今度は何だ!?」


 家屋から薄着のルーティアさんと、眠そうな表情のセロ社長が出て来た。


「……アネッタ、お願い!」


 ネイは短く指示を出すとアネッタさんは1度だけ頷き、村の方へと走って行った。

 僕はネイに連れられて家の中へと避難する。

 社長も状況が理解出来ずに寝惚けまなこを擦っていた。

 ルーティアさんは部屋の明かりは付けずに社長を警護するように入口に控えている。


「ああ、ラルク君無事だったんですね。寝袋が空だったので焦りましたよ」


「す、すみません。屋根の上でネイと話してました」


 告白をしようとしたけれど勇気がなかった……などと言えるはずもなく、中身の無い簡素な報告をする。

 先程の良い雰囲気を思い出して心がモヤモヤする。


 しばらくすると息を切らしたアネッタさんが家に飛び込んで来た。

 そして開口1番に現在の状況を告げる。


「ハァハァ……村から西側に当たる樹海で大規模な森林火災が起きています。そちらに自警団が消化作業に向かったようです」


 森林火災……

 あれは何かが爆発したかのように見えたけど。

 僕が先程の状況を思い出していると、アネッタさんは更に話を続ける。


「あと村の東側で巨大な獣型のモンスターが暴れているとの事で、シャニカが獣の方に向かいました。もしかしたら私達が襲われた黒い獣と同種かも知れません!」


 巨大な獣と聞いた時、ネイの表情が険しくなる。

 昨日に引き続き、またしても現れたのか?一体何匹いて、何が目的で襲って来るんだ。


「……ルーティア。ラルクと社長をお願い。アネッタ場所を!」


「りょ、了解しました。」


 ルーティアさんはすぐに敬礼を返し、それを確認したネイは梯子はしごを下りる。

 その素早い動きは、日々訓練を重ねた騎士の動きそのものだった。


「……案内します!」


 ネイはアネッタさんに目的地へと先導するように促す。

 自分も行きたい衝動に駆られるが、……武器が無い。

 おとりくらいにはなれるんじゃないだろうか?

 そう思った瞬間に目的地に向かおうとしていたネイが振り向き強い口調で話す。


「……ラルクはここに居て!」


 珍しく強い口調に気圧されて、僕は首を縦に振るしか無かった。

 思い返すと何とも情けない話だ。

 武器が無いなんて、都合の良い言い訳でしかないよな。


 そして、ネイとアネッタさんは街の方へと駆け出して行った。

 僕と社長はルーティアさんの護衛のもと、この家の中で彼女達の帰りを待つしか無かった。

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