第3話 南極大陸
目の前の黒猫はごく自然に自分の理解出来る言語を喋る。
あまりにも自然すぎて、”それが普通です”と錯覚してしまう程だ。
「一応聞くけど、お前の名前は?」
「ああ、ごめん。僕の名前はラルク、15歳です。」
驚きはしたけど、喋る猫という不思議生物を簡単に受け入れている自分が居た。
そう言えば学校の授業で
確か世界的に絶滅危惧種・・・だったような?
先程まで受けた非現実的で非人道的な仕打ちに比べたら、猫が喋るなんて事は些細な事に思える。
「じゃ、ラルク。聞くけど何でそんなにボコボコにされてたんだ?」
脳裏に映像がフラッシュバックする。
目隠しをされた状態で殴られ蹴られ、刃物で斬られ、熱した何かを押し当てられ、生皮を剥がれ、爪を折られ・・・状況が見えない恐怖と突然に訪れる強烈な痛みと苦痛が延々と続く感覚。
受けた様々な拷問の数々を思い出し、胃液が逆流してくる。
「うぷっ・・・うおえぇぇぇ!」
「うっわ!汚ねぇな!急にどうした?大丈夫か?」
背中側で手枷をされた両腕では嗚咽を隠す事が出来ず口から薄っすら血液の混ざった胃液が漏れる。
それが情けなくてまた涙が出始める。
なんで僕がこんな目に遭わないといけないんだ。
「おいおい!男が簡単に涙なんか流すなよ。落ち着いてからで良いからさ、話してみろよ。少しは楽になるかも知れないぜ。なっ!」
男とか女とか、そういう次元の話じゃない。
人の気も知らないでペシペシと小さな手で頭を叩く黒猫。
しかし今は目の前の不思議な黒猫が自分に対して気軽に接してくれる事に、不思議と温かさのようなモノを感じていた。
しばらくして、少し落ち着いた僕は今までの経緯をスピカに話した。
スピカはただただ、こちらを見つめながらウンウンと話しを聞く。
僕が言葉を紡ぎ、スピカがそれを聞く。
会話の内容は別として、ごく普通に"話しを聞いて貰う"という行為が不思議と僕の心の傷を軽くしてくれているような気がした。
「そうか、大変だったな。まぁ元気出せよ、な!」
・・・軽い、黒猫の感想は果てしなく軽い。
何か慰めのようなモノを期待していた自分がいたのだろうか?
けれど、ほぼ初対面だし・・・猫に同情されるのも微妙な気がする。
「・・・所でこの船は何処に向かっているんだろう。」
僕は自分の置かれている状況をなんとなく理解していた。
国外追放、俗に言う「島流し」だ。
遥か遠い無人島に捨てられるのか、それとも罪人だらけの監獄島みたいな所があるのだろうか。
「タクティカって知ってるか?そこに向かうって言ってたぜ。」
タクティカ!?
タクティカって世界地図の最南端・・・南極大陸じゃないか!?
・・・思えば少し肌寒さを感じる。
「これでも俺様が
「そうなのか?ありがとう。」
お礼を言うとスピカは目を見開いて、少し驚いたような表情をする。
えっと、何故そこで驚いているんだろう。
「お、おう!意外と素直だな。人間にしては珍しい。」
意図しない受け答えをされたように、ぎこちない言葉が飛び出す。
しかしすぐにスピカは満足そうにコロコロと笑った。
そういえば、回復魔法も使ったと言っていたような・・・?
改めて体をよじってみると、確かに全身受けた裂傷や刺傷の痛みを感じない。
多少、口内や食道内に血液独特の鉄分の味を感じるだけで外傷は無さそうだ。
しかし、国外追放でその先が南極とは・・・
地図でしか見た事の無い極寒の大陸。
一応、国が存在していると地理の授業で習ったと思う。
アルテナの街の南には大きな港が有り、そこから船が各国に出ているが南極に向かう船は存在しない。
この船は国外追放の為にわざわざ国が準備した臨時船なんだ。
気持ちが少し落ち着いた僕は、改めて薄暗い部屋を見渡す。
木箱にタルが複数置いて有るが、その大半が保存食で良く見ると積荷自体は少ない様子。
アルテナの港から南極大陸までは、どんなに高性能な船を使ったとしても距離的に最低8日以上掛かる。
この事から船の乗員自体、少人数なんだろうと思った。
「お前7日間くらい寝てたから、そろそろ着くんじゃねぇか?」
意識が無かったせいで覚えて無いが、自分の感覚的に昨日拷問を受けていたと錯覚していた。
過度な精神的・肉体的苦痛を受けた為か、体が仮死状態のような感じになっていたのだろう。
「・・・そんなに寝てたのか。」
僕は薄暗い部屋の中でゆっくりと体を起こす。
後ろ手に枷が付いているせいで起き上がるにも苦戦を強いられる。
なんとか
この猫特有の小さい隙間に入りたがる仕草は精神的癒しに繋がると思った。
「これで、もう少しは暖かいだろ?」
「うん、スピカありがとう。」
スピカは目を細めてニコッと笑う。
人懐っこい喋る猫はなんとも愛らしいと感じる。
そして黒猫の体温が直に伝わり、冷えていた足がほんのり温かい。
撫でて愛でたいが後ろ手の枷が邪魔で腕が前に回せない。
肩が外せれば・・・いや無理です、残念。
船の柱に背中を預け、スピカの体温を感じながら物思いに耽る。
故郷での温かな日々が沢山思い出される。
父と母と妹、皆に迷惑が掛かって無ければ良いけど・・・
僕と血が繋がって無い事が、ある意味唯一の救いかも知れない。
血縁だとしたら一族根絶やしみたいな事も拷問をした連中ならしかねない。
義理の家族と言う事は調べればすぐに分かるはずだ。
・・・国が家族に危害を加える事は無いと信じたい。
僕は結局、お世話になりっぱなしで恩返しなんて出来なかったな・・・。
・・・しかも最後まで迷惑を掛けてしまったかも知れない。
僕は改めて、自分自身の加護に恨みのような感情を抱いた。
・
・
・
「おい!起きろ!起きるんだ!」
体に衝撃を受けて痛みで目が覚める。
どうやら、また眠ってしまったらしい。
目の前には筋肉質の男が2人立っていた。
屈強な海の男・・・と言うよりは"荒くれ者"と形容した方がしっくりくる外見だ。
周囲を確認すると喋る黒猫の姿は見当たらなかった。
脚に感じていた温かみはもう無い。
それどころか身震いする程の寒さが全身を突き刺す。
何だ・・・夢だったのか。
僕は男達に引きずられ、艦橋から放られるように投げ出される。
船から降りてきた小柄の男が鍵を使って手枷を外した。
両腕が自由に動かせるのはとても久しぶりだ。
周囲を見渡すと、そこには雪に覆われた広大な大地が広がっていた。
そして眩しい太陽が輝付けているがかなり気温が低いと気付き、思わず身震いする。
「ほらよ。」
小さな麻袋を一つ放り投げ、男達は船へ戻って行った。
無情にも船は出向し、そして水平線へと消えて行った。
麻袋の中には麻で出来た薄手のローブと、保存食の硬いパンと干し肉が少々入っていた。
普通に食べて2日分と言った所だ、お情け程度の
7日間以上食事を取って無いはずなのに、精神的ダメージからか空腹を感じる事はなかった。
「おい、ラルク。早く行こうぜ!」
不意に名前を呼ばれて振り向くと、喋る黒猫スピカが毛繕いをしていた。
どうやら船の中の出来事は夢じゃ無かったようだ。
「スピカ、お前も降りたのか?」
「ふふん、俺様は自由だからな。お前に着いて行く事にした。」
スピカの黄金色の瞳が輝く。
そして、どこか自信に満ちた表情で行く宛の無い僕に着いて来ると言う。
自由・・・か。
そうか、そういう考え方も有るのか。
何事にも束縛されない生き方、現状を客観的に見るとしたらそうなるのか。
故郷での辛い思いや、生き別れた家族の事は気掛りだけど、仮に僕が戻ったとしても"妙な加護"のお陰で周囲に迷惑を掛けるだけだしな。
僕が思い悩んでいると、スピカがペシペシと僕の足を叩いた。
「取り敢えず、近くの街か村まで行こうぜ!」
僕を誘導するかのようにスピカが前の道を歩き出す。
この道がどこに続いているか分からないけれど、ここでじっとしてても始まらない。
僕はローブを羽織りスピカの後を追うように、南極大陸の大地を歩き始めた。
南極大陸と言うだけ有って周囲は分厚い凍土と氷壁で囲まれた土地だ。
それにも関わらず、舗装された街道には雪が降り積もる事無く真直ぐ続いていた。
何か特殊な加工がされているのか街道の地面が少し温かく、触れた雪や氷は溶けて道の脇を通る水路へと流れているようだった。
「スピカはこの大陸に来た事が有るのか?」
「ないぞ?知識としては知ってるがな。それに、道が有るから歩けば着くだろ。」
スピカは僕の問いかけに、あっけらかんと軽く答える。
確かにそうだろうけど・・・
余りに堂々としているから道を知っている物だと思ってしまった。
道中スピカと色々な話をする。
スピカは自分の事を有名な
ある人に恩が有ってその人に恩返しをしている途中だと言う。
詳しい内容はどうしても教えてはくれなかったが。
「ラルクは街に着いたらどうするんだ?」
どうすると言われても、拉致されて暴行を受けて国外に捨てられたのだ。
ノープランだし自分でもどうして良いかなんて分からない。
「そんなに悩むなよ。食料がそれっぽっちしか無いんだろう?だったらまず仕事を探そうぜ。」
仕事・・・か。
今までは実家の雑貨屋を手伝っていた程度しか真面な労働経験が無い。
中等部卒業程度の学力はあるので、仕事を選ばなければ雇っては貰えると思う。
しかし個人カードを造って貰え無かった関係上、きちんと就職出来るかと言うと疑問が残る。
・・・むしろ国によっては入国審査で入国拒否される恐れすらある。
まさに前途多難だ、そんな僕に仕事を与えてくれる所なんて有るのだろうか?
「・・・そうだな。仕事を探さないと生きてはいけないな。でも・・・」
「人と関わりたくないって顔だな。もともと
初対面から偉そうな物言いだけど、スピカって一体何歳なんだろうか?
もしかして凄く高齢なんじゃないだろうか。
そんな疑問が浮かんでは消える。
興味本位でスピカに年齢を尋ねたら「女性に年齢を聞くなんて失礼だぜ!」と窘められる。
・・・ってかスピカって雌だったのか、口調から勝手に雄だと思っていた。
不意に幼馴染のビクトリアの事を思い出す。
彼女も貴族の女性なのに学校やプライベートではワザと男っぽい喋り方をしていたな。
なるほど、スピカもサバサバした性格だから話し易いんだなと思った。
まぁ・・・猫なんだけど。
約1時間、雪原を通る街道を歩き続けると石造りの建造物が視界に入った。
「お!見えて来たぞ!」
スピカが指差す先には白い石造りの街が見えた。
近付いて分かったのだが、そこは街では無く正確には遺跡のような場所だった。
以前人が暮らして居た形跡は有るが今は朽ち果て、街としては機能して無いように見えた。
「そこの人間、止まれ!」
遺跡を道なりに歩いていると何処からか突然叫び声が聞こえて来た。
朽ちた建物の上に高価な杖を構えた人の姿が見える。
色白で銀色の髪をした人物は、僕と同い歳くらいの女性だった。
耳が長く尖っている特徴から
こちらを睨め付け、手に持っている木製の杖に
・・・山賊か何かだろうか?
少量の保存食しか持って無いのだけど、命を取られたりとかするのだろうか。
僕は思わず手を上げ、無抵抗の意思を示す。
スピカは・・・僕の足元で大きくアクビをしていた。
「・・・この場所は聖域だ。貴様はここで何をしている?」
その女性は一定の距離を保ち、僕達を観察しながらゆっくりと背後に回る。
「国外追放されて・・・この大陸に流されました。」
銀髪の女性は僕に近付き、マジマジと顔や体を観察する。
不意に着ていたローブの襟首を掴まれ、グッと手前に引かれる。
シャツを開けられ、鎖骨の辺りを見つめて来る。
「・・・隷属印か。嘘は言ってないようだな。」
自分でも気が付かなかったが、左胸の鎖骨の下辺りに赤黒い魔法陣のような刻印が見えた。
銀髪の女性は杖を収め「付いて来い。」とだけ言うと道を歩き出した。
「なぁ!ラルク行ってみようぜ!殺気は無くなったし大丈夫だろ。なんか面白そうだし!」
スピカは黄金色の瞳をキラキラと輝かせて、こちらを見上げて来る。
この好奇心の強さはやっぱりただの猫なんじゃないかと思った。
行く当ての無い僕達は、その女性に連れられるまま遺跡の奥へと進んで行った。
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