第5話 Experiment1 悪人

「嫌! 近づかないで!」


「は?」


「おいおい兄ちゃん、俺の連れに何しようとしてる?」



 女が突然叫び声を上げてすぐ、その背後から男が現れた。人の少ない路地裏で、建物の影にでも隠れて間を図っていたかのようなタイミングの良さだった。



「は、え、だ、だって」


「だっても何も無ぇんだよなあ。アンタ今嫌がる俺の女に触ろうとしただろう?」



 長身で強面な男がじりじりと距離を詰め、怯える若者の目と鼻の先までにじり寄った。男の背後で女がほくそ笑んでいた。



「落とし前、つけてもらおうかあ!?」


「いや、でも誘ったのは向こうからで」


「じゃかしいわ」



 若者の右頬が打たれた。痛みに気付く前に左が打たれた。ここまできてようやく、若者は自分がすでに落とし穴に落ちた後だと気付いた。



「ほれ、出すもん出せば許しちゃる。さっさとせい」


「う、う」



 何を言っていいか分からず、若者はただ周囲を見回した。あえて連れ込まれた裏路地、助けは期待するまでもない――いや、あれは、顔か? 大通りの方から誰かが覗き込むようにこちらに顔を向けているように……いや、気まずそうな顔でそっぽを向いた? 最低の野次馬か?

 若者が状況を忘れて怒りを感じるその直前に、覗きの主は諦めたような顔で声を上げた。



「ここです! 早く!」



 大声の少女はどこかへ向けて手招きをしている。弾かれるようにその方向を向いた強面の男は、状況判断に一瞬戸惑うが、すぐに自分の劣勢を見て取った。



「ハッタリかも分からんが――ここは退くぞ!」


「え、ああうん」



 強面の男と化粧の濃い女はすぐに少女とは逆の方向へ走っていく。

 そこからかなりの距離を開けて少女が、そして衛兵が二人走ってきた。



「あ、ありがとうござ」


「どいて!」



 若者の顔を見ることもなく、少女は逃げた二人を追いかけていく。後を追うように衛兵が若者を横切っていった。

 次々に移り変わっていく状況に置いていかれ、若者はいま自分が感じている気持ちも判然とせぬまま、ただ呆然としていた。



「――ちっ。衛兵を二人も。はあ、ついてねえ」


「はあ、はあ、はあ」



 追っ手を撒きやすいかと思い、美人局つつもたせの二人組は人通りの多いルートで逃走を試みたが、さほど人が多くはなく、ただの直線上の追いかけっこになっていた。

 しかも女の方は普段から運動をしているわけでもなく、走ることに必死で、しばらくまともに喋っていない。男にとって状況は悪くなるばかりだった。

 男がカダールの町に来てから五年ほどになる。手癖の悪さから村を追われ、食い扶持を求めて流れ着いた町だった。付近に魔物が多いため冒険者が多く住んでいて、必然治安も悪かった。元来他人の言うことを聞くのが嫌いな性質だった男には、その空気の悪さが心地よかった。

 こうして衛兵に追われるのは初めてではない。奴らも自分のような木っ端を捕まえるためにそこまで必死になることはないだろう。その経験に基づく安易な推測が、男にその選択をとらせた。



「町の外まで逃げるぞ」



 早口に言い切った男の声に女が頷いた。

 後方を確認すると、追っ手との距離は近づいてはいないが離れてもいなかった。男は脳内で町の外までのルートを確認した。問題はない。そう思った。

 恐喝は最も簡単な小遣い稼ぎだ。手軽さは言うまでもなく、当たり外れがある所が楽しかった。小汚い小男が意外と金を持ってたりするし、金持ちそうなババアが素寒貧だったりする。その人間自体が透けて見えるようでゾクゾクした。

 それでいて仮に捕まったとしてせいぜい五年だ。それも役人に金を握らせれば解決。損はするがチョロいもんだ。

 町の出口に近づき、男が口元に笑みを浮かべたとき、ずっと聞こえていた足音が聞こえなくなった。並走していた相方の女が力尽き、地面にへばりついていた。



「ふん」



 男は相方を一瞥すると、速度も変えぬまま町の外へ走り続ける。女のことは気に入っていた。尻が良かった。しかし、別にいいかと思った。

 町に入るには検問があるが、出るときには無い。怪しまれても走り抜ければ逃走は容易い。しかし足手纏いを連れて出られるほどには門番も優しくはない。

 男が女を見捨ててすぐ、衛兵が疲れ切った女を確保した。追っ手の少女は二人の衛兵と何事か言葉を交わすと、今度は一人で男を追い始めた。

 男が町の出入り口に差し掛かるとき、門番はちょうど入町者の検問に当たっており、明らかに怪しい男を追うことすらできなかった。もはや男を追っているのは非力そうな一人の少女だけだった。

 男はひたすら走り続けた。もう後ろを確認する必要もないと思った。



 ――おかしい。こいつは一体なんだ。

 町を遠く離れ、男は既に魔物が出る危険性のある森まで来ていた。未だに少女はつかず離れず後を追ってきている。男も、はじめは報奨金目当ての浅はかなガキだと思っていたが、今は強い疑念を抱いていた。とにかく目的が不明だ。そして何よりあのめちゃくちゃ必死な表情が気になった。逃げる犯人よりもよっぽと切羽詰まった顔だった。

 ここまで追ってきているとは意外に体力がある。しかし見た目に合わぬ戦闘力をもっている冒険者なら、自分は町中ですぐに確保されていたはずだった。

 果たして、どう対応するべきか。男の体力も流石に尽きかけていた。逃げ切るか、それとも殺ってしまうか。

 一瞬の逡巡の後、男は立ち止まり、振り返った。その視線の先には、あるはずのない真っ黒な銃口がはっきりと自分の胸に向けられていた。

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