第10話 死ぬまでにしたい10のこと

 いつものようにレンタルビデオ屋で返却DVDを棚に戻していると、出口付近に不審な男がいると、大学生の店員から話しかけられた。爪を噛みながら店内を覗く様が気持ち悪いのだと言う。

 様子を見に行くと、そこにいたのは金村だった。金村も自分を認めると、笑いながら駆け寄ってきた。

「まだ働いてたんやな。来て良かったわ」

 どうやら自分に会いに来たらしい。

 金村とは漫才コンビを組もうと誘われたあの日以来であった。結局、連絡は来ず、その件は進展しなかった。

 もうあれから10年以上経ち、自分たちは30歳になっていた。

 一時期は金村と漫才コンビを組むことにときめきすら感じていた。すすけた生活が少しでも変わるのではないかと期待していたのだ。今となってはそんな感情を思い出すのにも時間がかかった。

「込み入った話があんねんけど、何時に仕事終わる?」

 自分の退勤時間を伝えると金村は去ったが、仕事終わりに込み入った話を聞かされると思うと、再会の感慨より、面倒さが勝った。


 仕事に戻ると、先ほどの店員が好奇の目をして近付いてきた。不審者と自分が知り合いだということに興奮していた。

 そういえば、金村がこの店で自慰行為をしていたことを知っている店員は、もう誰もいなくなっていた。


 仕事を終え表に出ると、金村はガードレールに腰掛けて、タバコを吸っていた。

 街灯に照らされて、金村の顔に影が落ちている。先ほどは気付かなかったが、かなり痩せたようだ。

 近づくと、タバコを足で揉み消し、

「飲もうや」

 と言った。


 手近に居酒屋に入り、席に着くや否や、金村は頭を下げた。

「ごめんな。ずっと連絡せえへんくて」

 今となっては気にしていなかった。そう言うと、金村は安心したようだった。

 どうやら自分を誘った直後に、養成所の同級生から声をかけられ、そちらとコンビを組むことにしたそうだ。

「そいつクラス1、おもろい奴やったから」

 悪びれもなくそう言った。若干気分を害したが、話し方もどこか覇気がなく、知っている金村とは違った印象を受けた。

 今まで、ずっとそのことを気にしていて、わざわざ謝りに来たのか? そう聞くと、

「いや、ちょっと違う用事があってな。手伝って欲しいことがあんねん」

 と言い、声を潜めた。

「死のうと思って」


 店内は混みあってきて、自分たちは早々に店を出た。

 話には面食らったが、そんなことを考えているのが不思議でないくらい、金村はやつれていた。

 コンビニで缶ビールを買って、夜道を適当に歩いた。

 どうやら、お笑いを志したが、全く芽が出ず、今年、コンビ解消となったらしい。相方は一般企業に就職したようだ。しばらく金村はピンで活動していたが、それも鳴かず飛ばず。とはいえ働く気も起きず、更に生きる気力も出ないというのだ。

 自分には理解できない話だった。金村は、

「生きる目標を失ったんや」

 とぼやいた。自分は、生きるのに目標がいるなんて不便だな、と正直にそう呟くと、

「お前みたいに何も考えずに生きてる奴が羨ましい」

 と言われ腹が立ったが、自殺を考えている奴に当たるのもよくないと思い、気を持ち直した。

 よく聞くと、別に自殺を手助けして欲しいわけではないと言う。そんなことをしたら犯罪になってしまうと笑う金村。

 すると、金村がポケットから一枚の紙切れを出した。そこには、

「死ぬまでにしたいことリスト」と書かれていた。

 ・ミホに想いを伝える

 ・田内を殴る

 ・柿崎に謝らせる

 など、積年の想いがこもったと思われることから、

 ・スカイダイビング

 ・沖縄旅行

 など、カジュアルなものまで10の項目があった。中にはチェックマークがついているものもあり、既に実行中らしかった。

 その項目の中に「親友と漫才をする」とあった。とりわけ気に留めなかったが、

「やっぱりお前と漫才したかってん」

 と、金村が言い出したので言葉を失った。親友というのは自分のことらしく、死ぬ前に二人で漫才をしたいというのだ。

 正直、嫌だった。だが、目の前の男は死のうとしているのだ。相手が死ぬとなると話は別だ。最後にそれくらい手を貸そうと思い、その場は別れた。


 漫才をしたいというのは分かったが、家で二人で漫才をして満足するわけもあるまい。となると舞台がいるだろう。金村は何をゴールとしているのか。Mー1などのアマチュアでも参加出来る大会に出るということか……? と思っていたが、駅前で披露すると聞き驚いた。

 金村が舞台として想定しているその駅は、家から近いターミナル駅で、知り合いもよく利用する駅だった。

 既に金村はネタを用意したらしく、打ち合わせのために自分の家へ来ることになった。

 駅ではなく、別のところを提案した。知り合いに見られるのだけは避けたかった。

 しかし、金村は頑として譲らなかった。あの駅は金村にとって思い入れのある場所らしく、そこで披露することに深い意味があるのだと言う。

「最後の願い、聞いてくれ」

 どうやらこれが伝家の宝刀とでも思っているらしく、自分にスナック菓子を買い出しに行かせるときや、居酒屋の会計時なども乱用していた。

 いい加減に腹が立っていたのだが、加えて金村が作ったネタを見て言葉を失った。全く面白くない。10年近く漫才をしてきて、その集大成がこれだとは、怒りどころか、可哀想になってくる。

 自分のリアクションを見て、金村は慌てたように、

「いや、結構玄人向けやとは思う」

「文字面では分かりにくいところもあるとは思う」

 など早口で言い訳をし、最終的には、

「お前、読み解く力というか、読解力? センスないんちゃう」

 と、自分のせいにする始末だった。


 ネタの内容は、下着泥棒と警官という設定で、ベランダの女性のパンツを奇声を上げながら盗もうとする泥棒と、奇声を上げながらパンツを食べようとする警官。といった内容。面白さがよく分からない筋立てだった。

 黙り込んでいる自分を見て、金村は、

「一旦やってみるわ。見たら掴めると思う」

 と、一人でボケとツッコミを兼ねて立ち稽古を始めた。

 実際に見てみると、なるほど、面白くない。ただ、改善点は見えてきたような気がする。こんなネタではあるが、初めて、ものづくりの楽しさみたいなものを感じた気がする。

 自分は具体的な改善点をその場で指摘した。

 全てが大声になっているので、随所随所、効かせたいところだけ大声にすべきなのでは? といった、誰にでも分かるようなことを言った。すると金村は、物分かりの良いような態度でしきりに頷き、

「どの客層を狙うかってことやと思う。その意見も理解できるけど、今回はこれでええねん」

「その意見は、お前みたいな初心者が間違いやすいところやから。全然落ち込む必要はないんよ」

 などと、絶対に自分が正しいという態度を崩さない。

 そうなると、自分も意固地になる理由もなく、指摘するのをやめた。

 思えば、これは金村のやり残したことを消化するという意味しかなかった。自分が内容やクオリティのことなどに口出しするのはお門違い、金村が満足することに意味がある。早く死ね。そんなことすら頭をよぎった。


 自分は全て金村の思い通りになるよう努めた。

 最初は、稽古場所にすら困った。ネタの性質上、声を張る必要があったからだ。部屋だと苦情騒ぎになる。しかし、外だと不審者扱いされそうだ……と思っていると、近所の河で大規模な護岸工事をしているところを見つけた。

 工事の音がうるさいここでなら、大声で練習ができる。

 自分たちはその河川敷で目一杯稽古した。何度も繰り返し、金村が求めるクオリティに達するよう努力した。

 何が正解か分からなかったが、時々、金村を満足させる出来になることがあり、自分も何かを掴んだような気がして、その時は奇妙な充実感があった。


 そして、ついに漫才を披露する日を迎えた。自分は仕事を早引きして、夕暮れ時に駅へ向かった。

 緊張していた。早く終わらせたい。そのことばかり考えていた。稽古を何度しても、人前で披露することを思うとその都度冷や汗をかいていた。恥をかくのは分かっている。殺すならいっそ殺せといった気持ちだった。実際、金村は死ぬわけだが、気持ちよく死んでもらうため、やるなら精一杯やろうと思った。


 駅前のロータリーに金村はいた。段ボールの立て看板に大きく、

「『バックルズ』のストリート漫才 19時公演!」

 と、マジックペンで書かれている。

 金村は高校時、元町の高架下でパクった、あのバックルをベルトにしていた。

 胸が熱くなった。

「言ってくれれば、自分もしてきたのに」

 と言うと、金村は即座に振り向き、

「さすがに捨てたやろ?」

 と聞いた。自分はまだ持っていると伝えると、感無量といった面持ちで、

「俺のためのステージやから、俺だけでええねん」

 妙に遠慮がちに言った。

「実はな……」

 金村は口を開いた。

 高校時代、元町の高架下へ皆で遊びに行った時に途中でいなくなったのは、中学の時のイジメっ子から逃げていたからだと言う。中学の時はイジメられていたから高校ではイケてるグループにいたかったのだと。

 自分は、気付いていたこと、そして、学園祭後に金村に言われた通り、自分も中学の時にイジメられていたことを認めた。あの時は、悔しくなって殴ってしまったのだと。

 金村は、

「お前、やっぱ親友やな」

 と呟いた。

 19時になった。


 必死に、大声で、意味不明で面白くもない漫才をやった。

 どれくらいの人が立ち止まったのか。知り合いに見られたのか。分からなかった。ただ唯一、笑い声が聞こえなかったのは確かだった。

 久しぶりに汗をかいた気がする。高揚感があった。

 金村は漫才の最後の台詞を言った後、こちらに目もくれず、すぐさま立て看板を畳み出した。

 自分はしばらく興奮状態のままだった。そして、金村の背中に労いの言葉を投げた。金村は、

「ありがとうな。お前と会えて良かったわ」

 その声は震えていた。

 打ち上げを兼ねて飲もうかと声をかけたが断られ、金村は俯きながら帰って行った。

 金村はどう思っていたのだろう。やりきったと思ってくれただろうか。それとも、まだ漫才がしたいと、未練を感じさせてしまっただろうか。

 金村からは、その日以降、また連絡が来なかったし、自分からすることもなかった。もし連絡がつかなかったら、いよいよ死んだということになる。会わずとも金村はきっとどこかで生きている。そう思いたかった。


 それから1年が経った。

 働いていたレンタルビデオ屋は潰れることになり、大阪の天王寺という街の支店に移ることになった。

 と、ある日、そこの18禁コーナーで金村と再会した。

 金村は気まずそうに、

「恥ずかしいところ見られたわ」

 と言っていたが、それが、AV物色中のことか、死ぬと言ったのに死ねなかったことなのか分からなかった。金村は、

「ちょっと込み入った話があんねん。抜けれる?」

 と聞いてきた。

 少しなら、と言うと、金村は自分を外へ連れ出した。自販機でリアルゴールドを買い、近くのコインパーキングの車止めに腰を下ろした。

 金村は、紙きれを渡してきた。それは『死ぬまでにしたいことリスト』であった。

 そこには新たに、

 ・飛田新地

 と書かれてあった。

 どうやら、死ぬ前に童貞を卒業したいと、手近な安いソープで施してもらったらしいが、あまりの快感に驚愕し、よりグレードの高いソープに行ってから死のうと考えているようだった。

 今は、金を作るために登録制のバイトを掛け持ちしているらしい。金村は、

「生きる力ってやつやな」

 と言い、自分に対して、

「今も何も考えないで生きてんのか」

 と言った。余計なお世話だった。

「ああ、せやで」

 働く場所や住む街は変わったものの、相変わらずの日々を送っていた。それでも不満はなかった。

「したいことくらい持てや」

 と金村は言って、立ち上がった。

 死ぬまでにしたいことはなくても、死ぬまでに消したいことは山ほどある。それだけで十分だと思った。

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死ぬまでに消したい10のこと 野中淳 @nonakajun1990

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